褒めるだけじゃ勉強しない!−生徒の欲求をマネジメントせよ
欲求のマネジメントをしよう!
筆者は別に、「褒めがいらない」とは言っていません。
褒めは確かに必要なのですが、それは勉強する動機には直接結びつかないと申し上げたいのです。
本当に大切なのは、褒めを一部に含めた、生徒が持つ欲求全体のマネジメントです。
今回は欲求に焦点を当てながら、生徒をどのように勉強する気にさせるかを解説します。
褒めるだけじゃ不十分な理由
一般に褒めが必要とされる理由は以下のとおりです。
子どもたちが何かをきっかけとして勉強を一生懸命頑張って、良い成績を取れたとします。
当然両親は子どもを褒めるでしょうし、先生からもべた褒めされるでしょうから、嬉しいはずです。
「きっと、子どもは褒められるために勉強を頑張るようになる。
だから、子供に成功体験を与え、成功したらきちんとほめてあげよう」…と。
本当にそうでしょうか?
この状況下では、子どもたちは褒められようと勉強する代わりに、何かを犠牲にしているのです。
それは、友達との時間、ゲームする時間です。確かに誰でも褒められたらうれしいでしょう。
けれども、褒められるまでに、何時間もの勉強をしなければなりません。
しかも、勉強したからといって良い成績を取れるとは限らないのです。
一方で友達と遊ぶ時間、ゲームする時間の魅力は素晴らしいものです。
自分が「する!」と決めたらきちんとそこから楽しい時間を確実に得ることができるのです。
では皆さんに質問です。
ゲームする時間と、一生懸命勉強して親に褒められること、どっちが嬉しいですか?
友達と過ごす時間と、良い成績を取って先生に褒められること、どっちが嬉しいですか?
私はここで後者を選択するような友人、あるいは生徒を見たことがありません(もちろん少数ながらそういう人もいるとは思いますが、あくまで少数です)。
結局褒められたいからといっても、勉強のモチベーションとは成り得ないのです。なぜなら、それを得る代わりに、別の楽しみを犠牲にしているからです。
けれども世の中には、友達と過ごす時間あるいはゲームの時間を削って勉強する人がいます。
それはどうしてでしょうか?
それは、彼らが自分なりに勉強する理由(欲望)を持ち合わせているからです。
人間の行動は“選択”
人間は欲望に従って行動すると言われます。あるいは利害に基づいて行動すると言われます。
しかしそれは別に「利益があれば、そこに飛びつく」という意味ではないのです。
人間は必ず選択を行います。
今回の話では、褒められることと、友達と遊ぶことを常に比較しています。
しかもそれは単純に利益だけではなく、利益を得るための間にある努力という“害”までも計算に含めているのです。
講師はよく勉強することのメリットを強調したがりますが、それだけではダメです。
勉強をしたくないと思わせるデメリット、そして勉強しないことによるメリットにも目を向けて、生徒の利害選択全体をマネジメントすることによって、初めてモチベーションが生まれます。
勉強する理由って何があるの?
まずは勉強したいと思う欲求について考えてみましょう。
これがなければまず勉強することはありません。
私はここでかの有名なマズローの欲求5段階説を持ち出したいと思います。
というのも、この説は人間が持つ欲求をうまく分類しているためです。
マズローの欲求5段階説では生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求の5つが紹介されています。
それぞれが学習面においてどのように機能するのかを見ていきましょう。
生理的欲求
この欲求のために勉強する生徒は正直いって“やばい”です。
しかし言うなれば、「成績悪かったから晩ごはんは抜き」というのがある意味該当するかもしれません。
安全欲求
自分の身の安全に基づく欲求です。小学生の多くがこれに近い欲求から勉強します。
勉強しないと親、先生に怒られるからです。
しかし本人が「やばい」と感じないことには勉強しません。
歳を取ってくると、怒られても大丈夫と思うようになり、ヘラヘラするようになります。
時たまこれがすごく作用する例があります。
親がすごく厳しく、本人が「勉強しないと殺される」と本気で思った場合です。
しかしこれはある意味、最近話題となっている教育虐待に近い状態ですので、望ましい状態と言えません。
社会的欲求
どこかの集団に属したいという欲求です。
仮にその生徒が頭のいい友人と一緒に過ごすようになれば、その人たちと同じ立場になりたい、同じ視点に立ちたいという気持ちになり、勉強するようになります。
実際成績が近い人が集まるというのは、けっこう多くの教室で見られる気がします。
尊厳欲求
いわゆる“褒め”が代表例でしょう。
しかしそれ以上に、「良い成績を取ったら仲間から尊敬の眼差しを受ける」方が強い欲求のような気がします。
教室で成績のランキングを発表したりすると、その中にどうにか自分が載ろうと思って頑張る生徒がいます。
実はもう1つ、嫌いな人に勝ちたいというのも尊厳欲求です。
自分が嫌いな人よりも“格下”にいることが許せないと思うのは、いわば自尊心が傷ついている状態です。
それをどうにか回復しようと本気で思って勉強し、達成した時に嫌いだった人を心の中で見下す…というのも、1つの欲求です。
余談ですが、大学受験時代の自分はまさにそれでした。
自己実現欲求
夢に向かって走る、というのがまさにこれです。
あるいは自分がなりたい職業の過程にその大学があるとき、それは強い欲求となります。
ただ、この欲求の形成はかなり難しいものとなります。
なぜなら本人の中で、本当にしたいことを見つけなければならないからです。
その上、小中高の生徒は、本当にしたいことを見つけるための経験があまりにも不足しています(大学生であればもっといろんな知識や経験を得ることができるのですが)。
これを見つけた人は確かに受験で必ず成功するのですが、それは合格者の少数です。
その証拠に、受験が終わると「何をしたらいいのかわらからない」「燃え尽きる」という状態に陥っている大学生がたくさんいます。
もし自己実現欲求があるならば、その先にすべきことがあるのですから。
子どもたちが自分で勉強するためには、自分なりの欲求を持つ必要があります。
講師の役割は生徒の性格を見極め、欲求を刺激することだと私は考えています。
しかし、生理的欲求と安全欲求は講師がマネジメントできる範疇にはありません。
これらの欲求を刺激する方法は虐待に近くなるためです。
生理的欲求は水や食べ物の権利を剥奪しなければなりませんし、安全欲求は痛みを与える必要が出てきます。
講師がやると訴訟ものです。
よって、社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求のいずれかを刺激する方法を採用すればよいでしょう。
中毒について
ただし勉強の欲求を強めるだけではうまく行きません。
いかにして、それを阻害する欲求を抑制するのかもポイントになってきます。
ある欲求があまりにも強すぎるために、他の欲求が弱まる状態、いわば“中毒”という状態があります。
本来、欲求とは無限に広がるものではないのです。
欲求にはこれ以上求めないという“満足”という状態があります。
ある程度たくさん食べれば「お腹いっぱい」と満足しますし、ある程度良い家庭で育ち、衣食住が充実していれば「安心」と満足します。
誰かとたまに遊びに行くことで「友達と一緒にいて楽しい」と満足します。
けれども、通常であれば十分に満足するはずなのに、必要以上にそれを要求するような状態があります。
いわば、中毒です(良い言い方をすれば“夢中”と言えます)。
人はあるときはゲーム中毒になり、あるときは友達中毒になります。
けれども時が経つと、その中毒は薄れていきます。
それは何かをきっかけとして、その対象からしばらく離れたときです。
皆さんはこういうことありませんか?
あるときはゲーム(友達)に依存していたけれども、勉強に集中するようになると、ゲームを1時間するだけである程度満足してしまう。
あるいは友達と毎週1回遊ぶだけで満足してしまう。
これはしばらくの間、依存対象から離れることによって、満足のレベルが下がっているのです。
よって、生徒を勉強させるようにマネジメントするためには、中毒の元凶からしばらくの間、引き離すところからはじめなければいけません。
勉強のメリットをいかに強調したところで意味がないからです。
言い方がきついかもしれませんが、生徒が勉強しない理由が、ゲームや友達というのでしたら、それはいわば“アルコール中毒”だと思ってください。
中毒状態にある間は、いかに勉強のメリットを強調しても意味はありません。
まとめ
講師は勉強することで何が得られるのかを強調します。
あるいは、単純に褒めれば良いと考えることが多いです。
確かにその通りでしょう。
ただし、生徒はそこまで単純ではありませんし、残念ながら先生に褒められるよりも友達とたくさん遊ぶ方が楽しいし、嬉しいはずです。
第1に講師がしなければいけないことは、生徒の心の中に、生々しい、勉強したい欲求を生み出すことです。
生々しいからこそ、強い欲求となります。
褒められたいとかそういうのではなく、尊敬されたい、嫌いな人を負かしたい、優秀な友達と同じ立場に立ちたい、なんでもいいのです。
そうした生々しい欲求が人間を突き動かしてくれます。
第2に、勉強したい欲求を邪魔する欲求を排除することです。
いわば中毒となっている欲求をどう軽減させるかを考えます。
これに親御さんの協力を要請するのもいいでしょう。
これがあるかぎり、生徒は絶対に勉強しません。
欲求のマネジメントとはすなわちその人の人間らしさに向き合うということです。
これは講師に求められる大切な要素ではないでしょうか。
少し長くなりましたが、この記事を参考に、皆さんが生徒の人間らしさに気づくことができたら、これほど嬉しいことはありません。