移民問題を考える:もくじ
1. はじめに:移民について考えてみよう
「移民は国際問題の1つである」
移民が問題であるとはよく言われることですが、実際にどう問題になっているのでしょうか?
移民といえば、「国境を超えて、他国の人間がその国の人間になること」です。
しかし、その背後には大きな歴史があり、その未来には大きな影響があります。
移民という問題を理解するためには、
世界史と政治経済の両方の視点を取り入れて考える必要があるでしょう。
今回の記事では、
移民にまつわる歴史を簡単にまとめ、
次回の記事ではそうした移民が引き起こす問題について考察していきます。
2. 日系ブラジル人は何人いる?
答えは推定150万人。
個人的にはけっこう多いなと思いましたが、いかがでしょうか?
ブラジルの人口がおおよそ2億人なのに対して、その0.8%が日系ブラジル人ということです。
ちなみに日本での大学受験者数は年間66万人らしいので、日本で大学受験生に出会う確率=ブラジルで日系ブラジル人に出会う確率、といったところでしょうか。
そう考えるとけっこう多いなって思いませんか?
実際ブラジルに行くと、”Takamune"や"Hiroki"や"Takashi"といった名前をよく耳にします。
なぜこれだけ多くの日系ブラジル人が増えたのでしょうか?
その歴史を簡単に見ていきたいと思います。
移民の始まりは1908年
正式に移民が開始されたのは1908年と言われています。
あくまでこの年代が”正式”なのですが、実質的には以前から日本からブラジルへの移民がいました。
なぜでしょう?
これは単純に需要と供給が一致したという背景があります。
まずブラジルでは労働力が不足していました。
今までは黒人奴隷による強制労働でどうにか労働力を確保していたのですが、19世紀に黒人奴隷が禁止され、移民を用いる他なかったのです(ブラジルといえばコーヒーですが、そのコーヒー豆を収穫するためには膨大な労働力が必要となります)。
一方で日本では、日露戦争に勝利したものの、国内の財力は疲弊しており、働き口を求めていたという背景があったのです。
実際にこのようなポスターがあったようです。
本当のきっかけは1924年
ただ、同時期に、アメリカへの移民先も一応は存在していたのです。
実際経済力でいえばアメリカの方が優れていたので、多くの日本人はアメリカンドリームを目指していました。
しかし、1920年代から活発になった黄禍論や移民に働き口が奪われたとして怒るアメリカ人により、1924年、移民を大幅に制限する移民法が定められたのです。
これによって選択肢はブラジルしかないとなり、多くの日本人はブラジルを目指すようになりました。
戦後まで
1930年代から1951年まで、この時代は第二次世界大戦があった時期ですが、ブラジルもその影響に飲まれていました。
ブラジルは連合国寄りでしたので、ブラジルも日本からの移民を制限したり、日系人に対する排外行動も取ったと聞きます。
しかし1951年、サンフランシスコ平和条約が結ばれ、1953年に移民制度は復活しました。
日本経済は回復する最中でしたが、中にはブラジルに移住しようという人もいたようで、数千人が移住することになりました。
そして現在では、150万人を超える日系ブラジル人。中にはブラジルの政界に進出する人も出てくるようになったのです。
※日系ブラジル人と聞くと彼らを”日本人”と思いがちですが、彼らはれっきとした”ブラジル人”であり、文化背景や言語は完全にブラジル人です。
3. アメリカが今までに受け入れた移民の数はどれくらい?
次のサイトによると今までに5000万人を受け入れ、今でも毎年70万人を受け入れているとあります。
(参考URL:http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-portrait-usa01.html)
ちなみに不法移民が毎年25万人増えているそうですので、合計すると100万人。毎年100万人(日本の人口の1%程度)増えていると考えるとすごく多いように感じませんか?
実際、アメリカは世界最大の移民受け入れ国で、”移民の国”と呼ばれるほどです。
アメリカは移民から始まった
そもそもアメリカに住んでいる人がみんな移民と言えます。
というのも、アメリカ大陸の発見以降、多くのヨーロッパ人がアメリカに移住し、その彼らがアメリカ政府を作り上げたためです。
なぜ彼らは移住してきたのでしょうか?
それは、彼らの多くがプロテスタント系であり、ヨーロッパで弾圧を受ける立場にあったからです。
例えばイギリスではイギリス国教会があり、ヨーロッパにはカトリックを信仰する国家は健在だったのです。
信仰の自由から始まったアメリカですが、18世紀後半には独立を果たしました。
それ以降も移民の数は衰えません。
というのも、初期のアメリカは開拓がいくらでも可能だったのです。
少し雑な例になりますが、もし「東の海を渡れば土地が好きなだけ手に入る」と言われたらどうでしょう?
行きたくなりませんか?
日本では地価がすごく高いし、手に入れたとしても農場として使うこともできない。
けれども東の海を渡った先には”無料の土地”がたくさんあるのです。
例を続けてみましょう。
あなたは実際に現地に行き、「ここからここまでは僕の土地」と宣言しました。
しかし、土地を農場にするためには少し広すぎます。
そこで思いつくことは1つ。
「どこからか格安な労働力はないのか?」
これがアメリカの奴隷制度の導入の始まりです。
アメリカへの移民(アイルランド)
移民に関連する出来事として重要な出来事の1つが1845年のアイルランドでのジャガイモ飢饉です。
ジャガイモは生活に欠かせないエネルギー源でしたので、それが飢饉に陥ったとなるとどこかに移住するしかなくなります。
そこで選ばれた先がまたもやアメリカだったのです。
アメリカへの移民(中国)
労働力として使われていた奴隷が禁止されると移民に頼るしかない...このブラジルで起こったロジックはアメリカでも同じでした。
1860年代に奴隷制度が廃止されると代わりの労働力として中国人を用いるようになったのです。
しかも当時は農場関連のみならず、大陸を横断する鉄道(大陸横断鉄道)を建設することになっていたので、よりたくさんの労働力が必要だったのです。
アメリカへの移民(新移民)
次に登場するのは新移民です。
新移民とは19世紀後半からやってきた南欧(イタリアあたり)や東欧(ポーランドあたり)からの移民のことを指しますが、実はこれもジャガイモ飢饉と同じ理屈で発生しました。
当時ヨーロッパでの人口増が原因と言われています。
下がヨーロッパでの人口のグラフですが、1800年〜1900年の人口増加率は今までの比べ物にならないぐらい急になっています。
Honkawa Data Tribune 社会実情データ図録
(引用元:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9010.html
アメリカによるアンチ・移民政策
アイルランド系や新移民が増加してくると当然、移民同士の対立が始まります。
アジア系VS西欧系という形です。
当然、アメリカにもともといた人たちからすれば、肌の色が似ているかつ言語が似ている西欧系に肩を入れることになります。
その結果として、中華系や日系移民に対しては1882年に中国人労働者排斥法、1924年の移民法によって大幅に制限されることになったのです。
現代のアメリカの政策
今ではメキシコやフィリピンといった途上国からの移民が増えています。
そしてその受け入れ数は毎年70万人。
さらに不法移民は500万人ほど滞在していると言われています。
アメリカは移民の国といわれていますが、それは世界史の観点からみても、今の政策の観点からみても変わらないことがわかります。
4. まとめ
移民を左右する要素は需要側と供給側にあります。
【需要側】・農業や建設業といった大規模な労働力が必要【供給側】
・飢餓の発生
・経済の衰退
・迫害
今回の記事では移民に関する世界史の知識をまとめました。
次回はこうした移民がもたらす問題とはどのようなものなのか、世界史を今につなげます。
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