特集記事のサムネイル画像

江戸幕府と朝廷の関係。

高校生

2021/12/17

シリーズ第4弾!~武家政権と朝廷~

「江戸時代をいかに教えるか」シリーズも第4弾まで来ました!

前記事「【日本史講師対象】江戸時代をいかに教えるか③~諸勢力との関係構築~」では、

  1. 江戸時代の支配体制について
  2. 幕藩体制
  3. 村の統制
  4. 寺社統制

をお伝えしました。

シリーズでは大名や、寺社を江戸幕府がいかに統制してきたかを紹介しています。

本稿では、これまで言及できなかった「朝廷」との関係に焦点を当て、

幕府が慎重かつ大胆に関係を築かなければならなかった朝廷との関係

を生徒にわかりやすく説明する方法をご紹介します!

コンテンツ

1.将軍という存在~支配の正当性とは~
2.江戸時代における幕府と朝廷の関係
3.禁中並公家諸法度
4.紫衣事件

1.将軍という存在

江戸幕府とは約260年間における泰平の世を作り上げた武家政権のこと。

歴史学では一般的にこのように定義されますが、

支配体制の根幹にあったのは幕府だけなのでしょうか?

まずは、この点について考えてみましょう。

徳川家康からはじまる15代が授けられた「征夷大将軍」という官職を思い返してみてください。

この「征夷大将軍」という役職は、

古代、朝廷がその権力に従おうとしない東北地方の蝦夷を武力で屈服するために生み出した

令外の官※”です。

※令外の官・・・律令国家の令に規定のない、新設された官職のこと。

つまり、もともと阿弖流為を中心とした東北地方の服属しない人々(蝦夷)を武力征伐する将軍

という名目で設置されたのが「征夷大将軍」の始まりだったのです。

そんな「征夷大将軍」は鎌倉幕府を開いた源頼朝以降、

朝廷が公的に武家の棟梁としての地位を保障する官職となりました。

支配の正当性とは

歴史学における”天皇制”の議論は、果てしなく奥行きがある議論であるため、ここでは割愛しますが、

武家政権を担う者にとって”天皇が認めた武家のリーダー”というお墨付きは、

支配の正当性を示すためにどうしても必要なものなのです。 

少しおさらいしましょう。

近世を切り開いた織田信長は足利義昭を征夷大将軍とする手助けをしました。

そして、足利義昭の将軍就任後、信長はその効力を上手く利用しながら、天下統一を進めた時期があります。

<参考>「【日本史講師対象】織田信長の天下統一過程を詳しく指導する方法②

織田信長亡き後に天下統一を進めた豊臣秀吉も、天皇との結びつきを深め、

最終的には天皇と非常に近しい存在である関白に就任しました。

関白という地位を獲得した秀吉は、その後聚楽第という場所に諸大名を集め、

後陽成天皇の前で忠誠を誓わせました。

「豊臣秀吉に背くことは後陽成天皇に背くこと」という構図を作ったわけです。

秀吉は、百姓出身であるため、血統的に貴種でなければならない将軍にはなり(れ)ませんでしたが、

関白という地位を利用することで、前述したような天皇からのお墨付きを手に入れたのです。

<参考>【日本史講師対象】豊臣秀吉の天下統一過程を専門的に指導する方法

<ここがポイント>

支配の正当性を根拠づけるには朝廷から授かる「将軍」という地位が必要不可欠だった

2.江戸時代における幕府と朝廷の関係

将軍、そして天皇との関係の重要性を確認した所で、徳川家と朝廷のつきあい方を考えてみましょう。

関ヶ原の戦いを制した徳川家康は、1603年に朝廷から征夷大将軍に任命されます。

これをもって全大名に対する指揮権を正式に手に入れ、江戸幕府を開くことができました。

皇居

後ほどまた詳しく言及しますが、江戸幕府は、禁中並公家諸法度というものを定め、歴史上初めて天皇家の行動に規制をかけていきます。

実質的な力関係において朝廷の上に立ち、その圧倒的な支配力を強めていったのです。

しかし、ここまで述べてきたとおり、征夷大将軍という職が、

天皇を中心とする律令制の官位である
こともまた事実です。

実質的な力は徳川幕府が握っても、形の上では朝廷の家臣である、というわけです。

これは、幕末において薩長を中心とする新政府軍に官軍、旧幕府軍に賊軍のレッテルを貼ることにも関係してきます。

まだ先の話ですが、よければ是非頭の片隅に入れておいて下さい。

話を戻します。

15代にわたる徳川政権は、武家の棟梁を意味する征夷大将軍を利用して支配の正当性を世に知らしめていました。

ということは、その官職を利用していくには、任命する朝廷とも安定した関係を築かなければなりません。

そして、江戸幕府が主導で政治を進めていくためには、天皇・朝廷が権力をふるったり、

他の大名と結びついて幕府の脅威にならない仕組みを作る必要性がありました。

つまり、安定した関係を築きながらも、実質的な力関係で幕府は朝廷を上回らなければならないのです。

<ここがポイント>

実質的な権力を握るには、朝廷の権威を利用しつつも、それを最小限にとどめる必要があった

3.禁中並公家諸法度

さて、実質的に力関係は幕府のほうが上と述べましたが、具体的にどう上に立ったのでしょうか?

第1に、天皇の即位についてです。

1611年の後水尾天皇擁立の際には、徳川幕府の意向に従わせるまでに力の強さを見せつけました。

天皇家の中で不穏な動きがないかどうか、譲位や即位の際もしっかり目を通すことが主たる目的でした。

そのために幕府は、朝廷監視の京都所司代を設置し、

幕府と朝廷の連絡窓口となる武家伝奏という役職も作っています。

第2に、その力関係を示す法的根拠:禁中並公家諸法度です。

これは武家諸法度・元和令と同じく1615年に金地院崇伝によって起草されました。

史料をご覧ください。

<禁中並公家諸法度>
「一、天子御芸能之事、第一御学問也。
(中略)
一、紫衣の寺は、住持職、先規希有の事也。近年猥りに勅許の事、且は臈次 を乱し且は官寺を汚す、甚だ然るべからず。向後においては、其の器用を 撰び、戒臈相積み、智者の聞こえあらば、入院の儀申儀申沙汰有るべき事。」
                                引用元:『徳川禁令考』

冒頭の「天子御芸能之事、第一御学問也。」という部分は、
天皇家にとって第1に専念すべきは学問であると定義しています。

その他の詳しい内容については、実際の史料集をご覧頂きたいのですが、

重要なことは、天皇の行動の大半を武家の法度が制限していることです。

天皇の行動を武家が規定した理由については前述したとおりですが、

朝廷の動きが細かく規制されたのは、日本史上初めての出来事です。

元号を改めることや、貴族に官位を授けるという天皇家の細かい特権にも幕府の同意が必要となりました。

<ここがポイント>

禁中並公家諸法度によって、幕府は日本史上初めて法度によって朝廷の動きを統制した

4.紫衣事件

こうした法的根拠を応用した事件が起こります。

1629年、後水尾天皇が大徳寺などの僧侶に対して紫衣を与えたことにはじまる一連の紫衣事件です。

後水尾天皇
紫衣とは高僧にのみ与えられる紫色の袈裟・法衣のことなのですが、

問題は天皇が幕府に無断で与えてしまったことでした。

前述した禁中並公家諸法度の史料をもう一度御覧ください。

幕府は、紫衣着用の勅許をする際には「事前に申し出ること」と規定されています。

この内容を根拠に幕府は、後水尾天皇の勅許を無効にしました。

これに抗議した大徳寺の僧侶・沢庵は流罪とされてしまいます。

後水尾天皇も抗議の意味で、天皇の位を自ら降り、娘の明正天皇に譲位しました。

この一件で天皇の勅許よりも幕府の意向が上回る

ということを具体的事例とともに世の中に示したわけです。

<ここがポイント>

紫衣事件によって、幕府の意向は朝廷の勅許を上回るものだと示した

良好な関係のために

しかし、先述したように「征夷大将軍」という官職を利用する以上、

朝廷との関係悪化も防がなければなりません。

幕府は朝廷との融和策もこの前後で実施していました。

時代は前後しますが、1620年に2代将軍の徳川秀忠が娘の徳川和子を後水尾天皇に入内※させます。

※入内・・皇后、女御となって正式に内裏に入ること

対外的な関係だけでなく、血縁的にも結びつきを強めることでより天皇家との関係を深くしたのです。

さらに、紫衣事件の後、3代将軍徳川家光は譲位した後水尾天皇のもとに目的にあいさつに赴いています。

この時、お土産(というには豪華すぎですが)として、院領(天皇家の土地)7000石もプレゼントしていました。

関係悪化を防ぐための家光の努力を読み取ることができますよね。

<ここがポイント>

幕府は、朝廷との関係悪化を防ぐために事後処理もきちんと行っていた

まとめ

本稿では、江戸幕府がその支配体制の中で朝廷をどう位置づけたのか。そして、どう関係を構築したのかという点についてご紹介しました。

ポイントをまとめると、

テーマ:朝廷との関係はいかに!?幕府の巧みな戦略
◯将軍という存在
(1)「将軍」の由来
(2)将軍=朝廷の家臣?
(3)武家政権と朝廷
◯江戸幕府と朝廷
(1)禁中並公家諸法度
(2)天皇の行動は幕府のもの?
(3)禁中並公家諸法度の意義
◯紫衣事件
(1)紫衣事件勃発
(2)なぜ幕府は無効にしたのか?
(3)関係回復を目指して

となります。

長くなりましたが、本稿は以上です。ここまでお読み下さりありがとうございました!

 

<参考文献>
・村井康『洛 : 朝廷と幕府』(講談社、1994年)
・『徳川幕府のしくみがわかる本』 (別冊歴史読本(96号)、新人物往来社、2002年)
・藤野保『江戸幕府の構造』(雄山閣出版、1993年)
・藤井譲治『日本近世の歴史1 天下人の時代』(吉川弘文館、2011年)

【日本史講師対象】江戸時代をいかに教えるかシリーズ
・①~江戸幕府のはじまり~ ・②~大名統制~ ・③~諸勢力との関係構築~

【あわせて読みたい記事】
日本史論述問題の’入門的’指導法
【日本史講師対象】豊臣秀吉の天下統一過程を専門的に指導する方法
【日本史講師対象】織田信長の天下統一過程を詳しく指導する方法①

キーワード

関連記事

新着記事

画面上部に戻る