”授業”の先にあるものとは?
”授業”の先にあるものとは?
”塾講師の専門性は授業力”や”授業の質が塾の力”など、授業そのものを用いた格言をみなさんもたくさん
耳にしたことがあるのではないでしょうか?
確かに、塾の商品は、”授業”といっても間違いないでしょう。
質が高く、かつそれを長いこと維持することができれば進学実績を武器に塾の
集客力を上昇させ、経営を維持することができますよね。
研修などでも必ず「良い授業を行いましょう」という言葉をもらうと思うのですが、
そもそも”授業”とはなにかについてまでは時間の関係もあって中々踏み込めません。
本稿では、これから塾に勤めようと考えている方を中心に(すでに講師の方も)”授業”そのものについて
考えるきっかけを提供したいと思います。
授業観とは
小学校、中学校、高校、大学とこれまで授業は多くの人にとって”受けるもの”でしたよね。
それが、塾講師という仕事につくと今度は”する”側へと転換します。
研修などで、「皆さんそれぞれで、自分の担当科目の”授業”へのイメージを自由に語り合ってください」
というグループワークをするとどのような発言・意見が出てくると思いますか?
これが非常に興味深いことに、皆「自分の受けてきた授業」を語り合うのです。
<具体例>
・自分が受けた中ではこういう授業がよかった
→だから、自分もこういう授業をしていきしたい
・自分はこういう授業が嫌だった
→自分はそうならないように注意していきたい
・暗記ではなく、考える社会科の授業だった
→自分も暗記中心に陥らないようにしていきたい。
などなど、「自由に考えてください」と前置きをつけてもだいたいこのような話し合いになります。
つまり、
自分の受けてきた授業がそのまま”授業観”になっている
のです。
人それぞれの持つ授業のイメージはそれぞれで、仮に同じ先生や講師の授業を受けていたとしても
捉え方が変わってくるかもしれません。
注意していても意外と”授業”とは主観的なものから構成されているのです。
もちろん、これらは大切な視点です。自分が受けてきた授業の良い部分と疑問に思った部分を相対化し、
分析することで自分の授業へフィードバックすることができるからです。
しかし、自分の受けてきた授業だけに、授業観を限定されてしまわないようにしなければなりません。
生徒の数だけ個性があるように、授業も講師1人1人によって全く違うものが出来ます。
これまで受けてきた授業のイメージに固定されずに、授業そのものをもう一度中立な視点から
考えることが重要なのです。
オリジナリティある授業を
例えば、大学受験時代に頑張って勉強してきた新人講師は、塾講師になってから自分の予備校や学校の
尊敬していた先生の授業をそのまま録画再生するような授業をすることがあります。
何事も真似から入って学習していくので、はじめのうちはそれでも良いかもしれませんが、
授業を受けている生徒たちには意外とその新人講師が意識している講師がした授業ほど
迫力を感じないし、そこまで伝わらないものです。
なぜでしょうか?
塾講師を勤めている皆さんには、経験から納得がいくと思うのですが、
授業をするための予習をしていくと自分なりの”こだわり”というものが強く生まれてきます。
もう少し具体的な言葉で言うと”問題意識”ですね。
例えば
「今日の内容を理解するためには、〇〇が山場になるから、△△のプロセスをこの順番で
説明すればよいはずだ」
というような思いから、具体的な教材だったり、解法を考えていくのではないでしょうか。
この問題意識を自分なりに持ち、それへの解決方法を考えぬいた上での授業なら
迫力があり、生徒たちにも響くものがあるはずです。
また、ちゃんとこの方法は予習を深くしないと出来ないので、もし生徒からわからないという質問があっても
柔軟に対応できるはずです。
研究でも何でも同じですが、「オリジナリティ」は教育現場においても非常に重要です。
背伸びする必要はありませんが、自分にしか出来ない授業を自分なりの方法で模索していくことが
重要なのです。
授業の先にあるもの
ここまで、授業そのものとオリジナリティの重要性について述べてきました。
ここからは、授業の先にあるものについて一緒に考えてみましょう。
以前、筆者が別の記事で書いたことがあるのですが
塾講師は授業を通して、教科内容を教えるだけが仕事ではありません。
その授業内容を通して「どんな生徒を育てるか」が最も大事な職務です。
本稿は違うテーマなので詳細は避けますが、よければ拙稿
「研修で伝えたい!塾講師の仕事」URL:http://www.juku.st/info/entry/691をご参照ください。
1つの授業に奥行きがどれだけあるか、ここでちょっと想像してみましょう。
1時間の授業
↓
その授業の目的はなにか?
↓
その単元の目的はなにか?
↓
その科目の目的はなにか?(例:歴史)
↓
その対象学年の目標はなにか?
↓
その教科全体の目標はなにか?(例:社会)
↓
教育の目的はなにか?
いかがでしょうか?1時間の授業の入り口から入って行くと、最終的に教育というところまでたどり着きます。
もちろん、毎回この最終段階まで考えていく必要は無いですし、時間的にも不可能だと思います。
ただ、これだけの奥行きがあると思うと、身の引き締まる思いがしますよね。
研修などで、新人講師の方に次回までの宿題として出しても良いかもしれません。
教育に携わる以上、一度は考えておきたい内容です。
どのような生徒を育てたいか
具体的に、新人の講師にこれを考えてもらうために先輩講師はどうアシストすればよいでしょうか?
授業というものを考える際に、いかのようなポイントを意識して指導してあげると良いと思います。
①教育を通してどのような社会人になってほしいかを考える
生徒たちが、育った未来には同じ社会人として社会を支えていかなければなりません。
教育を通してどのような社会人になってほしいでしょうか?
自問自答しながら考えてみましょう。
筆者は社会科が専門なのですが、例えば、この社会科を学ぶことを通して生徒には
東日本大震災の復興を考えるとき、戦後の日本がどのように復興してきたのか。
その適切な経済政策とはなにか。歴史を学び、学び続けることを通して、日本の未来を考えられるような
大人になってほしいという気持ちがあります。
あくまで一例ですが、こういった具体的な目標を立てるとより授業に熱意がこもるのでおすすめしたいと思います。
②自分の教育への責任
塾や家庭教師の授業は学校での授業ほど時間を取ることは出来ません。
しかし、生徒たちの中には、講師への信頼から塾での授業を軸に学習プランを立てている子もいます。
そうなると、講師の自分が教えたことが、生徒の知識になっていきます。
授業で培った知識が実はちょっと違っていたとなると、受験だけでなく将来社会人となっても
間違った認識のまま人生を歩んでしまうことになる危険性があるのです。
塾講師の1授業、そしてもっと細かく絞ると1言1言には、生徒の将来が常にかかっており、講師は
その責任の一端をなしているということをしっかり認識した上で授業に臨んでいくようにしましょう。
まとめ
ここまで、”授業”とは何かについて様々な観点から考察するきっかけとなるよう記事を進めてきました。
私自身、塾講師を勤めている中で「良い授業」を出来るよう意識してきたのですが、
そもそも良くするための”授業”とは何か?
そんな気持ちから今回本稿を執筆させていただきました。
ぜひこの機会に”授業”というものを再考してみてはいかがでしょうか?
きっと自分なりの目標が見えてきてより皆さんの塾講師ライフが有意義なものになるでしょう。
以上です。皆さんのご活躍をお祈りしています。
ここまで長文ご精読ありがとうございました!