日本史の時代区分
日本史を教えていると、「ここまでが奈良時代ですよ」「鎌倉時代はイイクニ作ろうで覚えましょう」
などなど、教科書に書かれている時代区分に依拠して各単元を構成されている方が多いと思います。
しかし、これらの時代区分は本当に信頼しきって良いものでしょうか?
今「イイクニ(1192年のこと)」という表現を用いましたが、現在では教科書の記述は「1185年」に変わっています。
この1185年説が採用されたのは、鎌倉幕府の成立年の6つの説の中で、一番”有力”だとされているからであって、決して”確定”ではありません。
さらなる今後の研究成果によっては、また鎌倉時代の成立年が変わってくるかもしれないのです。
つまり、日本史を専門とする講師は「今は1185年で覚えましょう」ではなく、
これが今現在では”最も有力な説”であることを説明した上で、今後も変わる可能性があることをきちんと生徒たちに伝えなければならないのです。
本稿では日本史を教える講師が時代区分をどのように整理したら良いのか、
またこの時代区分がどう作られてきたのかについて
知っておかなければならないことについて述べていきたいと思います。
時代区分のあいまいさ
歴史は時の流れとともに常に変化・発展を続けてきました。その変化は単なる量的な変化ではなく、質的変化ももたらしてきています。
この質の変化が時代の特色として浮かび上がってきますが、それを認識するための方法(分け方)が時代区分です。
さて、まず「○○時代」というので思い浮かぶものは何でしょう?
古い時代からざっくり言うと、
ヤマト→奈良→平安→鎌倉・・・
と続いてきますよね。
しかし、ここで少し引っかかったことがある方も多いのではないでしょうか?
これらは、「政権の所在地」をもとに区分しています。
しかし、それだったら、江戸時代以降は「東京時代」と呼んでもよいはずですが、実際は
江戸→明治→大正→昭和→平成・・・・
「天皇」の名称をそのまま時代に当てはめています。こうしたことからわかるように
日本史の時代区分は時代が一本の明確な基準がないのです。
極めて便宜的なものということですね。この用い方は「政治史」を中心に行われていますが、
他にも経済史や美術史、文学史などは独自の基準を持ち合わせています。
それらは、全く独立するものでもなく美術史の飛鳥や白鳳、天平などは政治史の上でも用いられています。
美術史や経済史のような各分野の時代区分にももちろんそれなりの意味がありますが、それらの分野の動きは政治史や経済と独立して考えられたものも多いのが現状です。
日本史の「時代区分」は非常に曖昧さがあるものだということをお分かりいただけたでしょうか。
後ほど詳述しますが、これらの時代区分が全く無駄なものではないということも予め付け加えておきたいと思います。
共通の時代区分:5区分法
戦後になってから、学界で「共通の時代区分を設定し、採用しよう」という動きが出てきて、
共通のものが考えられるようになりました。それが以下のものです。
5区分法:原始→古代→封建→近世→現代
これは、歴史の変化・発展法則を考えて出てきた概念です。現代の学界では常識化されていますが、一体何が基準となっているのでしょうか。
結論から言うとそれは政治・経済・文化などの諸要因がつながりあっている
社会構成の特質が基準となっています。戦後はもうこの5区分法が圧倒的な立場を誇っていると言ってよいでしょう。
意見がわかれているところも多々あります。しかし、現在有力となっているものを中心に
この各区分の社会構成の特質について簡単に説明をしていきたいと思います。
原始
原始は、旧石器・縄文、弥生さしかかりあたりまでの区分です。
この原始はまだ身分・階級差が成立しない原始共同体の社会ですね。
3世紀の邪馬台国に代表される国家の成立を根拠に古代に移行したと見られています。
しかし、貧富の差をめぐる争いから「クニ」と呼ばれる政治的まとまりが弥生期の頃から見られているので、
弥生期にその古代の始まりを見てもよいのではないか?と意見が別れるところです。
古代
古代のキーワードは「奴隷」(日本的な意味で)です。
3世紀ぐらいから12世紀の武家社会が始まるまでの間を指しています。
貴族が律令国家を作り上げ、部民という言葉に代表されるような隷属民を支配していた時代です。
封建
封建はその名の通り封建領主が農民奴隷的農民(ややこしいですが、正式名称です)を支配する社会のことで、12世紀~19世紀の江戸幕府滅亡までの武家社会と考えられています。
この封建支配が確立したのは、織豊政権期以降であるとして、封建の時代をこれ以降とする考え方もありますが、現在では封建制が次第に確立されていった鎌倉・室町時代を前記封建制(中世)・
織豊政権期以降は中央集権型の封建制が樹立された後期封建制の時代(近世)とされているのが一般的になっています。
近代
近代のキーワードはご存知「資本主義」ですね。
近代を語る上で「資本主義」を抜きにして語る学者は基本的に怪しいと思って間違いないくらい、この「資本主義」というキーワードは重要です。
しかし、これも近代の始点をどこに置くかは非常に議論が分かれるところであり、最近では国内的要素に外的影響も加わった開国期から考える見方が有力になっています。
高校日本史教科書で最も使われている山川出版社もこれを採用しています。
現代
現代も資本主義社会であるため、近代との切り分け方がまた曖昧になってしまうのですが、
今では一般的には太平洋戦争後、日本がアメリカ(資本主義)側に属して民主化を遂行し始めた時点からを
現代と考えています。あえてこの「現代」のキーワードをあげるなら「資本主義」に加えた「民主主義」
といったところでしょうか。
まとめ
ここまで、5区分について概説的に述べてきました。上述した「時代区分が全く無駄なものではない」
と説明したのはこれらの時代区分がこうした学界で統一した基準(意見は分かれていますが)を根拠に組み立てているものだからです。
しかし、それが学界で認められてはいても、その始まりと終わりについての考え方は一定するものではありませんし、むしろ一定しないほうが健全です。
なぜなら社会構成の変化というものは突然に行われるものではありません。
江戸幕府を滅ぼして作り上げた明治時代が実は江戸時代のシステムをかなり受け継いでいたのと同じように
仮に今日と明日で時代の名前が変わったとしても、社会の中の何もかもが急に180度変化することってありえないことですよね。
時代区分というのは歴史を理解するための手段であると主に、歴史で理解すべき内容を示すためのものくらいで抑えておくほうが良いかもしれません。
なので、最後に日本史を教える講師の方に1つどアドバイスをして本稿の締めとしたいと思います。
時代区分が本当にあっているかどうか常に疑いの目を持ちましょう。
教科書の記述や学説を鵜呑みにするのではなく自分自身で研究して歴史像を磨き上げていってほしいということです。
具体的な方法としてはやはり歴史の「一次史料」(よければ拙稿「日本の歴史を教える心構え~古文書学編~」http://www.juku.st/info/entry/707をご参照ください)や「論文」調査にあたってみましょう。
きっと、学説で言われていることが何故有力なのか手がかりをつかめるはずです。
こうした時代区分の勉強をすることで、なぜ区切られているのかを多面的に考察することができ、
より洗練された時代像を生徒たちに伝えられるようになります。
中々大変な作業ですが、きっとやってみると面白さのほうが勝ると思います。
今回の記事で、日本の歴史時代はどのようなメスの入れ方がされているのかについて、講師の方を対象に
日本史を教えるための前提基礎となる部分について述べさせていただきました。
授業を教えるための予習の際に何かの参考になればと思います。
以上です。ここまで長文ご精読ありがとうございました!