日本国内での議論
前稿「【社会科講師必見】集団的自衛権とは何か?①~歴史的背景~」では、
・そもそも自衛権という考え方がいかにして生まれてきたのか
・個別的自衛権との違い
・集団安全保障の違い
をわかりやすく教える方法をご紹介しました。
「【社会科講師必見】集団的自衛権とは何か?①~歴史的背景~」
http://www.juku.st/info/entry/1264
本稿にもつながる内容ですので、簡単におさらいをします。
そもそも自衛権とはどのような社会的背景で生まれたのでしょうか。
1914年の第1次世界大戦後に、戦争行為というものが国際法で違法行為であると定義されるようになりました。しかし、それではもしも他国から不当な侵略を受けた場合はどうするか。
こうしたケースを想定して認めたのが自衛権というものです。国家を守る、つまり「自衛のための」武力行使であったら、国際法に違反しないとされるようになりました。
これが、自国を責められた場合に発動できる自衛の権力=個別的自衛権です。
この考え方をさらに発展させ、自国が責められていなくとも集団で武力行使による自衛権を発動しようというものが集団的自衛権の考え方の基盤となりました。
こうして生まれた集団的自衛権の考え方はその後、冷戦構造の中で締結された北大西洋条約機構やワルシャワ条約機構などの軍事同盟の根拠ともなり、集団的自衛権はこうした武力支配を正当化するものではないかという批判もあるのです。
ここまでが前稿でお伝えした部分です。
本稿では前稿の歴史的背景を踏まえて、
日本では集団的自衛権の何が議論となっているのか
という事を、高校生にわかりやすく説明する方法をご紹介します。
日本国内での自衛権をめぐる議論
まず、日本では自衛権についてどのような議論がなされてきたのでしょうか。
日本の自衛権を語る上で切っても切れない関係にあるのが自衛隊です。
まずはその歴史から確認してみましょう。
自衛隊は、第2次世界大戦後の1950年、朝鮮半島で起こった朝鮮戦争をきっかけにアメリカが方針転換をしたことで生まれた組織です。
戦後直後は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による日本への間接統治で、徹底した非軍事化を進めていました。
そのため朝鮮戦争開戦時に日本国内に政府直轄の軍というものは存在していません。
では、朝鮮戦争によって、なぜ再び軍事的組織を編成することになったのか。
それは朝鮮戦争が勃発した1950年に、日本に駐屯していたほぼ全ての米軍兵(約7万5千人)が北朝鮮の進撃を止めるために派遣され、日本が軍事的な空白地となってしまったからなのです。
もしこの機会を狙い、当時冷戦でアメリカと対立していたソ連が日本に侵攻してきたら、東アジアにおける東側社会主義陣営が勢力を広げてしまうということをアメリカは恐れました。
こうして軍事的な空白の期間を短く済ませるよう、当時の吉田茂首相に自衛隊の前身である「警察予備隊」の設置を許可しました。保安隊という段階も経て。1954年に自衛隊が発足します。
この点については、拙稿「自衛隊を考える②~自衛隊ってそもそも何?軍隊ではないの?」で詳しくご紹介しているので併せてご参照ください。
「自衛隊を考える②~自衛隊ってそもそも何?軍隊ではないの?」
(URL:http://www.juku.st/info/entry/958)
自衛隊はどう位置づける?
これまで、自衛隊というのが日本国憲法第9条で規定する内容に反していないかどうか度々議論となってきました。
条文の内容を一度確認しましょう。
<日本国憲法第9条>
第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
引用元:『日本国憲法』
この第2項で、陸海空軍その他の戦力は保持しないということが規定されています。
この条文の内容に対して、戦車や戦闘機を所有する自衛隊はどのように位置づけるのかがこれまで問題になってきました。
政府は、憲法9条は自国を守る自衛権までは禁止しておらず、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力である」と説明してきました。
つまり、自国を守るための戦力ではなく、実力であるから憲法9条2項の規定する内容には反しないというわけです。
個別的自衛権をめぐる議論には、上記のようなものがあるという事をしっかり説明しましょう。
国連の一員として
ここで、日本もその一員である国際連合の憲章の「集団的措置」に対して、どのような立場を示しているのか確認しましょう。
まずは、憲章第1章第1条をご覧ください。
第1章目的及び原則
第1条〔目的〕
国際連合の目的は、次の通りである。
1
国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
引用元:『国際連合憲章』
黄色のマーカーで示した部分にある通り、国際連合に加盟している国は平和を阻害する侵略行為があった場合に集団的措置を取ることが述べられています。
これについて内閣法制局は、これまで「国家である以上、日本も自衛の権利を持っているし、集団的自衛権の権利も保有している。しかし、集団的自衛権は行使できない」としてきました。
※前稿で、国連憲章の違反への措置は、集団安全保障に該当するということを紹介しました。
国連は有事(例:不法な侵略を行う国が登場するetc.)の際に、適切な処置を取るよう動きますが、1つ1つ手続きを踏まなければならないため、迅速さには欠けてしまいます。
国連が迅速さに欠けて対応しきれない場合のために、集団的自衛権、個別的自衛権を認めているのです。
日本がこの集団的措置を取れるかどうかも、つまるところ集団的自衛権の行使ができるかどうかが基盤にあるというわけです。
話を戻します。
内閣法制局が上記のような見解を示したのは、
日本国憲法9条で「武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」としているから
でした。
権利は所有しているけれど、それを行使することはできないというわけです。
考えてみると奇妙な現象ですよね。
他の権利で例えて言うならば、「20歳を迎えて選挙権を手に入れたけど、実際に投票行動をすることはしてはいけない」ということになります。
こうした何とも不思議な状態で集団的自衛権は位置づけられてきたのです。
解釈の変更
しかし、2014年「集団的自衛権は行使することは出来ない」という解釈に、変更が加えられました。
同年5月「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」という有識者会議が開かれ、
「集団的自衛権の行使は可能である」という報告書が提出されます。
そしてその判断は正式に閣議決定されることになりました。
この閣議決定に対して、
「集団的自衛権の行使容認をしたら、例えば外国で起こっている戦争に自衛隊が駆り出されることになるのではないか」
という批判が多くの方面からなされました。
これに対して政権与党は「我が国を防衛するための必要最小限度の範囲内」でのみ行使できると説明しました。
つまり、集団的自衛権を行使しても、日本に全く関係の無い場所での戦闘に積極的に参加することはなく、あくまで日本の防衛に影響が出る場合に限る、というわけです。
しかし、必要最小限度の範囲内とはどこまでを指すのか、何をもって日本の防衛に関係があると言えるのか。
判断基準が不透明なのも事実です。
今後どのような議論がされていくのか、ますますその動きが注目されるところです。
ちなみに、これまでの集団的自衛権をめぐる意見には、大きく分けて以下の2つがあります。
①集団的自衛権を行使できるようにしておくことが戦争の抑止力になる
②集団的自衛権の行使を認めてしまうと結局のところ戦争参加を防げなくなる
集団的自衛権を行使することで戦争を防ぐことができるのか、それと同時に集団的自衛権の行使を認めることが本当に戦争参加につながるのか。
問われる日がやってくるのはそう遠くないはずです。
双方の観点を踏まえながら国民1人1人が慎重に考えていくことが求められているのです。
高校生が選挙権を持った時にきちんとこの問題を考える下地を作っておくこと。
これが「現代社会」でつちかわなければならない力であるといえるでしょう。
まとめ
本稿では集団的自衛権が国内でどのような議論になっているのか、自衛隊の生まれた背景や国連の憲章と関連付けて指導する方法をご紹介しました。
指導のポイントをまとめると
テーマ:日本は今集団的自衛権の問題の何に直面しているのか
◯自衛隊の誕生
(1)東西冷戦の中で
(2)朝鮮戦争の勃発
(3)軍事的な空白地日本
◯自衛隊の位置づけ
(1)憲法9条
(2)自衛権をめぐって
(3)戦力ではなく実力である
◯国連の一員として
(1)集団的措置
(2)日本は集団的自衛権は有しているが
◯解釈の変更
(1)内閣法制局の捉え方
(2)解釈を変更した今
(3)あなたはどちらを選びますか?
という順番で説明すれば、どのような背景で、今何が問題となっているのかが生徒はしっかりと理解できると思います。
あくまで一例ですが、参考になれたら幸いです。
本稿は以上です。ここまで長文ご精読ありがとうございました!
参考:「自衛隊を考える」シリーズ