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【初~中級】これでバッチリ!小論文のイロハ✩1

高校生

2021/12/17

 はじめに

「小論文って何を書いたら良いの???」

このような漠然とした疑問をもつ生徒が圧倒的多数のようです。

「採点基準もなんだかあやふやだし、よくわからないなあ。」

こういった認識を小論文に持っているようです。

まず、小論文の基本的な考え方を簡単な例と共に学ぶことで、小論文のうまい点数の取り方を考えてみてほしいです。

そして、ほかの人とは一味違う、きらっとした小論文作りの指導を目指していきましょう。

また、本記事は、小論文を学ぶのが初めての生徒・苦手意識を持つ生徒が気軽に小論文について触れるにはどうすればいいか、というところにも焦点を当てています。

基礎力のある生徒・入試に対応したい生徒を指導中の先生は、

【中~上級】これでバッチリ!小論文のイロハ✩2

http://www.juku.st/info/entry/1186

も参考にしてください。

 

では、早速例題です。

以下の例題に対して、どのような手順で考えていったらよいのかを、段階を踏まえながら思考してもらえたら幸いです。

<例題>ボランテイアについて述べよ。

ボランティアとは?

はじめに、ここでの話題であるボランティアがどういうものであるか、どういう性質を持つかについて書き留めておくと、論を展開しやすいでしょう。

ボランティアとは、自分以外の人が困っている状況、また、世の中で困っている事柄に対して、自らが主体的に解決しようとする行為である。

こんな感じで定義してみましょう。

ボランティアをする人の特徴

では次に、ボランティアを行う人は、どういう人だろう?と考えてみましょう。

プラス意見

他人中心主義

自己犠牲を厭わない

ボランティアが、自分はたとえ関係ないことであっても、誰か困っていたらその人を助けたい・状況を良くしたい、とする行為であるならば、ボランティアを行う人は、誰かの為になりたい・世の中の役に立ちたいと思っている人であることが予測できます。

ですから、誰かの状況を良くしたいと積極的に関わる行為をする人は、けっして自己中心主義ではないと言えるでしょう。寧ろ、他人中心主義だといえるのではないでしょうか。自分が幸せになること、ではなく、他人が幸せになること、よりよくなることを望んでいるのではないでしょうか。

そう考えると、自己犠牲を厭わない人だとも言えるかもしれません。

自分の幸せのために毎日の時間を割くのではなく、自分を幸せにできるかもしれない時間を、他人のために割く。それを厭わないのだということです。

マイナス意見

自己中心主義

自己満足

ここで断りを入れておくと、人のために何かをすることが、結果自分のためになる、という価値観も存在します。たとえば私たちも、誰かに優しくしてあげたり、人のために何かをしてあげると、ちょっといい気分になりませんか?ありがとう、とお礼をいわれたり、感謝をされると、なんだかこそばゆいけれど嬉しくなったり・・・そんな経験をお持ちではないでしょうか。それと同じです。人のために何かすることで、いい気分になれるから、誰かに何かをしてあげるんだ、そういう考えでボランティアをしている人がいるとしたら、もしかしたら本当の目的は、自己の幸せにあると言えるのかもしれません。その場合は、他人中心主義だとはいえなくなってしまいます。この価値観を使えば、結局は、自分の自己満足のためにボランティアを行っているにすぎないのだ、という批判をすることができます。

更なるプラス意見

自分が幸せであればこそ他人を幸せにできる

しかし、自分が幸せになることは批判されるべきではないでしょう。自分が幸せになれば、他人のことも幸せにできる、だから、まずは自分が幸せになることを望むのは当然である。という論の切り返しも可能です。

たとえば、家もなくて、食事もまともにできない、服も季節に沿った装いができない・・・このように、衣食住まともにできない人が、自分のことはさておいて、まず他人のためになにかしようと考えることができるでしょうか?難しいですよね。明日の生活を脅かされる毎日を送っている人が、他人のためになにかする余裕があるとは思えません。自分が健康にそこそこ暮らしていけるからこそ、他人へと目を向けることができる。しかし、自分の生命が脅かされる状況では、自分が生き延びることで頭がいっぱいになるのが人間としての本能ではないでしょうか。

このように考えれば、自分が幸せになることをまず第一に望むのは極めて当たり前のことであり、ボランティアが多少自己中心主義によって行われるのもおかしいことではない。という風に述べることも可能でしょう。

ボランティアの是非

ここまで、ボランティアがもつ特徴について考えてきました。それを踏まえて最後に、ボランティアに対する是非を述べるとよいでしょう。

ボランティアの良い面

良い面を考えるとすれば、ずばり、

既存の形ではなく、新しい形で社会に関わることができる

ということをあげてみたいと思います。

私たちは、もともと様々な社会システムが交錯した社会に生きています。経済システム、法システム、政治システム、教育システム・・・というように、社会システムは様々なシステムが交錯して成り立っています。そこに生まれた時から私たちはとり込まれていて、そこから逃れることはできません。

しかし、ボランティアをすることによって、私たちは主体的にそのシステムに関わることができるのではないでしょうか。ボランティアは新しい形で社会と関わることです。ですから、今まで決められた形でしか社会システムへと関わりを持てなかった私たちが、ボランティアによって、新たな違った形で社会システムへと関わりを持てるようになるのではないかということです。

ボランテイアの悪い面

悪い面を考えるとすれば、ずばり、

本質的なボランティアが行われにくい

ということをあげてみたいと思います。

ボランティアは基本的に、だれかが今の状況より良くなることを見込めるため、非常に意義深いものです。しかし、ボランティアのやり方が悪いことが非常に問題であるとよく言われます。そこに切り込んで問題点を述べると良いかもしれません。

たとえば、ボランティアをする人が発展途上国に行って、何か労働をしたり支援をしたとします。ボランティアというと、おそらくこの形態を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、この労働の仕方が問題なのです。しっかりなにを労働するかを意識しなければ、現地の人々の助けどころか迷惑になることもありえるのです。

人手が足りないことを手伝うのは大いに意味があるでしょう。しかし、現地の人々の仕事を奪ってしまえば、雇用を奪うことになり、雇用が貴重な発展途上国においては死活問題になります。

また、人手が足りない労働を行うにしても、その一時の労働を軽減してあげることが本当の意味で現地の人々の助けになるかといえば、ノーです。

なぜ現地の人々は、その過酷な生活から抜け出せないのでしょうか?毎日毎日重労働をしても、もらえる賃金はわずかです。そして、ほかに労働がないので、それを行うほかありません。抜け出す道がないのです。そこから抜け出すことを考えてあげるのが、本当のボランティアでしょう。

ではどうしたらよいでしょうか?

答えは、教育にあります。

知識がないから、抜け出せないのです。知識というのは恐ろしいほど力やお金になります。

発展途上国では、貿易において、知識があって力のある先進国に支配されてしまっているのです。依然として旧植民地だった地域は、貿易において不利にされてしまいます。力のある大国とうまくやっていくには、知識が必要です。ですから、教育環境を整えてあげるのが一番ためになることだと思います。まずは教育者がいませんから、先生としてその地域に関わっていくのが本質的なボランティアだといえると思います。

 

おわりに

以上、ボランティアという平易な話題で、小論文を書く際の段階の踏み方を提示してきました。

このように、細かく噛み砕きながらテーマに沿っていくことが、深い小論文を書くときの秘訣です✩

是非参考にしてみてください。

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