移民問題を考える②:もくじ
↓前回記事: 移民問題を考える①【今と世界史をつなげる】↓
前回記事では「なぜ移民問題が生まれるのか」という問題意識の下で、ブラジルとアメリカを例に移民のはじまりについて見てきました。
今回は、移民の歴史を踏まえながら、それらがどのような問題を引き起こすのかを考察していきます。
移民が引き起こす問題は大きくわけて2つ、雇用と文化です。
雇用の部分については世界史との関連が深く興味深いものです。
一方で文化はまさに現代の重要問題を体現しているもので、また別の興味深さがあります。
1. 移民問題―雇用の問題
簡単に移民の世界史を振り返りましょう。
基本的に移民が発生する要因は、需要と供給の関係から生まれていました。
【需要側】
・農業や建設業といった大規模な労働力が必要
【供給側】
・飢餓の発生
・経済の衰退
・迫害
つまるところ、需要側に対して肉体労働者の要請があるとき、すなわち供給側が経済的に脆弱な場合に発生しています。
これは、より豊かな国が多くの労働力を要請した場合、移民が効率よく機能するということです。
たとえば、日本→ブラジルの移民の場合、日本が経済的に衰退している一方、
ブラジルの経済は、回復傾向で、さらにたくさんの労働力がコーヒー農園に必要とされていました。
また、日本→アメリカへの移民の場合、アメリカでの開拓、農場・工場・建設のための労働力はかなり必要でした。
しかも、アメリカの経済はうなぎのぼり。
誰もが目指したくなる世界です。
このとき移民問題は大きくなりません。
なぜなら需要と供給が一致しているためです。
しかし現代は状況が変わってきます。簡単にリストアップすると、
たくさんの労働力を必要とする第1次産業・第2次産業を途上国が担うようになった
先進国では機械化が進み、農業にたくさんの労働力を必要としなくなった
つまり、より豊かな国での雇用が減る一方で、より貧しい国での雇用が増大するという結果になったのです。
こうなると移民はむしろ起こらない方がよいということになります。
豊かな国からすれば移民を受け入れることで国民のための雇用が減ることを嫌うでしょうし、貧しい国からすれば移民が増えることで国内の労働力の減少を避けたいところです。
しかし、個人に焦点を当ててみれば、その人が豊かな国に行き、なんとか職をゲットすれば祖国にいたときよりも何倍もの給料が手に入るのですから、移住しない手はありません。
これが不法移民までもが出現する理由です。
需要と供給が崩壊したにも関わらず、移民が発生し続ける…
そうなると、雇用の問題がより重要性を帯びてくるようになります。
2. 移民問題―文化の問題
もうひとつの問題は文化の問題です。この問題はさらに深刻です。
皆さんは“日本”という国をどのように考えますか?
多くの外国人はこういうことを言います。
「日本人は礼儀正しい」
「日本人はシャイで自己主張をしない」
もちろんこれらが全て正しいとは限りませんが、仮に移民が100万人来たとして、その移民がどこかに移民の町を作るとします。
それではその町の周辺は、「礼儀正しい人の集団であり、自己主張をしない集団」になりうるでしょうか?
おそらくなりません。
仮にパーティー好きな移民が来たらそこは毎晩うるさくなるでしょうし、日本人でなければ自己主張の激しい地域になるでしょう。
こうなると完全に“日本らしさ”が崩れていることになります。
これが拡大していくと日本人にまつわる“レッテル”が全体的に崩壊することを意味します。
自己主張をあえて避けて、比喩や雰囲気で伝えようとする日本人の奥ゆかしさがなくなることを意味するのです。
私たちは日本人であり、恐らく大多数の人がそこに美徳を感じています。
ゆえに、理由なくそれを「守りたい」と思う。そうなれば、それを壊しかねない移民を排除したくなり、移民に一種の嫌悪感を覚えてしまうのです。
ものが取られたという事件があれば、「日本人はそんなことしないから」というレッテルに基づいた理由で移民を批判し始めるでしょう。
そこで実行されることが文化統合と呼ばれるものです。
言ってみればこれは、移民の人々を現地の人々と同じ感覚を共有させる、あるいは理解させることです。
日本で例えるならば、移民に日本語を始めとした日本の基礎知識、そして日本の美徳あるいはマナー(例えば「奥ゆかしさ」「サービスや商品の質の徹底」「食べ歩きをしない」)を理解させるようなものです。
移民が日本人と似たような行動を取れば、文化の対立が起こることはありません。
似た言葉としては、同化政策というものがありますが、これは移民に日本文化を強制させるようなものです。
例えば日本にいるからといって毎年1月に神社に行くことを強制する、などといったものです。
ヨーロッパではどのような事件が起きているのか?
移民政策として先駆的な国はアメリカではありますが、アメリカはもともとが移民の国なのであまり参考にはならないでしょう。
むしろ独自の文化を持ちつつ、そこに移民を受け入れようとしたヨーロッパが参考になるかもしれません。
ヨーロッパでは各国が移民を受け入れる準備を整えていますが、フランス・ドイツを初めとした国家が移民政策に失敗していると言われています。
フランスは2005年のパリ郊外暴動事件が起こり、フランス人と移民の溝は深まりましたし、最近のシャルリー・エブド襲撃事件では、これが移民2世のイスラム教徒が起こしたために、フランス人の中にはイスラム教徒を追い出せという声が強くなってきます。
一方でドイツでは移民学校で学校崩壊が次々に起こり、教員自身がその教育を諦めるという事態が起こります。これを受けてメルケル首相は「統合政策は失敗した」とコメントしました。
ヨーロッパでは移民政策を推し進めてはいますが、まったく問題がないというわけではなさそうです。
とはいってもフランスでもイギリスでも成功例はかなりありますので、一概には言えません。
文化問題の本当の難しさ
イスラム教徒の女性は肌を公共の場では晒してはいけないということで、ヒジャブをまとっています。
ヒジャブだったらまだいいのですが、アバヤといった目以外を覆うようなものだったら…公共の場にいると怖いと思いませんか?
仮にその人が博物館にいたとしたら、その人がコンビニに入ってきたとしたら…というのも、その人の顔が見えず、監視カメラにも何ものなのかがわからないのです。
コンビニではヘルメットをかぶっての入店を拒否していますが、それと同様のことをアバヤに適用としたらどうでしょうか。
彼らはそれを着用することを宗教上の理由として主張します。
公共の安全と、個人の信仰の自由、どちらを優先すべきでしょうか?
このような問題はあらゆるところで起こっている事態です。
例えばサッカーワールドカップでは安全の観点から、選手はヒジャブをまとってはいけないと言われていましたし、フランスでは先の例題と同様の理由から、公共の場でのヒジャブを禁止しています。
もちろんイスラム教徒はこれに反発しました。
3. 筆者の所見~問題の本質とは~
移民の問題は大きくわけて雇用と文化と述べました。
しかしこの問題はもっと本質的なものにつながります。
「人の生活は生まれによって全て決定されなければならないのか?
私は日本人ですし、幸い家庭にも恵まれていて大きな不幸というものはありませんでした。
今まで一度も○○人になりたいと思ったことはありませんし、世界中で日本人の美徳が讃えられていることには誇りを覚えます。
もちろんそれはどの民族も同じなのでしょうが、中には経済的に困窮しており、それゆえ他国に雇用を求めようとしている民族もいます。
それを道徳や倫理をもって「いけないこと」と言えないのが移民問題の難しさではないかと思います。
例えば以下の画像...
「政府が私を不法な存在だとするならば、それは私がメキシコ人だからだ」
確かに考えてみれば、なぜ人は国籍に縛られなければならないのでしょうか?
メキシコ人がアメリカで働いてはいけない理由、住んではいけない理由は本質的には存在しないはずなのです。
アメリカ政府は「文化を守るため」「雇用を守るため」といっても、それはアメリカ国内に存在する国民の論理であって、メキシコ人に通用する論理ではありません。
さらにいえば、日本人という国籍は本当に素晴らしいもので、どこの国にビザを申請してもたいていは許可をくれます。
時にはオンラインで即日獲得も可能です。
けれども東南アジア出身になればそのチェックが厳しくなり、ビザがおりないということもあるのです。
その人がどこの国籍かによって、生活の幅が決定される
移民の問題は、国籍に内在する本質的な問題を表しているといえるかもしれません。
本稿は以上です。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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