日本史の出発点を探る旅
日本史の出発点となる原始。塾講師としては初めて学ぶ生徒に、苦手意識を植えつけることなくスムーズに学習させていきたいですよね。
生徒も、第1回目の授業で日本史の学習を楽しいと思うか思わないか、教える講師がわかりやすいかわかりにくいかなど受けていく中で判断していきます。
講師の専門性は授業力。ある意味1番の腕の見せ所です。この記事では生徒に原始をどう教えるか1つの参考材料として自らの経験を踏まえた指導法を提示したいと思います。
道具によって区別されていた時代
まずは、日本の先土器時代(まだ土器を使っていなかったことからこの名前がついています)から述べていきたいと思います。
この時期は、歴史学ではなく考古学の分野に入るので、その後の政治史にはそこまで大きな影響はありませんが、歴史の流れとしてはその後の貧富の格差などにつながっていきますのでしっかりと生産活動を理解できるをよう、指導しましょう。具体的には以下のようなポイント工夫すると良いかと思います。
①道具への着目
先土器文化は、地質学上は更新世と呼ばれ、寒冷な氷期とその間の期間である間氷期を繰り返していました。
まずは、 道具へと着目した指導をしましょう。
この時代は何といってもまずは打製石器の存在があげられるでしょう。バーンと打ちつけて作った石器です。はじめは本当に割って作っていただけなのですが、次第に打製石器は発達し、
握槌(ハンド・アックス)→石刃(ブレイド)→尖頭器(ポイント)→細石器(マイクロリス)
と最後は木や骨の柄に石をはめ込むようにどんどん応用されていきます。この部分は黒板の板書だけではなく、実際に資料集を用いて写真を確認させるようにしましょう。
旧石器時代は打製石器を主に使っていたことから付いた名前で、新石器時代はその旧石器に対して磨製石器を使うことから付いた名前です。
ここでもう1歩踏み込んだ説明を生徒にするならば、
旧石器時代のような打製石器ほどは単純でなく、新石器時代の磨製石器ほどそれこそ磨きがかかっていない、中間地点にある石器利用法ということで細石器を使われた時代を中石器時代と呼ぶことも教えてあげましょう。
ちなみに、戦後1949年にアマチュア研究家・相沢忠洋が打製石器を発見するまで日本に旧石器時代は無いものと考えられていました。
相沢忠洋は群馬県岩宿遺跡の中から関東ローム層を見つけました。この関東ローム層は火山灰が堆積してできた地層のため、二本に旧石器時代が存在した事が証明されたのです。
無いと思われていた時代があったのです。いや、見つけたというべきでしょう。
相沢忠洋の粘り強い研究のたまものです。こうした小ネタをはさみつつ、考古学のロマンを伝えてみてはいかがでしょうか?
②気候の変化が与えた影響~日本列島の誕生~
地質学の部分でも少し述べましたが、先土器文化は氷河時代です。火山活動が活発なのがこの時期の特徴です。この時期の生態はどのようなものなのか、センター試験などでよく問われるのでここで少し触れておくようにしましょう。
生態のポイントとしては動物と植物の2点を教えましょう。
<動物> 北方系 マンモス、ヘラジカ
南方系 ナウマンゾウ、オオツノジカ
<植物>針葉樹林 ex.杉や松
上記が氷河時代でおさえておきたい部分です。南方系と北方系をひっくり返す正誤問題が多数過去問にあるので曖昧に覚えないように促せるといいですね。
氷河時代が終わると、地質学的には更新世から完新世へ移行します。
氷河時代が終わると氷河が解け、地表を覆っていた大量の水が流れ込み海面上昇します。(縄文海進)
そして低い土地は水の中に沈みます。
その結果どういうことが起きたでしょうか? ここで生徒に質問してみると実にいろいろな答えが返ってきて面白いですよ。授業する際はぜひ聞いてみてください。
説明するとしたら以下の3点は必須でおさえたいところです
<完新世突入の影響>
・大陸と陸続きだった日本が海で分断され、日本列島が誕生
・石器だけの先土器文化から土器を使う縄文文化へ
・大型動物絶滅
以上のように説明すると良いでしょう。おそらく日本列島誕生がこの時期であることを知っている生徒は意外と少ないので日本列島ができる前のイメージ図と現在の日本地図の列島の地図の違いを見せるとよく驚かれます。日本列島がどのようにできたか平朝彦『日本列島の誕生』(岩波出版)が詳しいので興味がある方は読んでみてください。
③縄文時代→平安時代?
私はよく生徒に「縄文時代から平安時代(初期)までの人間の生活関係でほぼ同じ形を維持したものは何でしょう?」
という質問をします?皆さんはこれが何だと思いますか?
実はこれ、「家」つまり「竪穴住居」なんです。
竪穴住居はワラで作った掘立小屋なのですが、平安初期まで庶民の住居として使われていました。
平安時代は貴族の華やかなイメージがあるからか、これにも驚く生徒は多いようです。
少し話がずれましたが、 縄文土器の話に戻ります。
縄文時代の名前の由来となった縄文土器について話を進めます。
縄文土器は名前の通り縄の目の文様が着いた土器です。最近入試でよく聞かれるのは
初期の縄文土器:豆粒文土器、隆起線文土器
晩期:亀ヶ岡式土器
ですね。他にもどのような用途になっているのかが資料集に載っているのでそちらを利用して説明すると良いでしょう。
④中小動物の増加がもたらしたもの
縄文時代の動物はどうなっているでしょうか?
大型動物は全滅し 、ニホンシカやイノシシなどの中小動物が増えます。そうすると旧石器時代までの良くイメージされるようなマンモスのような大型動物の狩りは無くなります。
そうすることで、今度はニホンシカやイノシシなどの中小動物に狙いが変わります。
この狙いの変化で、動きの素早い中小動物の狩るための弓矢が発達するのです。
また、弓矢の先には動物の動きを仕留めるためのとがった石鏃が使われますし、仕留めた動物の皮はぎをするための石匙という石器もあります。陸上だけでなく水中の動物を釣るために骨角器(鹿などの骨で作った釣り針や銛)などがこの時期から見られます。
このように、石器をただ単に紹介するのではなく、中小動物との関連で説明してあげると教えられた側はスッと入ってくるでしょう。
ちなみに、他には土堀り用の石斧、木の実などをすりつぶすための石皿やすり石などもあります。
以上のまとめとして、縄文時代の特徴をあげるとしたら、狩猟・漁労・採集の3つといえるでしょう。
⑤縄文人の風習
縄文時代で確認したいことと言ったらあとは風習でしょうか。
風習として覚えておきたいのは以下の点です。
・アニミズム:自然崇拝、岩や木などの自然物に霊魂が存在すると信じ崇拝する原始宗教
・抜歯:成人の通過儀礼
・土偶:安産を祈る儀式に使われた人形
・屈葬:死霊の活動を防ぐため
変な風習だなあと感じる生徒も多いかもしれません。でもこれらにはきちんとした理由があって、例えば人間の生殖行動は今でこそ助産師だったり医師の指導の下、立ち会ってもらって高い確率で無事に出産することが出来ますが当時は本当に命がけだったのです。上手く赤ちゃんを産めないことはおろか、下手すると母体が命を落とすことも珍しくなかったそうです。
こうしたことから、土偶は安産を祈るためのシンボルとして作られた人形なのです。
また、当時の人々は火山が起こると今のようにどのような原理でそれが起こっているかわからなかったため、自然災害を自然物に宿る魂が怒って起こしたものと捉えたりしていたのです。アニミズムですね。
抜歯は現代でもよく見るピアスのようなものと言われています。大人になる=痛いことを経験するというのが今も昔にもあるそうで、このような風習があったと言われています。
こういった貴重な資料は当時の人々の出産への思いや、生きざまを描くものです。こうした「物」から歴史を読み解く重要性を伝えましょう。こうした指導をすることで歴史の本質を教えてあげることにもいつながるのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回の記事では日本史を、特に原始の先土器文化から教えるにあたって何をおさえなければならないか、そしてどのように工夫をすればよいのかについて説明してきました。
1つの参考ですが、これ以外に教えたいことも本当はたくさんあります。きっとこの記事を読んでくださっている皆さんもきっと同じ気持ちを味わうでしょう。
どのような授業を作るか自問自答しながら磨き上げていってくださいね。ここまで長文御精読ありがとうございました。