沖縄県での米軍基地問題
前稿「なぜ、沖縄に米軍基地が集中しているのか」(URL:http://www.juku.st/info/entry/966)では、
沖縄に米軍基地が作られることになった背景について以下の3点を追うことで生徒に理解させる指導法を
ご紹介いたしました。
<基地施設の流れ>
(1)太平洋戦争における沖縄戦で米軍勝利
(2)占領、そして米軍は本土攻撃のための基地整備
(3)日本降伏(1945.8.15)~東西冷戦開始、米軍の対中国、台湾戦略の一大拠点となる
簡単におさらいをします。
太平洋戦争が終盤にさしかかった1945年3月23日よりアメリカ軍は「アイスバーグ作戦」という沖縄攻略作戦を実行します。
最終的に摩文仁の丘で牛島満司令官が自決するまで日本軍と米軍による戦いは続き、6月23日に地上戦は終戦を迎えます。沖縄地上戦に勝利した米軍は本土攻撃のための基地を整備します。
これによって、沖縄には本格的な米軍基地が大量に設置されてしまいます。
終戦後も東西冷戦の国際情勢のもと、無くなるどころかその重要性はますます増すことになり、
基地は減るどころか増えてしまったのです。
簡潔ではありますが、ここまでが沖縄に米軍基地が集中することになった経緯です。
前稿では扱いきれませんでしたが、沖縄は米軍による直接統治が終わる1972年に日本の復帰を果たした後も
米軍基地の兵士による犯罪や、離着陸時の騒音、堕落の危険と隣合わせである事など、
今でも何も解決していない問題がたくさん残っています。
昨今、普天間基地の辺野古への基地移設問題がとても重大な問題となっています。
2015年以降の入試にも時事問題として、これらのトピックに関連することを出題する大学があるかも
しれません。
よって本稿では、高校卒業後間もなく主権者となる高校生たちに
現代日本が直面している沖縄復帰後の基地問題を考えてもらうための指導法をご紹介したいと思います。
沖縄での基地反対運動
2001年6月、沖縄県北谷町にて20代女性が暴行される事件が起こりました。
警察に被害届が出され、捜査をした結果、浮かび上がってきた容疑者は沖縄に駐屯している
アメリカ軍の24歳の軍曹でした。
しかし、容疑者がわかり、逮捕状をとれても沖縄県警はすぐに逮捕できませんでした。
逮捕が出来たのはそれから4日後。後ほど詳述しますがこれは「日米地位協定」による障壁が
あったためです。
このように、すぐに逮捕が出来ない、逮捕すら出来ないというのは今に始まった問題ではありません。
特に県民の怒りを招いたのは1999年の小学生の女の子が同じく3人のアメリカ兵に暴行された事件です。
この時も、警察が任意で取り調べ、検察が起訴することによってようやく身柄が日本側へと
引き渡されたのです。
沖縄では、1972年の日本に復帰してからもアメリカ兵による犯罪が起こるたびに
「日米地位協定」が大きな問題になってきました。
県民からすれば
「米軍基地があるからこんなことになるのだ」「日米地位協定だけでもなんとかならないのか」
こう思い、声を上げるのは必然のことかもしれません。
授業ではこうした身近なトピックから核心に迫る展開にすると生徒も切実性をもって授業に望むことができます。授業の導入部分では現代的な問題を扱っていくようにすると効果的です。
日米地位協定と日米安全保障条約
さて、それでは「日米地位協定」とはいったい何なのか。具体的な中身に入って行きましょう。
まず言葉に「協定」という文言が入っていることから、これが約束事であるということは容易にイメージが付きます。
何の約束かというと、あまり良くない例えですが、日本にいるアメリカ兵が犯罪を起こしたとしましょう。
警察は身柄の確保に動きますが、犯行後この法を犯したアメリカ兵が米軍基地に
入った場合には、日本の警察は原則として逮捕できないことになっています。
逮捕できる時は、現行犯である場合のみなのです。
それでは、一体何故これほど日本、何より沖縄にとって不利な内容が認められているのでしょうか?
ここに日米の約束事がもう1つ隠れています。
それが、「日米安全保障条約」というものです。
「日米安全保障条約」は、アメリカが日本の安全を守るために、軍隊を駐屯しているのだから
兵士が活動しやすいように、「日米地位協定」によってアメリカ兵の「地位」を守りましょう。
という「日米地位協定」との関連を含んでいるのです。
これは日本に限ったことではなく、アメリカは韓国、そしてドイツなどにも軍を駐留しており、これらの国においても同じような内容の「地位協定」を結んでいます。
「日米地位協定」の運用をどう見るか
しかし、沖縄県民からしてみれば、「日米地位協定」があるからといってアメリカ兵の犯罪を黙認していくわけにはいきません。
特に前述した1999年の少女暴行事件をきっかけに、日米地位協定に対する批判が集中し、
日米で「日米地位協定」の運用について協議の場を持つことになりました。
その結果、この「日米地位協定」の運用の見直しをすることにまで話をつけることが出来ました。
しかし、その見直しとは殺人、強姦などの悪質な事件をアメリカ兵が起こし、日本の警察がアメリカ
に容疑者を引き渡すよう依頼した場合に、アメリカは「好意的配慮を払う」ということになっただけでした。
この「好意的配慮」とは要するに、日本からの申し出があった時に「なるべく善処します」という方針を示したに過ぎない頼りなさこそあれ、具体的に「~します」という事は含まれていません。
この「好意的配慮」を払うという協議の結果が出た後に、2001年6月に先述した20代の女性が暴行される
事件が実際におきます。
協議の後ということもあり、ここでのアメリカの対応が注目されましたが、結果はそれまでと同じように容疑者の引き渡しを渋りました。
アメリカは引き渡しに難色を示したのは「容疑者の人権を守るため」という説明しました。
いったい、暴行されてしまった「被害者の人権」はどこにいってしまったのでしょうか。
最後にこれに関連して米軍による犯罪件数を示します。
沖縄が日本への復帰を果たした1972年から1999年までの間にアメリカ兵による犯罪は4593件発生しています。そのうちの523件が殺人、強盗、強姦、放火などの悪質な事件です。
これらの数字を講師の皆さんはどう捉えるでしょうか。授業での具体的な扱いは講師の皆さんの裁量次第ですが、良ければ時間があるときに他県と比較するなどしてこの数がいかに多いかを調べてみてください。
まとめ
沖縄が日本に返還された1972年に比べて、日本本土米軍基地の面積は60%縮小しました。
しかし、これに対して沖縄では15%しか減っておらず、未だに県の面積の5分の1が米軍基地という状況です
この米軍基地の割合のあまりの大きさに対し、「基地の中に島がある」という表現があるほどです。
1995年にアメリカ国防次官のジョセフ・ナイは『東アジア戦略報告』をまとめ、東アジア戦略の方針を打ち出しています。
その方針の中で、「今後もアジア太平洋地域に安全のため10万人のアメリカ軍を東アジアに駐留する」
ということを明確に宣言しています。
3万7000人の在韓米軍、そして4万7000人の在日米軍が東アジアには置かれています。
数の割合から見ても特に重要視されているのは上記の2つであることは間違いないといえるでしょう。
在日米軍は沖縄に73.9%が集中しています。
冷戦が終わってからも、沖縄の米軍基地はこれまでと同じように重要であるとされており、
これを縮小するという動きはいまだに出ていません。
現在も全く解決していない基地移設の問題をめぐり、沖縄県民は声を発しています。
これまで、アメリカ、そして日本の間でたくさんの犠牲を払ってきた沖縄からのこの声をどう受け止め、
それに答えていくのか。
それが今後政治の主権を担う若い世代の生徒たちが考えていかなければならない問題なのです。
そのために授業ではどう生徒たちにこの指導をどうすればよいのか、
1つ参考にしていただきたいと思い、本稿を執筆させていただきました。
内容は以上です。ここまで長文ご精読ありがとうございました!