生徒が勉強嫌いな理由と対策法とは?(理論編)【悩める塾講師必読】
はじめに
本稿での紹介内容は長いものとなるため、
[理論編]・[実践編]と称して2つに分けてお話ししていきます。
本稿では、生徒たちが「嫌いな勉強」に対して、
「あ、面白いかも」「ちょっと知りたいな」
と興味を持つきっかけになりうるポイントについて、話をしていきます。
生徒にとって勉強が「面白いもの」となる事を目指したいと思いますし、
それは筆者も理想とするところではあります。
しかし、それは現実として非常に困難であること、そしてそもそもそこまでは必要が無いという風にも考えています。
必要となるのは、初めに述べたとおり、
「ちょっとこの勉強、気になるぞ」となるそのきっかけだ、というのが本稿での主張になります。
まずは、何故そのきっかけが必要なのかをみていきましょう。
勉強が嫌な理由
そもそも勉強は嫌なものだという概念がどうしても染みついているとは思いますが、
それが何故なのか、腰を据えて考えたことがありますか?
筆者は数学を教える事が多かったため、必然的に「数学嫌い」な生徒の声を多く聞いてきました。
そんな中で、正直聞き飽きてしまうほど何回も耳にした「勉強が嫌な理由」があります。
先生方もそれぞれの担当されている教科について言われているのを聞いたことがあるかもしれません。
「こんなの、大人になったって使わねーよ!」
という文句です。
聞いたことがあるどころか自分も当時言っていたぞ、なんていう方も大勢いらっしゃることでしょう。
筆者自身も、中学生当時英語に対してこれを言っていたように思います。
「自分は日本人だ、日本語が出来れば良い!」というようなことですね。
今になってみれば恥ずかしい、恥ずかしい。
これを言われると、先生方はつい「使うよ!」ということを言いたくなります。
「使わないじゃないか!」に対する立場にいるのですからそれは当然なのですが、
その反論は、無意味なのです。
何故なら、生徒たちが言う「使わないじゃん!」は、
「使わないからやりたくない」という風には直結しないからです。
生徒達も意識していないことですが。
何を言ってるんだ?と思われるかもしれませんが、もう少し読み進めてください。きっとご理解いただけると思います。
「使わない」のはその教科に限った事じゃない
筆者自身の話で恐縮ですが、筆者は英語が嫌いで、数学が好きな生徒でした。
しかし、数学の因数分解も二次関数も、別に「将来必要になるぞ」と思っていたわけではありません。
むしろ「まあ、こんなものは使わないだろう」と思っていたくらいです。
英語に対して散々「使わないから嫌だ!」と言っていたにもかかわらず、
数学は使わないと思いながらも楽しんでやっていたのです。
話を筆者の体験という個人のレベルから、もう少し一般的なものにするために他の教科についても考えてみましょう。
国語は「使う」科目の代表の様に見えますが、それでも文法などは全く考えずとも十分です。読解なども最低限できれば日常生活には困らないでしょう。
社会は、武将の名前も国の場所も法律の名前も知らないことが大きな障害になるかと言われればそれは怪しいものです。
理科にしても、化学反応や遺伝など、様々な分野が考えてみれば「不要」なものであるはずです。
もちろん、世界は広いですから、
本当に「使うものだけはやるけど使わなそうなものはやりたくない」という価値観の生徒もいるかもしれませんが、
ほとんどはそうではないのです。
それは「使わない!」という文句を全教科に言う生徒がそうそういないことからも分かります。
結局、「将来使わないからやりたくない」というのは、
「やりたくないから、無理矢理こじつけた理由」
でしかないのです。
ということはですよ。
そんな駄々をこねる生徒に対してどんなに親身になって、
「いや、これは将来使うんだよ」だとか、「将来何が必要になるかは分からないんだよ」などと言ったところで、
「うわ、面倒な先生だな」なんて思われて終わりです。
勉強したくないから作った言い訳に反論されても「そんなつもりじゃないんだけど」となってしまうんです。
小難しく言いましたが、先生方の過去を思い返してみてください。
「使わない!」と言っていた教科の先生に「こんな風に使うかもしれないぞ」と言われていても、
「そっかー! じゃあ勉強しよう!」とはならなかったでしょう。
つまり、そういうことなのです。
本当の理由は
では、何故生徒達は勉強が嫌なのでしょうか。
「使わないから」という言い訳の奥には何があるのか……それは考えるまでもありません。
「つまらないから」です。
では、何がつまらない原因か。それも簡単です。
ちょっと納得がいかない物言いかもしれませんが、「面白い所が無いから」つまらないのです。
ゲームについて考えてみるのが分かりやすいでしょうか。
ゲームをやった後の感想について、「このゲームはここが面白かった!」というのはあっても、
「このゲームのここがつまらなかった」というのはなかなか無いものです。
(ここが悪かった、なら挙げられると思いますが。)
娯楽でゲームに馴染みの薄い方もいるかもしれませんが、
漫画や本についても同じようなことが言えます。
というと、「漫画はストーリーがぐだぐだだったとか、絵が上手じゃないとか、良くない所を挙げられる」という声が聞こえてきそうですね。
しかし、その条件が本当につまらない理由ですか?
絵が下手でも、ストーリーが途中でグダグダになったという人が多くても、最終的に良い作品だったという意見は多々存在します。
つまり、それらは、
「つまらなかったのはなんでだろうと考えたときに浮かんできた後付けの理由」に過ぎないのです。
それに対し、面白いというのは後付けではありません。
思わず笑っていたり、興奮したり、そういう瞬間的な感情が先にあって、後から冷静に振り返ってみたら「ああ面白かった」となるのです。
よく言われますが、分からないことや難しいことは、つまらないことの直接の原因ではありません。
難しいゲームであっても、例えば攻略サイトを見たりして頑張るのは特別ゲーム好きな子だけがすることではないのです。
難しいクイズを真剣に考えた事はありませんか?
難しい内容の小説を面白いと思う事はありませんか?
分からないことがつまらないことなら、推理小説なんて売れる訳がありませんね。
ただ、娯楽物と勉強の違いもあります。
勉強の様に「つまらない」、「嫌いだ」とあらかじめ思っているところに、追い打ちをかけるように難しかったり分からなかったりすると、それが増幅される訳です。
嫌いな理由に使われる「わからない、難しい」は、「将来使わないから」と同じなのです。
よってここまでの議論を踏まえると、
捉え方を変え、その前提である「つまらない」にアプローチしていけば、それらの問題が解決できる可能性があるということが導き出せます。
初めに述べた、「生徒にとって勉強が面白い物である必要は無い」というのはこれが理由です。
今、彼らが「使わないから」などと理由を付けて勉強から距離を置こうとしているのは、
彼らがやりたくない前提でその理由を探しているからにすぎないのです。
勉強に対する姿勢を一度フラットにするがスタート地点なのです。
その上で、先生が「あ、ここはちょっと面白いかも」と思える『単元』『部分』を提供できるようになれば、「こんなのつかわねーもん!」というのは、少しずつ減っていくはずです。
どのような形を目指すべきなのか
つまり、
私たち講師側がそんな生徒達にしなくてはならないのは、その有用性を伝えることではありません。
筆者が使わないと知っていても数学を好んでいたように、
勉強のどこかに「興味や関心を持つ入口」を実感できるようにすることです。
もちろん、いきなり「ほらね、楽しいでしょ!? 凄いでしょ! 楽しい! 楽しい!」なんてやったら生徒はドン引きです。
ですから、まずはきっかけが必要なのです。やっと冒頭に戻ってきました。
生徒達が、勉強を「楽しいもの」とする必要は無いのです。
もちろんそうなった方が良いのは事実ですが、だからといって、
5教科全部好きになれました、ということはちょっと可能性が低すぎるのは分かっていただけると思います。
でも、「勉強は好きじゃないけど、問題解けると嬉しいな」とか、「わからなかった問題が解けるようになると気分いいな」とか、
そのような『やっている最中にプラスの刺激を得られる』というような経験があると、生徒の意識は変わります。
「やっても疲れるだけ」という勉強へのイメージを、
「やったらやったでまあ、悪いもんでもないかな」という所まで引っ張り上げられれば、
生徒の姿勢は大きく変わる、とは思いませんか?
次の記事は「勉強が嫌いな理由と対策法[実践編]」となります。
勉強が嫌いな理由が彼らの言う通りのものではないことが分かった今、
私達はどのように動けば良いのか、話していきます。
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