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【日本史講師対象】江戸時代をいかに教えるか③~諸勢力との関係構築~

高校生

2021/12/17

シリーズ第3弾! ~諸勢力との関係構築~

前記事「【日本史講師対象】江戸時代をいかに教えるか②~大名統制~」では、

  1. 大阪の陣の終結
  2. 一国一城令
  3. 平和な時代への歩み~武家諸法度を視点として~
  4. 江戸時代における武士

の4点についてお伝えしました。

本稿では、

幕府が支配体制を固めていくうえで大名以外の諸勢力といかにして関係を築いたのか

を生徒にわかりやすく指導する方法をご紹介します。

コンテンツ

1.江戸時代の支配体制について
2.幕藩体制
3.村の統制
4.寺社統制

1.江戸時代の支配体制について

江戸時代、特に8代将軍の徳川吉宗にはじまる3大改革が必要になっていく頃には、

幕府の財政は底をつき、非常に苦しい経済状況でした。

経済力というのは、為政者が社会を安定させるためになくてはならないものです。

例えば、平和な世の中で、治安を乱す者が現れたときを思い浮かべてみて下さい。

そんな時には、それを取り締まる、今でいう警察が必要になりますよね。

当然、警察を雇うということは、その人件費であったり、武器の費用は国家が負担しなければなりません。

安定して維持し続けるためには、それに伴う経済力も必要になるわけです。

江戸時代は紆余曲折を繰り返しながらも、

明治維新直前の、15代将軍徳川慶喜の治世まで支配を保つことができました。

一体それはなぜ可能だったのか?

本稿においても、ぜひそんな問題意識を念頭において読んでみてください。

<ここがポイント>

江戸時代はなぜ15代も支配を続けられたのか?という視点が全体像を見る一助となる

2.幕藩体制

まず、主な理由の1つとして、3代将軍家光の頃までに完成された「幕藩体制」があげられます。

幕藩体制とは、強力な領主権を持つ将軍と大名(つまり、幕府と大名が治める)が、

土地と人民を統治する支配体制のことです。

以下の幕藩体制のイメージ図をご覧ください。

 

幕藩体制

 

図で示した通り、幕府は藩の運営を、藩主である大名に一任しています。

それはなぜか。

結論から述べると、全国全ての土地と人民を幕府の権力で従わせようとしたら

反発が見込まれるうえに、物理的に限界があるからです。

であるならば、むしろ既存の自治的な組織(藩)を利用し、

中央の決定事項は藩主を通して浸透させてる方が合理的です。

幕藩体制は、このように既存の自治組織を上手く利用した支配体制だった、というわけです。

江戸幕府は1つ1つの秩序を解体して新しいものを作り上げたのではなく、

これまでの自治組織を利用して幕府の意向を浸透させていたということですね。

 <ここがポイント>

江戸幕府は、既存の自治組織を上手く活用して支配体制を円滑にした

3.村の統制

幕府の末端組織であるそれぞれの村は、

家屋敷と呼ばれる百姓の住宅から構成される集落となっており、

農民から税を取って幕府の収入としていました。

<参考>税の種類
・本途物成:田畑・屋敷地に課税。米で納めることが原則。
・小物成:副業・山河などからの収益に課税
・高掛物:村高に対して課せられる付加税
・国役:一国単位で課せられる夫役
・伝馬役・助郷役:宿駅付近の農民に人馬を供給させる。

この中でも、本途物成は本年貢と呼ばれ、

田畑・屋敷地に課すお米の税こそが幕府が最も重要視していた財源でした。

町人などに課せられる税もありますが、

なんといっても、江戸時代の主要な構成要素は、村と百姓です。

人口(士農工商)の割合を確認してみますと、80%もの数を農民が占めていたからです。

つまり、幕藩体制をしく江戸幕府にとって、村というのは最も重要な財政基盤だったのです。

では、この村と百姓を幕府はどのように統制したのでしょうか?

こちらも、以下の図をご覧ください。

村形さん役

上記の図に出てくる語から確認しましょう。

<◎:幕府側役人 ●:村民側>
◎郡代・・・幕府の民政を行う役人のこと。
◎代官・・・幕僚の農村支配を担う役人
●名主・・・村政全般を統轄した村の長。
●組頭・・・名主の補佐役。
●百姓代・・・村民を代表して名主・組頭と年貢の負担割合などについて話し合う。
cf.村方三役:「名主」「組頭」「百姓代」の3役をまとめた言い方。

一口に”江戸時代の村”といっても、

漁村や山村、市場を中心に栄えた在郷町と呼ばれるようなものまで様々な性格の小都市が誕生していました。

(現在でも地域によって様々な違いがありますが、それと同じようにこの時代の村もそれぞれの個性を持っていたのです。)

そうした村々の共通の特徴として、村方三役を中心とする自治運営がありました。

この自治運営はとても強いもので、

入会地という村の共同スペースの管理や、用水、山野の管理に加え、防犯や防災の対策も自主的に行っていたことが史料に残っています。

幕藩体制のもとで藩運営を担った大名は、

こうした村の自治能力があったからこそ年貢の収納や諸役の負担を全うすることができました。

村方三役は、村民と支配者(=幕府)との間で外交窓口となって、幕府からの法や触の伝達役となります。

また、単なる上意下達の機関でもなく、

村民からの要求があるときにも、その意見をまとめて郡代や代官に伝える役割もこなしていたことが、史料から分かっています。

幕府が直接民衆に指示を出すのではなく、村方三役のような代表者を通してその命令を浸透させる。

ここにも先ほどの幕藩体制と同じく、村の自治組織を利用した村民支配の構造がありました。

<ここがポイント>

村の自治組織があってこそ、藩主(大名)は統治をすることができた

4.寺社統制

次に、寺社統制を見ていきましょう。

江戸幕府が開かれる少し前の時代を振り返ってみてください。 

徳川家康の盟友、織田信長は、

延暦寺や本願寺の宗教勢力に非常に手を焼きました。

宗教勢力は、結束力が強いため、幕府にとって大きな脅威になることが、歴史からも明らかだったのです。

であるならば、宗教勢力も幕府の管轄下に入れるほうが得策でした。

なぜなら、管轄に入れることで不穏な動きがあるときにはすぐに発見できるからです。 

これは、この後の鎖国の話とも関わってくるのですが、

江戸幕府は1612年から禁教令を実施していました。

幕府が禁教令を出す必要性に迫られた背景は2つあります。

1つは幕府が、当時キリスト教の布教を広めていたスペイン・ポルトガルが、

信仰心を巧みに利用して侵略をするのではないか?と強く警戒したことです。

もう1つは、信徒が信仰で団結し、幕府の脅威となるのを予防するためです。

こうして、幕府は禁教令を出して宗教の影響力をおさえようとしましたが、

政策むなしく1637年に島原の乱が起こります。

この事件は飢饉の中で、島原・天草両領主が領民に過酷な年貢の取り立てをしたことが発端でした。

領民たちは布教の影響でキリスト教徒が多く、一致団結してこれに反発したのです。

これが幕府にとって寺社統制をより強める一員となりました。

幕府が寺社の統制を重視した背景として上記のようなことをおさえておくようにしましょう。

<ここがポイント>

江戸幕府にとって、宗教勢力は大きな脅威であり、対応策を練る必要があった

本山・末寺の制

さて、それではいったいどのように統制をしたのでしょうか?

その点を見てみましょう。

江戸時代は寺社統制において、「本山・末寺の制」という仕組みを採用していました。

繰り返しになりますが、こちらも以下の図をご覧ください。


幕府は将軍直属の組織として寺社奉行を設置していました。

そして”寺院法度”という法令を出し、正式に全国の寺社を管理下に入れます。

ここでも先ほどの幕藩体制や村方三役を運営してきたのと同じ手法をとりました。

つまり、宗派ごとの総本山(例:曹洞宗における永平寺、浄土宗における知恩院など)が、

その宗派に属する寺(末寺と言います)を統制する仕組みにしたのです。

こうすることで、全国の寺社に幕府の目が行き届くシステムになりました。 

①寺請制度

民衆は、この本山・末寺の制度によって必ず仏教諸派のいずれかに所属することになります。

いずれの民衆も檀家であることを証明する寺請制度を設けました。

島原の乱について前述した通り、江戸幕府はキリシタン(キリスト教信者)を厳しく弾圧していきます。

さらに弾圧だけでなく寺請制度によって仏教のいずれかに所属させ、キリシタンになることを予防しました。

民衆はお寺から寺請証文という証明書を発行してもらえれば、

キリシタンではないことを証明することができました。

ちなみに仏教でも幕府が弾圧の対象とした宗派がありました。

日蓮宗不受不施派という一派です。

この宗派は、幕府権力よりも宗教の教えを優越する信仰をもっていたため、警戒の対象となりました。

②宗門改

キリシタンの疑いがある者に対しては、宗門改といって改宗をさせました。

とはいえ信仰は外見からは見えない個人の内面のものです。

何をもって宗門改としたかは外からは判別がつきにくいものなのですが、

いずれにせよキリシタンを厳しく取り締まる幕府の姿勢を示すことができたわけです。

③人民把握

また、これは宗教調査だけでなく、人民把握にも利用されました。

この地域には、どれくらいの家族がいて、どのような構成になっているのか?

これらのことを書き記した宗旨人別帳というものを作成し、

江戸幕府が、年貢の予算を立てるときなどの資料として民衆の把握に役立てたとされています。

<ここがポイント>

幕府の脅威となり得る宗教勢力を管理下におくシステムを作り上げた

寺社統制は幕府が人民を把握するために有効であった

まとめ

ここまで、江戸幕府が大名以外の諸勢力といかにして関係を築き上げたのか?という部分をご紹介しました。

最後に指導のポイントをまとめると、

テーマ:江戸幕府の仕組みその2~諸勢力とはどう付き合った?~
○幕藩体制って何だろう?
(1)幕藩体制の仕組み
(2)幕府ー藩という関係
(3)自治組織の利用
○村民支配
(1)郡代・代官と村方三役
(2)村方三役の役割とは?
(3)村政
○寺社統制
(1)なぜ寺社統制は重要か?
(2)本山・末寺の制
(3)寺社統制の意義

という順番になります。

冒頭で、

江戸時代は、経済的に苦しい時期があったにも関わらず、なぜ15代徳川慶喜の治世まで存続したのか?

という問題提起をしました。

本稿で述べてきたように、幕府は諸勢力の自治組織を上手く利用していました。

自治組織を利用したことは、各藩、各村、寺社などは自治統治能力を強めることにもなったのです。

中央の幕府が財政的に苦しい状況になっても、各藩には自治運営能力があったため簡単に幕藩体制が崩れることはなかった、ということですね。

江戸時代が維持できた理由は別の側面からの要因もありますが、この点はまたシリーズの中で述べていきたいと思います。

本稿は以上です。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。 

<参考文献>
・高野信治『近世領主支配と地域社会』(校倉書房、2009年)
・藤野保『江戸幕府の構造』(雄山閣出版、1993年) 
『徳川幕府のしくみがわかる本』 (別冊歴史読本(96号)、新人物往来社、2002年)
・佐藤信ほか編『詳説日本史研究』(山川出版社、2008年) 

【日本史講師対象】江戸時代をいかに教えるかシリーズ
・①~江戸幕府のはじまり~ ・②~大名統制~   ・④~朝廷との関係~

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