特集記事のサムネイル画像

徹底理解!②弥生時代の教え方

高校生

2021/12/17

弥生時代の教え方

徹底理解!①旧石器時代から縄文時代の教え方」では、日本列島が成立する前から縄文時代までをいかにわかりやすく教えるかについて記事にしました。

本稿は、その続編として、弥生時代をいかにわかりやすく授業するかについて述べていきたいと思います。
いよいよ、弥生時代からは本格的に国際関係や争いも入ってきます。
国際関係はセンターでも2次でも必ず問われる部分なのでしっかり理解させましょう。

弥生時代の特徴

弥生時代の名前の由来は「東京都文京区弥生町」の発掘調査で土器が見つかったことからきています。
約1万年続いた縄文時代とのつながりを意識しつつ、ここではこの時代縄文期との相違点を出発点に学習していきましょう。
今回ポイントとしては以下のようなものがあげられます。

弥生文化のキーワード:「金石併用」

弥生文化のキーワードとしては、なんといってもまず「金石併用」だと言えるでしょう。

鉄

ここで注意したいのは、弥生時代の特徴として「金属器」が登場したのは確かですが、「石器」
もまだまだ使われているということをしっかり教えてあげましょう。よく正誤問題などで

「弥生期に入り、鉄が使われるようになるとそれまで使われていた石器は使われくなった」

というような問題が出題されます。もちろんこれは「誤」です。
私はこの部分を説明するときは、身近なものでたとえています。具体的には

「人気シリーズのゲームの新作などが発売されても1つ前のシリーズが急に世の中から姿を消すことはないでしょう。 少し値段を下げてお店で販売したりしているし、それを使用している人もたくさんいます」

というような感じで説明すると生徒たちは納得した表情を見せてくれます。

さて、金属器については以下の2点を中心に教えるとよいでしょう。

青銅器:マツリゴトに使われる銅鐸などの祭器
鉄器:武器や農具などの実用品

この2つについては区別をしっかりおさえると共に、最近の入試でよく聞かれる「青銅器の分布」についても確認すると良いですね。

分布としては、銅矛・銅戈に関しては九州、平形銅剣は瀬戸内、銅鐸は畿内といったところでしょうか。
あと、近年ニュースでも話題となった島根県の荒神谷遺跡でが銅剣・銅鐸・銅矛が同時に発見されました。
なので、この荒神谷遺跡に関しては例外ですが、何がどの地方で多く発見されたかは資料集とともに提示してあげましょう。

稲作による社会変化

弥生文化のもう1つの大きなキーワードは「稲作」ですね。
中国から伝わってきて、九州から稲作が始まったとされていますが、入試では稲作の伝達経緯よりも稲作による社会の変化に焦点が当てられます。

米

具体的には

<稲作の影響>
・稲作による分業化→身分階級が誕生
・全体を統率するリーダー登場
・米の備蓄量の差→貧富の差
・土地や収穫物をめぐるムラやクニの争い
・吉野ヶ里遺跡のような環濠集落の誕生
・弥生時代後半には大きな戦乱←高地性集落より

といったところでしょうか。教えるにはこの1つ1つとても細かく、正確な知識が必要になります。

ポイントとしてはまずやはりなぜこのような社会の変化が起こったのかというところから話を始めるとよいでしょう。

どの時代でもそうですが、「変化」を説明する際には必ずそうなる前との比較をしましょう。

弥生時代を比較する場合は前時代の「縄文時代」が対象となります。

縄文時代は主に、狩猟漁労採集の時代でした。
「狩猟」では獲物となるマンモスを全員で協力して倒し、その肉を皆で食べ分ける。
「採集」ではどんぐりや木の実などを拾います。そして
「漁労」では魚を骨角器等を用いて獲り必要な分だけ食料としていました。
もう1つだけ言うとしたら、1日の食事のために必要な物を獲る「その日暮らし」色が強かったのです。

では稲作が始まるとどうなるでしょうか?
先ほどの<稲作の影響>の順番にしたがって確認します。以下は私の説明例です。

まず稲作は田を耕す、良質の土を持ってくる、水はけをよくするための水路を作るなど、広大な土地であればあるほど分業化します。

そうなると、例えば「A地点では人が余っているけどB地点は逆に人数が足りていない・・・よし、A地点を担当しているうちの10人はB地点へ移れ」といった指示をだすようなリーダーが登場しますね。

そして米は備蓄ができる食料です。収穫量が多いかつ備蓄を多くすることができればそれが多いムラ・少ないムラでは当然経済力に差が出てきます。これが貧富の差です。

そうなると、例えば土壌の質が悪く、米があまり作れない貧しい地域はどういう行動に出るか?
強硬手段です。米を作るための土地や収穫物を狙った争いが起こります

争いが起こる、つまり攻めてこられる可能性があるとすると今度は対策を練らねばなりません。
それが形となって現れたのが吉野ヶ里遺跡のような環濠集落です。

弥生時代後半には大きな争いが起こります。中国の『後漢書』東夷伝にある”倭国大乱”という記述にもありますが、高い場所で防御にも攻撃にも適した高地性集落が形成されたのです。

というように、社会への影響を前時代との比較などから点としてではなく線になるように生徒たちが理解できれば、1つ1つをわざわざ暗記せず、論理的に覚えることが出来ます。

稲作がもたらした道具

ここまで説明すれば、あとは道具の変化についてもつながりを持って指導できると思います。
まず、弥生後期にはそれまでの湿田から灌漑施設を整えた乾田が増えてきます。

そうなると、湿田の時とは違い、乾いた土を耕すためにはより硬い道具が必要になってきますね。
それが、鉄製道具の普及につながります。

これによって、乾田という生産環境を有効活用でき生産力はアップします。それが先程述べた倭国大乱にもつながります。

あとは、その関連で田を平らにするためのえぶりや田下駄、大足などの紹介、それから米を備蓄するための高ゆこ倉庫などを説明すればひと通り弥生時代の稲作について指導しきれたと思います。

論述対策

最後に、この時代の頻出論述対策への指導を紹介します。前述したとおり、この時代の特徴は稲作の開始なので、個々の部分の論述問題がよく出題されます。例えば

問:「稲作の開始による社会の変化を説明せよ」   

と仮定します。(執筆者作成)
先ほどの説明と少し重なりますが、

論述対策の<変化>の問題への対応策は、
歴史事象の前後の違いを比較すれば、その事象の特徴や歴史的意義が浮き彫りになります。

この問の場合は、前代(縄文時代)と地域性(東日本と西日本)の比較ですね。また、比べるものがはっきりとするように同じ次元で述べるようにしましょう。

それをふまえてこの問の答えとする論述は

稲作を開始したことにより、貧富の差が生まれ身分階級が生まれた。共同作業の際に作業を支持する統率者が現れ、統率者は農耕の儀礼をつかさどり、後々に土地を統治する支配者になったと考えられている。
そして、富をめぐる集団間の対立・抗争の結果、首長を中心に「クニ」と呼ばれる政治的まとまりが各地に見られるようになった。
また、西日本では狩猟・採集経済が行き詰まっていたため急速に稲作は伝わっていったが、物理的な距離がある沖縄や、北海道には同時期に稲作は伝わらず、この時期「南西文化」や「貝塚文化」と呼ばれるような独自の文化を形成していった。
道具面の変化としては、武器への応用が特徴的であり、縄文時代には狩猟の道具であったものが、弥生時代にはこうした争いのための道具とした作りへと機能が増えた。

といったところでしょうか。今回はあえて大学入試で問われるものの中で最も長い350~400字を想定してみましたが、字数が短い論述などでこの問題が出題された場合に最低限入れなければならない要素は
・農耕社会へ移り変わったことで貧富の差ができたこと
・余剰資産をめぐる争いの果てに「クニ」と呼ばれる政治的まとまりが出来たこと
という2点です。論述指導の際には上記の点を中心に指導してあげましょう。

まとめ

いかがだったでしょうか?指導をする際に何をポイントに授業を組み立てていけばよいかについて本稿で述べてきました。

弥生時代にかぎらず、古代~江戸時代までずっと米による経済は大きなテーマです。
そもそも米の登場であるこの時代をしっかりと学んでおくことで生徒の今後の学習内容への心構えができるといえるでしょう。

こうした気持ちから最後は論述対策まで説明させていただきました。長くなってしましたが以上で筆を下ろしたいと思います。長文ご精読ありがとうございました!

 

キーワード

関連記事

新着記事

画面上部に戻る