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【社会科講師必見】日本と台湾はなぜ友好関係?②~第2次世界大戦直後の台湾~

高校生

2021/12/17

台湾と中国、そして日本

前稿「日本と台湾はなぜ友好関係?①~日本と中国と台湾の歴史から~」(URL: http://www.juku.st/info/entry/1143 )では、何故台湾は日本に対して親日的な態度を示してくれるのか?その疑問を解くためにどのように歴史を追えばよいかお伝えしました。
本稿にも繋がる内容なので簡単におさらいをします。

2000年3月の台湾総統選挙で、台湾の独立を主張し続けていた民主進歩党が国民党から政権を奪い取る事に成功します。これによって、台湾独立への動きが強まることが予想されました。
しかし、中国は台湾の独立を、徹底的に認めない方針を貫いています。もしも独立に向けて具体的な動きを見せようものなら、武力行使も辞さないとまで発言しています。
NG
元々日清戦争において日本が勝利をおさめてから第2次世界大戦が終了するまで約50年間は日本が植民地支配していました。日本が植民地支配していた頃、軍隊を用いて抵抗する台湾住民を虐殺するなどの負の側面がある一方で、その後の台湾の産業発展の基盤を作り、教育も義務教育を導入して知識人層を大幅に増やします。あくまで日本による日本のための行動をした結果ですが、それが現在の台湾にもつながる経済発展の土台となりました。

という部分の内容までご紹介しました。
しかし、まだ本シリーズの中心的な問である「日本と台湾はなぜ友好的な関係にあるのか」という点について言及するには中国との関係性において不足している部分があります。
よって、本稿では引き続き

日本と台湾が何故現在のような関係に至ったのかという点を生徒が深く理解するために、戦後の台湾と中国国民党との関係を細かく追っていきます。詳しくは後述しますが、この中国国民党に対する意識が上記の問にもとても深く関わってくるからです。

 

日本が去ってやってきたものとは?

中国国民党と台湾との関係を注意深く見ていくには戦後日本の返還から再出発することが必要になります。
授業では背景としてここから説明しましょう。

台湾の返還

1945年、日本が連合国からのポツダム宣言を受諾し、ついに第2次世界大戦が終戦を迎えます。
日本はこの戦いに敗れたため、植民地支配していた台湾も中国(当時:中華民国)に返還します。

この話を聞きつけた台湾の住民は大いに歓喜します。
約50年に及ぶ植民地支配を脱して、ついに祖国中国の一員に戻れることを嬉しく思ったからです。
しかし、中国大陸から派遣されてくる軍隊を見て、台湾の住民は呆れ返ってしまったと言われています。

何故かと言うと、派遣されてきた軍隊の兵士は、例えば台湾に設置されている水道は中国大陸では見たことがなく、蛇口をひねれば水が出ることに驚いたということや、
その他にもデパートのエレベーターなど台湾では当たり前になっているけれど、中国大陸では見られないもの
にいちいち驚く姿を台湾住民は目の当たりにしたからです。

蛇口エレベーター
さらに、彼らは文字の読み書きもほとんど出来ません。
こうした状況から、台湾住民は日本の植民地支配の諸策によって、台湾は中国大陸よりもかえって近代化していることに気がついたそうです。

 

〇〇が去って、△△が来た?

また、これだけならまだ良いのですが、中国大陸からやってきた役人は賄賂を横行させました。
役所などで手続きをする際には何事でもお金を払わなければ相手にもしてもらえない有り様でした。
自らの私腹を肥やすためだけに、このような行動を取る中国大陸出身者の役人に対し、台湾住民の住民は徐々に高まっていきます。

この当時の台湾人の気持ちを言い表したものに以下の様なものがあります。

「走了狗来了豚」

大学などで中国語を選択した講師の方なら読めると思うのですが、これは「狗(犬)が走り去って、豚が来た」という訳になります。
ここまでの説明で、狗は日本で、豚が中国国民党の事を指していることがお分かり頂けるのではないでしょうか。「犬」は時々うるさく吠えることもあるけれど、賢く、番犬にもなり得る。しかし、豚は自分の食べたいものを食べたいだけ食べて、食事後はひたすら寝てしまう。
もちろん、犬と豚をこのように定義できるわけではありませんが、巧みなレトリックを用いて中国国民党を批判しました。

 

中国国内の戦後間もない時期

このような背景があった上で、さらに台湾住民に不満を抱かせる出来事が起こります。
ここから次の説明に入ります。

国民党と共産党

拙稿「第2次世界対戦の指導法①『開戦まで』」(URL:http://www.juku.st/info/entry/1047)をご参照いただきたいのですが、1937年7月7日に勃発した盧溝橋事件をきっかけに日中全面戦争が始まりました。

この日中戦争がはじまる前から毛沢東率いる中国共産党と蒋介石率いる中国国民党は国内で内戦を繰り返していました。満州事変後からすでに日本とは局地的な戦いを繰り広げているにもかかわらず、中国国内の2つの党が横腹をつつき合っているような状況が続いていたのです。

しかし、日本という共通の敵が現れたことで、協力して抗日戦線を作りました。
これを「国共合作」といいます。忘れている生徒もいるかもしれないので、戦時の復習も要所要所で入れてあげましょう。

握手

国民党と共産党、再戦へ

そして第2次世界大戦が終わり、日本が敗戦をしました。
そうすると、中国国内はどうなったか。共通の敵がいなくなって、またもや国共内戦を再開したのです。
しかも戦前にも劣らない大きな規模で争いました。

このような背景があり、台湾にいた中国国民党政府は中国大陸で戦っている国民党のために、食べ物や衣服など戦い、生活に必要な物資を台湾から強制的に買い上げて送ります。
さらには、こうした戦争費用を調達するために、台湾島内の紙幣を大量に増刷します。
そうなるとどうなるか、台湾国内で物資の不足が深刻化するとともに、紙幣の乱発によってインフレが起こります。
インフレ

経済の項目が出てきたので、必要であれば上のような図を提示してあげましょう。
インフレとは具体的にどのような状況なのか、デフレとこんがらがってしまう生徒もいるからです。

話を戻します。
このようにして、生活に必要な物資はそもそも売っていないし、あったとしても、インフレでとてつもなく値が上がっている、こうした中国国民党の諸策についに台湾住民の怒りが爆発する事件が起こります。
なお、もう1点ややこしいところを補足します。戦後中国国内で国共内戦が再発したと述べましたが、蒋介石率いる国民党はすでに政党としての中身が腐敗していたため国民から全く支持を得られませんでした。

支持基盤がないことで戦局は不利に進み、中国共産党との戦いでは連戦連敗を繰り返しました。
こうした背景があって、最終的にその時点で唯一国民党の影響下にあった台湾に幹部や兵士の家族を含めた約200万人と共に台湾へ移動します。

このように中国大陸から台湾に逃れてきた国民党関係者を「外省人」と言います。
また、それ以前、戦前からすでに台湾にずっといた住民は「本省人」と呼んで区別されています。
比率にして「外省人」:「本省人」=16%:83%ほどの数の違いがあるにもかかわらず、台湾は中国大陸からの「外省人」が支配をしました。

本稿で度々台湾住民が中国国民党政府に不満を持ったというのは、言い換えれば「本省人」が「外省人」に対して持った不満という意味です。

まとめ

本稿では前稿の内容を引き継いで、日本の植民地支配から解放された台湾が同胞であるはずの中国国民党と
どのような関係を築いていったのかという点をご紹介しました。
かなり色々な要素を取り入れてご紹介したので最後に指導のポイントをまとめると、

テーマ:「日本が去って円満解決?第2次大戦後の台湾の動き」
◯50年に及ぶ植民地支配
(1)第2次世界大戦の終戦ー中国への返還
(2)〇〇が去って、△△が来た?ー日本と中国を比喩した台湾住民の思い
◯中国国内の状況
(1)国民党と共産党の戦前の関係
(2)再び内戦へ
(3)台湾住民の不満

というような順番で指導すると、1つ1つの因果関係をおさえながら生徒は日本、中国、台湾の関係について考えることが出来ると思います。

また、授業をする際には1つ1つの用語にも気を配るようにしましょう。
実は日本は政治的立場上、台湾を正式な「国家」として認めていません。
なのでそう呼びたい気持ちはありますが、社会科講師という立場もあってシリーズでは台湾「住民」という表現にしています。
次稿この点について詳しくご紹介したいと思います。本稿は以上です。ここまで長文ご精読ありがとうございました!

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