特集記事のサムネイル画像

【地歴科講師必見】わかりやすい朝鮮戦争の指導法②「開戦初期の動き」【高校生・日本史】

高校生

2021/12/17

朝鮮戦争の開戦

前稿「朝鮮戦争の指導法①『対立の背景』」では、戦後約36年に及ぶ日本の植民地支配から脱した朝鮮半島に今度はソ連が北から南下し、南側からはアメリカが支援をするという冷戦の構造がいかにして形となっていたのかについての説明を致しました。簡単におさらいをします。

戦後ソ連が朝鮮半島の北側から南下し、その影響力を伸ばします。アメリカは朝鮮半島全てがソ連の影響下に入り、東アジアで強い影響力を持てなくなってしまうことを恐れていました。朝鮮半島には東西冷戦の大きな波が押し寄せていたのです。
しかし、この段階では大きな武力衝突は起こらず、北緯38度線を境界線とすることで手を打ちます。
その後韓国と北朝鮮はそれぞれの形で1948年に誕生し、小さな武力衝突はありつつも大きな戦いには発展しない状態で2年ほど均衡を保っていました。
しかし、1950年6月25日に38度線を破って北朝鮮が韓国に侵攻し、全面的な戦争が開戦します。

ここまでが前稿の内容でした。
本稿では朝鮮戦争が開戦し、韓国側をアメリカが支援することによっていよいよ本格的なぶつかり合いの戦い
が始まる初期段階の指導法をご紹介します。
授業での指導を通して生徒たちが授業後に
朝鮮戦争の開戦は国際的にどのような影響を与えたのかということを説明できるような指導法をご紹介します。

アメリカ参戦と自衛隊

1950年6月25日の明け方に北朝鮮が38度線を越えて韓国側へと侵攻するという状況を理解したアメリカ大統領トルーマンは直ちに韓国への全面支援を表明します。
前稿で最後の部分にお伝えしましたが、韓国への米軍支援部隊は当時駐留していた日本から約7万5000人
参戦します。当時アメリカ軍はすでに韓国からほぼ撤退しており、韓国内には僅かな数の軍事顧問しかいなかったからです。

この7万5000人という数は当時の日本に駐留していた米軍兵士ほぼ全てでした。
そうなるとどうなるか。日本はすでに戦後GHQによって徹底的に非軍事化を進められていたため、
旧日本軍はすでに解体されており、軍事的に空白地になってしまいます。
その状況を知ったソ連が東アジアでの勢力を拡大するために日本へと侵攻してくるのではないか、という
ことをアメリカは恐れました。

そこで、アメリカは日本政府の吉田首相に対して、「National Police Reserve」≒「警察予備隊」の設置を
命令します。(形式上は「許可」)
この「警察予備隊」こそ、後の「自衛隊」の前身です。

自衛隊
具体的な内容として約7万5000人の増員をすることが織り込まれています。この数が上記の韓国に出動した
米兵の数と同じ規模であることからも、アメリカがいかに軍事的な空白地を恐れたかが伝わってくるのではないでしょうか。朝鮮戦争を学ぶことは、このように現代盛んに議論されている自衛隊の成り立ちを考えることでもあるのです。

開戦の責任はどちらにあるか

本シリーズでは「北朝鮮が北緯38度線を破って韓国を侵攻してきた」という説明を繰り返ししていますが、
実は開戦後北朝鮮は「韓国側が攻撃してきたから反撃したのである」と説明していました。
自分たちのやっていることは侵攻ではなく反撃であると主張したのです。
主張

狙いとしては、自国の行為の正当性を合理化しようとしていたことが推測されますが、朝鮮戦争の「展開」
を見る限り、説明がつきません。
その理由として、①開戦前年(1949年)の動き
→中国からは兵器・装備と朝鮮系中国人部隊が約3万人送り込まれていた
②開戦直前
→北朝鮮は北緯38度線付近に軍隊を集結させていた
③装備の差
→北朝鮮はソ連が1948年に撤退する際に主要な武器(T34という強力な戦車など)を軍に提供していたのに対し、韓国軍は戦車を一台も持っていないなど、装備の歴然とした差がある中で韓国から仕掛けるとは考えられない

の3つが在ることから、現在では北朝鮮の当時の北朝鮮の首相金日成が南半分を「解放」するという名目で侵攻したと見てほぼ間違いないと捉えられています。

国連の動き

さて、この朝鮮戦争での出来事に、国際連合はどのような反応を示したのか見てみましょう。
これまで国際連合について説明をしたことがなかったので簡単に概要だけ確認します。
国際連合は1945年10月に発足します。国際平和の維持と、経済や社会に関する国際協力を主たる活動の目的としており、原加盟国は連合国51カ国であり、アメリカ・イギリス・ソ連・中国・フランス
常任理事国として拒否権を持ち、強い権限が与えられており、活動の目的であれば武力的制裁も認められています。

その国連は朝鮮戦争の開戦日である1950年6月25日の夕方5時に北朝鮮に対して戦争行為の即時中止と北緯38度線への撤退を要求する決議をします。
しかし、北朝鮮は6月28日にソウルを占領するなど、戦争行為を止めるどころか進撃を続けます。
こうした背景もあり、国連は7月7日に国連軍を創設し、武力制裁を行うことを決定します。

国連
この国連軍ではアメリカ大統領トルーマンが任命する司令官(マッカーサー)の指揮下に部隊を派遣するよう勧告し、アメリカを含め16カ国が軍隊を朝鮮に派遣します。

さて、ここで1つ疑問として浮かび上がってくるのが、北朝鮮の背後にいた「ソ連は何をしていたのか」ということです。
国連の安全保障理事国にソ連は入っているので拒否権を持っているのですが、対抗するアメリカが北朝鮮に対して武力制裁をしようとしていたのにこの時は行使しなかったのでしょうか。

実はこの時ソ連は国連の決議の場に欠席をしていました。
その理由は、常任理事国に入っている中国がこの時期では「中華民国」とされていたからです。
すでに中国大陸は「中華人民共和国」となっていたのに、台湾の位置にある「中華民国」が常任理事国として
認められていたのはおかしいと抗議のボイコットをしていました。
こうした事もあって、国連の決議は滞り無く進み、国連軍の派遣も時間がかからずに決まりました。

しかし、国連軍の中でメインとなった米軍も日本からの派遣で装備をちゃんと準備できておらず、北朝鮮の勢いを中々止めることが出来ません。先述したT34という戦車は非常が強力だったからです。
戦車

韓国軍は戦車を1台も所有していなかったのに対し、この強力な戦車を北朝鮮は250両も所有していました。
対戦車砲というもので反撃をしてもこの硬い装甲には敵わず為す術なく北朝鮮の南下が続きました。
地図帳などを用いて確認していただきたいのですが、北朝鮮はこの勢いに乗って最大で韓国・国連軍を最南端の釜山一帯まで追い詰めることに成功します。まさしく韓国側にとっては「崖っぷち」の状況になりました。

まとめ

本稿では、朝鮮戦争が開戦して初期の段階ではどのような動きがあったのかを出来る限り国際的な
視点を取り入れて指導する方法をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。

冒頭の部分でもお伝えしたのですが、特に日本の現代でも大きな話題になっている「自衛隊」が誕生するきっかけとなったのはまさにこの隣国朝鮮半島での出来事でした。
「集団的自衛権」の事で今後生徒が考えていくために、「そもそも自衛隊はどのような目的で生まれたのか」
という事にまでしっかりアンテナを貼ることが出来るようにするためにも歴史的経緯を深く指導することが重要なのです。

さて、開戦初期は北朝鮮の猛攻が続き、非常に苦しい立場に置かれた韓国・国連軍ですがこの後どのように
反撃に出て、現在の韓国側を守るようになったのかについてまた次稿でお伝えしたいと思います。

本稿は以上です。ここまで長文ご精読ありがとうございました!

キーワード

関連記事

新着記事

画面上部に戻る