文化について学ぶ意義
いまやかつてないほどに文化について議論されています。
それは日本だけではなく世界中においての潮流であり、
文化を無視しては社会を語ることはできないというほどです。
数十年前では「文化の多様性」だとか「文化相対主義」といった言葉は存在していなかったのに、です。
現代文においても同じことで、もしその文章が、グローバル、社会、芸術について議論している場合には、文化の話を無視することはできません。
文化そのものがよくある話題だからこそ、今一度考えてみましょう。
文化とは何か
文化の話題になったときに、読者の皆さんや生徒を含めて、おそらく感じているだろうこと
文化ってそんなに大事?
実際私も思っていました。文化の多様性がどうこうとか、文化の尊重とか言うけれども、
そもそも文化って何?
という疑問。
まずは文化そのものが理解できていない限り、文化の多様性だとか文化の尊重ができるはずがありません。
文化のない生活
朝起きたら、なんとなくおなかすいているので冷蔵庫にあるものを食べます。食べ終えたら、日差しを浴びたいので外に出て散歩します。
歩いているうちにいつの間にか昼頃。喉が乾いてきました。水を飲みたいので、とりあえず近所の家で水をいただきましょう。
近所のお家におじゃますると、家族が唐揚げ定食のようなものを食べています。いい匂いがするので隣においてある余っていそうなやつをこっそりと食べて、水を飲んでおいとますることにします。
おっと家族にバレた。逃げろ。
なんとか逃げ切ったのですが、疲れが出て眠くなってきました。すると近くにゴミ箱があり、そこに毛布があるではないですか。というわけで、それをいただき、道路にしいて寝ることにしました...
なんじゃこりゃ、って思うかもしれません。
しかしこれはある意味、文化がまったくない生活といえるのです。
なんらルールにもとらわれず、ただ自分の欲望に従って生きていくスタイルです。
ではここで質問です。
あなたはこの生活ができますか?
文化とは何か
おそらく多くの人はできないでしょう。
仮にこの世界の誰しもが文化のない生活を送り始めたとしても、最初のうちは「朝起きたらシャワーを浴びたい」「ランニングしたい」「友達とでかけたい」といった、本来の人間の欲求そのものとは異なる欲望を持っています。
そうした人間が持つ本来の欲求とかけ離れた欲求の集合、それが文化です。
あなたは普段どんな生活をしていますか?それはあなたが本当にしたくてしていることですか?
この世界に何らルールもなく、わがままに生きられる世界であっても、したいことですか?
そうでないとしたら、それは文化の一部です。
文化の意義
「人のものはとっちゃだめ」
とある昔の村をイメージしてください。
そこでは人が好き勝手に生きています。
一応自然豊かなところに住んでいるので、好き勝手に食べ物を手に入れることができます。
けれども、ある人はそれを面倒だなと感じました。
毎日狩りや採集に行くのはめんどうなので、余裕があるときにたくさんとって、それを貯めこんでおこうということを考えたのです。
さて、貯めこもうとしたはよいものの、貯めておいた食べ物が他の人に取られるという事態が多発しました。
それはそうです。
そもそもその村にはいかなるルールもないのですから。
当然、その人はこういうことを言い始めるでしょう。
「私の許可無く私のものを食べ物をとらないで」
もちろん言われた側は最初は理解できないのですが(今までに聞いたことがない理屈のため)、勝手に使うと刃物で刺されたという事件が多発したので、周囲もその言葉に従うことにしました。
すると、この言葉を発した人は物を貯めこむようになり、周囲の人はそれを見て”貯蓄”という言葉を知ります。
自分で集めたものが人に取られなければ、物を貯めるということができるのです。
周りの人も真似をし始めます。すると各所で”貯蓄”のための倉庫のようなものができます。
そのころにはもう、「人の許可無く、人の物を取ってはならない」
最終的にはこれが当たり前になり、そのルールは未来永劫続くことになります。
では、500年後の子孫たちに、
「なぜ人のものを取ってはならないのか?」
と質問したら、すぐに答えが返ってくるでしょうか?
おそらく、すぐには返ってこないと思います。
なぜなら彼らはそのルールの背景を知らないまま、社会に植えつけられたものにきちんと従ってきたためです。
このルールの背景は伝統として残りませんでしたが、ルールそのものだけは残ってしまったのです。
文化とは社会にプログラムされた欲求のようなもの。けれども、そこにはちゃんと隠された背景があるのです。逆に言えば、
文化があるからこそその社会は秩序を持つことができるのです。
実は実践的な文化
文化の話は社会学的な意味合いのみならず、”企業文化”という言葉があるように、ビジネスにも取り入れられている考え方です。なぜ”企業文化”が必要なのでしょうか?
文化とはまるで無意識な欲求のようなものです。
理屈抜きにいて、その人が自ら従おうとするルール。
もし企業が「時間はきちんと守るべし」「チームワークを重要視する」「ホウレンソウの徹底」など、そうした原則を無意識レベルで社員に植えつけることができたら、当然高いパフォーマンスを発揮することができます。
現在ではどうやって企業文化を意図的に作り出すかが試行錯誤されています。
他文化との交わり
文化の尊重
文化は数千年にも渡り存在していたのに、なぜ「文化の尊重」という言葉が流行らなかったのか。
なぜ今これほどはやっているのでしょうか。
文化とは、その集団の中で当たり前だと思われていることです。
ということは、グローバル化が進み、人の集合同士がぶつかり合うと、当然文化の齟齬が生まれるのです。
「うちではこれが当たり前だ」
「いやうちではこれが当たり前だ」
こういった喧嘩が発生するようになります。
これを解決するためには、互いの文化を尊重しなければなりません。
文化の多様性がなぜ重要なのか?
文化の尊重の重要性は理解されやすい一方、文化の多様性については難しかったりします。
国連を中心として、「他の文化を守ろう」という動きがあります。
でもなぜ?
なぜ、少数民族の文化が自然消滅しようとしているのを、なぜ世界はわざわざ救出しなければならないのでしょうか?
間接的な説明になりますが、とある会議をイメージしてください。
もしその会議に出席している人が、みんなあなたに似ていたとしたら。
もし彼らが、あなたと同じ意見しか持っていないとしたら。
”会議”の意味がなくなります。何ら議論も起こらず、意見のブラッシュアップが不可能なためです。
これは世界レベルでも同じです。
私たちは誰しも何かしらの文化に拘束されています。
それは私たちの思考や価値観が何かしらの価値観に縛られているということです。
特定の思考を持った集団は、それをベースとした考えしか生み出すことはできません。
それは、同じ会議に似たような人が集まっているようなものなのです。
まとめ
文化を理解することは難しいですが、ざっくりイメージをつかむことができたら大丈夫です。
まとめますと、文化とは、
無意識レベルの欲求でありながら、人間本来の欲求とは関係がない
一応何かしらの理由がある
けれども忘れられている
よく見るワードでありながら、ハードなトピックではありましたが、これを知っておくことは受験指導において様々な場面でアドバンテージとなりますよ!
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