日本と台湾の関係性
2011年3月11日、日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。
日本はこの震災によって、筆舌に尽くしがたいダメージを受けてしまいました。
今現在も、東北、そして日本は復興に向けて懸命の努力を続けています。
未曽有の災害に対し、世界各国が支援部隊を日本に派遣してくれたことは、記憶に新しいと思います。
その中で、最終的に200億円を超える義捐金(世界第1位)・政府への資金援助・物的支援・救援部隊派遣に動いてくれた「国」をご存知ですか?
それは現在も日本と深い関係にある台湾です。
震災が起こってから、台湾の日本に対する支援や姿勢が注目されましたが、
実はそれ以前から、日本と台湾はとても親しい関係を築いてきました。
中国や韓国など東アジアの国々と難しい外交が続く中、
- なぜ台湾とは良い関係を築くことができているのでしょうか?
本稿では上記の問題意識から
日本と台湾がなぜ有効関係にあるのか
をわかりやすく解説します。
目次
1.台湾の2つの政党:「国民党」と「民進党」
2000年3月。
台湾の総統選挙で政権をずっと握ってきた国民党が陥落し、陳水扁率いる民主進歩党(民進党)の政権が誕生しました。
これは台湾史上初の出来事でした。
台湾の政治は実質的に2大政党制と呼べる状態になっています。
(規模の小さい政党も含めると200以上の政党が存在します)
実質的と枕詞を置いたのは、「立法院」つまり日本で言う国会に議席を持っているのがこの2つの政党だけだからです。
結論から述べると、国民党は「台湾は中華人民共和国の一部である」と考えている政党です。
一方の民進党は、台湾の独立を主張し続けてきた政党です。
2000年3月の選挙では民進党が勝つことは、事前の世論からだいたい見通しがついていました。
日本でも選挙を行う前に世論から大体結果の予想がつきますよね。それと同じイメージです。
この見通しを目の当たりにしたのでしょう。
台湾総統選が行われる3日前、当時の中国朱鎔基首相は以下のように発言します。
「台湾総統選で、誰が当選しようといかなる形でも台湾の独立を許さない」
とし、さらに独立の動きについては
「独立しようとするのならそれを阻止するために武力行使も辞さない」
と踏み込んで発言しています。
この記事の冒頭でも台湾の事を指す代名詞の「国」にカギカッコをつけました。
台湾が「国家」なのかどうかは、これまで度々中国と台湾の間で問題になっており、
今なおはっきりとした答えが出ていないからです。
中国は台湾を国家として認めていませんし、おそらくこれからも認めないはずです。
そもそも台湾が独自に選挙を行ってリーダーを決めていることさえ、強い不満感を示しています。
- なぜ中国は台湾の独立を認めたがらないのか
- なぜ台湾のあり方に不満を示しているのか
この歴史をさかのぼっていくと、日本が登場します
<ここがポイント>
台湾には、「中華人民共和国」の1部と考える国民党と「独立」を主張する進歩党がある
2.日清戦争の結果、日本の統治が始まった
時代を19世紀の末までさかのぼります。
1894年、日本は日清戦争で清と交戦し、勝利をおさめました。
翌1895年の下関条約では以下の様な内容が決められます。
「第一条 清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス。
第二条 清国ハ左記ノ土地ノ主権(中略)ヲ永遠日本国ニ割与ス。
一 左ノ経界内ニ在ル奉天省南部ノ地(中略)
二 台湾全島及其ノ付属諸島嶼
三 澎湖列島(中略)
第四条 清国ハ軍費賠償金トシテ庫平銀二億両ヲ日本国ニ支払フヘキコトヲ約ス。(以下略)」
引用元:『日本外交年表竝主要文書』
日清戦争については割愛しますが、第一条で清国の朝鮮への宗主権を否定し、「独立国」としての地位を認めさせています。
第二条では、中国の土地の主権について言及されています。
これの第ニ項で、台湾を「日本国ニ割与」つまり、清から主権を奪ったことが読み取れると思います。
こうして台湾領土は日本の植民地支配下に置かれました。
当時、台湾は産業において重要な地域で上に、人口も少なかったことから、
清は台湾が奪われることにそれほど大きな損失を感じていませんでした。
<ここがポイント>
日清戦争の結果、台湾は日本の植民地支配下におかれた
3.日本の植民地支配
こうして台湾を植民地支配下においた日本は、統治に乗り出します。
まず、「台湾総督府」を設置しました。
台湾総督府:1895年台北に設置。台湾統治のために置かれた官庁のこと
日本から派遣される台湾総督(初代:樺山資紀)を最高権力者として、統治を始めます。
台湾の住民は、日本の植民地支配に対して大々的に抵抗運動を展開しました。
こうした動きに日本は軍の力を用いて制圧します。
この時少なくとも1万人以上の台湾住民が抵抗戦の中で命を落としたことが、資料から分かっています。
その後も警察による強権政治を進めました。
植民地政策において最も力を注いだのが、日本同化策です。
例えば、台湾各地には日本式の神社を建造します。
さらに、日本語教育も行い、日本での教育と同じように「天皇を元首とする日本臣民」という意識を植え付けます。
当時の教育を受けてご健在の台湾人は、日本語を流暢に話すことができます。
筆者は以前アメリカに留学した経験がありますが、そこで出会った台湾人の祖父母は、
ケンカをする際は必ず日本語を使う、と言っていました。
我を忘れるくらいカッとなった時に自然と出てくるのは日本語である・・・
それほど幼少期からの日本語教育は徹底したものだったのです。
<ここがポイント>
日本は植民地支配を通して、同化策に最も力を注いでいた
4.植民地支配のもう1つの側面:社会資本と教育
日本が台湾に残したものは、圧政的な諸制度だけではありません。
「台湾が奪われても、清はそれほど損失が生じると思っていなかった。」と前述しました。
清は、産業の面でも、人口の面でも台湾は経済的に重要な地域と見ていなかったからです。
日本の植民地支配は、この状況を変えました。
結論から述べると、植民地支配を通して台湾の産業発展の基盤を築きました。
台湾全地域に道路や鉄道、港湾を整備したのです。
経済的な視点からこの意義を説明します。
産業が発展するためには生産活動、消費活動双方活発になることが必要です。
2つを活発にするには、生産者から消費者へ届ける道路や鉄道も整備しなければなりません。
また港湾を整備することができれば貿易の活発化にもつながり、さらなる経済発展を狙えます。
(道路、鉄道など産業発展の基板となる社会の所有物を「社会資本」と呼びます。)
日本は台湾での植民地支配において、社会資本を整えることに成功しました。
また、台湾では、日本が統治するまで教育が全体に行き届いてませんでした。
しかし、日本が前頭で義務教育を徹底したことによって読み書きを出来る人が増え、
知識人層が増えるという事にもつながりました。
- 台湾の産業発展の基盤を整備した事(環境も整えたことにより死亡率の低下と出生率の向上もあった)
- 隅々まで教育を届かせ、台湾の知識人層を増やしたこと
この2つは今でも台湾で肯定的に語り継がれているのです。
<ここがポイント>
日本の植民地支配は台湾の社会資本の整備につながった
まとめ~植民地支配に肯定的な評価はできるのか~
ここまで日本と台湾は何故現在のように友好関係にあるのか。
中国との関係、そして日本の植民地支配の歴史をさかのぼり解説してきました。
「4.植民地支配のもう1つの側面 :社会資本と教育」で日本が行ったことに対する肯定的な評価
について触れました。この部分について、1つ意識してもらいたい事を最後にご紹介します。
よく本稿のような解説をすると、「日本は植民地支配で良いこともした」という意識を持つ人がいます。
しかし、日本が産業発展の基盤を整え、教育を徹底したのは
日本の植民地支配を有利に進めることが目的でした。
どう評価するかは人それぞれですが、植民地支配と「良いことをした」というのは、
そう簡単につながらないことも意識すべきでないかと筆者は考えます。
是非皆さん独自の視点でこの歴史を考えてみてください。長くなりましたが以上です。
ここまでお読みくださりありがとうございました!
<参考文献>
・林志行『図解 台湾のしくみ』(中経出版、2000年)
・台湾史研究部会編『台湾の近代と日本』(中京大学社会科学研究所、2003年)
・川島真ほか『日台関係史:1945-2008』(東京大学出版会、2009年)
・東北大学高等教育開発推進センター編『植民地時代の文化と教育:朝鮮・台湾と日本』(東北大学出版会、2013年)