領土問題をどう捉えるか
2010年9月、海上保安庁の巡視船に中国の漁船が体当りしてくるという衝撃的な映像を目撃した方は多いのではないでしょうか。
現在、戦後史の中でも、
日本と隣国の中国・韓国との関係が、最も冷えきっている時期の1つであるとされています。
第2次世界対戦をめぐる歴史認識の問題や戦後補償責任の摩擦に加えて、
”ここからここまでが自分のもの”という領土問題も、課題は山積みであるといえるでしょう。
この問題については決着がついていないため、直近の入試に出る可能性は低いと思われます。
しかし、受験を越えて今後有権者となって日本の政治を動かす立場になる高校生に、現代社会をしっかり理解するための教養を身につけさせることが重要であるはずです。
本稿ではこうした思いから、それを教える社会科講師の皆さんに考えていただきたいことをご紹介していきます。
それにしても、
一体なぜこの領土問題というのは中々着地点が見えないのでしょうか?
ここから詳しく述べますが、領土問題の裏側には経済的な利権や歴史の捉え方など様々な部分が関わっています。
本稿を御覧頂いている皆さんにも下線部の視点を持ちつつ、尖閣諸島を巡る議論は何が問題となってきたのか読み進めて頂けたらと思います。
本稿では以上のような問題意識から、
尖閣諸島を巡る日本と中国の議論
を生徒がしっかり理解できるような指導法をご紹介します。
尖閣諸島とは?
領土の問題ですので、地図帳を片手にご覧下さい。
沖縄から南の方に目を向けていきますと、沖縄と台湾の間に浮かぶ島々が見えてきます。
これが尖閣諸島です。
ここは非常に穏やかな海流の上に位置しており、高級な魚(マグロ、タイなど)を多くとることが出来る絶好の漁場になっていました。
しかし、尖閣諸島を巡る問題が表面化してからは、ここで漁を行う日本の漁師はいなくなります。
漁をしている最中に中国、台湾の漁船に偶然出会ってしまうと危険な威嚇をしてくるため、危険度が高いからです。
現在も尖閣を巡る領土問題は緊張状態が続いており、この付近を航海するのは漁船ではなく、海上保安庁の巡視船約50隻です。
このように、近年尖閣諸島をめぐる対立はより表面化してきました。
ではそれにはどのような歴史的背景があるのか。
ここから確認していきましょう。
尖閣諸島は何県か
尖閣諸島はどこの国の領土なのでしょうか?
歴史を振り返ってみると、第2次世界大戦後、日本が独立を果たしたサンフランシスコ平和条約に行き着きます。
条文の該当する部分を見てみましょう。
第2条(b)
「日本国は、台湾および澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を棄権する」
第3条
「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)・・を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする」
引用元:『サンフランシスコ平和条約』
というように、
”台湾は返還をし、沖縄県についてはアメリカの信託統治の下におくこととする”
この部分までは大きな歴史の流れとしてよく知られていることですね。
それではこの時点での尖閣諸島はどう位置づけられているのかが問題になります。
もし尖閣諸島が元々沖縄県であると認められたら、アメリカが信託統治する範囲内に入りますし、尖閣諸島が台湾に帰属するとしたら中国(この時は中華民国)が権利を持つことになります。
連合国軍の筆頭アメリカはここで尖閣諸島を沖縄県の一部としてその島の名を記載しました。
公に沖縄県の範囲としたのです。(ちなみに、今現在尖閣諸島は石垣市となっています。)
これに対して、中国は同じ連合国の立場にいましたが、このアメリカの決定に抗議していませんでした。
積極的な肯定の姿勢を出しているというわけでもないのですが、アメリカの決定に対して大きな異議申立てもしていません。
問題が表面化したのはいつか
ところが、1960年代に問題は一気に動きを見せます。
きっかけとなったのは、
1968年に行われた国連東アジア経済委員会による海域の海底調査でした。
海底における資源の状況について、尖閣諸島の付近には石油が埋蔵されている可能性があるという調査結果が報告されます。
さらに翌年、より詳しい調査でその石油は中東の原油産出国、イラクに匹敵するものかもしれないことがわかったのです。
このことがわかってすぐ、中国と台湾が尖閣諸島の領有権を主張し始めました。
中国の主な意見は以下のものです。
<中国>
「尖閣諸島は昔から台湾に帰属する島である。尖閣諸島は日本が日清戦争によって奪い取ったものなのだから中国に領有権を返してしかるべきだ」
と主張します。
しかし、日本は日清戦争がはじまる以前から尖閣諸島を国有化していたと反論します。
事実、1884年に古賀辰四郎という人物がこの島を訪れ、当時の日本政府に貸与以来をしてから調査を開始して1895年1月に沖縄県の一部とすることを閣議決定していました。
ですから、これは日清戦争に勝利して奪い取ったものではないと主張しているわけです。
日本と中国でどう話し合ったか
さらに、1971年日本とアメリカの間で「沖縄返還協定」が結ばれた時、返還する島で沖縄県を含む琉球諸島、大東諸島を経度・緯度によって明示します。
この緯度・経度の中に尖閣諸島は、しっかり日本側の範囲内に組み込まれています。
中国は先述した石油という利権への思いに加えて、先のアジア太平洋戦争にまでさかのぼり、
「戦時期に奪い取られた領土を取り返すのだ」という感情も加わっています。
尖閣をめぐる歴史的事実云々よりも、こうした感情というのが領土問題には関わっているのです。
この問題について、初めて政府間で話し合ったのは1972年に田中角栄首相が中国を訪問した時でした。
この時、日中国交正常化をするために周恩来首相と会談に臨んでいます。
中国は、当時ソ連と対立をしていました。対ソ包囲網を形成するには、日本と友好関係を築くことが重要と捉えていたのもあり、会談当初から柔軟な姿勢を示しています。
その中で、尖閣諸島について以下の様なやりとりが記録されています。
田中総理「尖閣諸島についてどう思うか?私のところに、いろいろ言ってくる人がいる。」
周総理「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない。」
引用元:データベース『世界と日本』
先述したとおり、田中角栄が中国を訪問する少し前から、尖閣諸島の領有権を中国は主張していました。
しかし、この時中国は領土問題以上にソ連との外交問題が逼迫していたのです。
(この点についてはまだ別稿でご紹介します)
こうした背景から、尖閣諸島の問題について、そこまで強気に出ずに問題を先送りにした、ということですね。
日本は、沖縄返還協定などで尖閣諸島を巡る議論は有利な状況にあったがゆえに、領土問題についてはここで一気に決着をつけなくてもよいと判断したのかもしれないのですが、正確なことはわかっていません。
このことに関しても、これ以上追求したという記録は残っていないのです。
まとめ
本稿ではここまで尖閣諸島を巡る問題がいかにして展開してきたのかということをご紹介してきました。
最後に指導のポイントをまとめると、
テーマ:尖閣諸島を巡る領土問題
◯尖閣諸島とは
(1)沖縄と台湾の間にある諸島
(2)尖閣諸島は漁業の聖地?
(3)今尖閣諸島付近にいるのは海上保安庁の船
◯尖閣諸島は何県?
(1)サンフランシスコ平和条約
(2)尖閣諸島は沖縄県の決定に中国はどう対応したか
◯問題が表面化した1960年代
(1)石油が埋まっている?
(2)「尖閣諸島は元々私達のもの」
(3)尖閣諸島をめぐる歴史
◯日中首脳会談
(1)国交正常化の話し合いの中で
(2)尖閣諸島は先送り?
という順番で説明をすれば尖閣諸島を巡る問題の何が議論となってきたのか、生徒はしっかり理解できると思います。本稿は歴史的な部分を中心に指導する方法をご紹介しました。
本稿は以上です。
ここまで長文ご精読ありがとうございました!
【あわせて読みたい記事】
・【社会科講師必見】現代社会をわかりやすく教えるコツー「在日朝鮮人」を考える①