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私が予備校講師になるまで【キャリアコラム#115】

こんにちは!国語科講師の中林です。

今年も寒くなってきて、いよいよ受験勉強も大詰めの時期です。

先生方は冬期講習を始め、受験生のサポートに大忙しかと思います。かく言う私もその一人で、勤務先の高校の成績処理から間髪入れず怒濤の冬期講習の準備という流れなので、頭をフル活用しながら動いています。

さて、そんな中で今回の記事ですが、タイトルの通り、私の半生について語らせて頂きたく思います。

ここまで塾講師ステーション様の方で色々なノウハウ記事を書かせて頂きました。ただ、ノウハウというのは結局の所、それを語る「人」が大事であると私は考えます。例えば同じ野球理論でも、誰か知らない人が語るのと大谷翔平選手が語るのでは説得力が違いますからね。

ですので、今まで書かせて頂いたプロ講師ノウハウとリンクさせて考える為にも、私がどのような試行錯誤を経て今の仕事を行うに至ったかをここでまとめて書かせて頂きます。はい!「自分語り」です!ですが今回だけですので、どうか御容赦下さい(笑)

目次
国語教員を目指すまで
20代の葛藤
塾・予備校講師になるまで
終わりに~一生受験生~

 

国語教員を目指すまで

多くの国語教員の例に漏れず、私も幼少期から本はよく読んでいました。ただ、様々な本を手当たり次第というより、気に入った本を何度も読むことの方が多かった気がします。特に「筒井康隆」氏の作品が好きで、氏特有のスラップスティックスタイルの作品や、読者を別世界に引きずり込むようなSF作品に惹かれ、中学~大学生の時は氏の作品を手当たり次第読みまくりました。

そのおかげで、国語の読解問題に関してはそこそこできる方でしたが、やはり生徒として問題を解いている時にはどうしても根拠を追い求めるより、感覚的に解いてしまっていたので、自分が読みづらいなと感じた文章に出会うと途端に頭が回転しなくなり、模試の点数もガタっと下がってしまうということもありました。

とはいえ、他のどの教科より、国語を解くことが好きだったのは確実だと言えます。現代文にしろ古文にしろ、国語の文章を読み解く際の頭の使い方が好きだったのです。

そんな中、その国語の教員を目指し始めたのは、高校生の頃でした。

教員の授業という仕事は、学校に通う全ての子供が実際に現場を目にする仕事なので、ほとんどの子供が教員という職業を一度は仕事として考えることがあると思います。その結果「あれは俺には向いていない」か「面白そうだからやりたい」のどちらかになるのです。

当然私は後者だっただけです。黒板の前で分かりやすく生徒に国語を教えるという行為を、自分もやりたい!と思ったところがスタートです。

学校の授業や、高校3年生になって通った河合塾の授業などで、数々の優れた先生方の授業を拝見し、「すごいな」と思い、また恐れ多くも「自分だったらこんな風に教えてみるだろうな」と思いました。

そして、「実際にやってみよう」と思い立ち、高校2年生の時には、朝早く(7時とかにはもう学校にいたと思う)誰もいない教室に登校して、一人で無人の教室で模擬授業をやっていました。

たまに早く登校してきた同級生や、見回りに来た先生にアドバイスをもらったりして、自分なりにに「教室での授業」の土台を作って行きました。

そして、「できるようになると、好きになる」の法則に漏れずに、どんどん授業が好きになっていき、教員になりたいという欲も強くなって行ったのです。

よく教員になった人は「○○先生に憧れて教員を目指した」と言いますが、私の場合、特定の先生に憧れてというよりは、自分で授業をやってみて(生徒のいない教室に向かってですが)「もっとやってみたい」と思ったところがスタートです。

だからこそ、誰かの真似に終始せず、自分で試行錯誤しながら理想の授業を追い求められたのかと思います。

大学進学後、家庭教師や塾講師のバイトをやることで、さらに授業の土台を固めていきました。特に就職活動で社員としての内定を頂いた某大手塾の研修では、「板書」「半身の姿勢」「発問の仕方」「発声」などの、細かい部分の指導を頂き、またそこで実際に教室で集団授業を経験させて頂き、より授業への熱が深まりました。結果としてそこの内定を辞退し、新卒で私立高校の教員になったのですが、そこでの経験は私の授業の土台形成に繋がったと思います。

 

20代の葛藤

大学卒業後、私は都内の某私立高校で3年間契約の常勤教員として、クラス担任・吹奏楽部顧問・生徒指導から行事・進路指導などにあたりました。

とてもやりがいのある仕事だったのですが、元々自分はオールラウンダーでなく、一点特化型であることも自覚していて、「もっと授業に集中できる環境・授業そのものを評価してもらえる環境で働きたい」という思いが強まっていきました。

経験のある方は御存じかと思いますが、教員というのはとにかく雑事が多い(若手は特に)ですし、年功序列的な要素が強いので、言い方が悪いですが、授業評価が最悪なのに教員経験年数が多いだけの先輩教員の方に分かりきったお説教をされる度に苛立ちが募って行きました(当時私も若かったのです笑)。

また、学生時代からやっていた音楽活動も休日を使って続けていて、当時は本気でそちらのプロになることも考えていましたので(20代の時に、インディーズレーベルですが、自身の作曲・作詞・編曲によるCDも全国発売しています)、「もっと時間の余裕があって、授業に集中できる環境で働きたい」という思いがありました。

なので、3年間の契約期間が切れたのをきっかけに、非常勤講師として都内の高校を渡り歩きながら、空き時間で音楽活動を続けました。

ただ、20代も後半になると、非常勤講師という不安定な社会的立場と、芽が出ない音楽活動の板挟みで自分の将来について悩む日々が続きました。同年代は専任教員や正社員として活躍し、結婚したりしてどんどん人生の方向性を固めているのに自分は・・・という、まさに若き日の葛藤ですね(笑)

社会人になるまではまじめに勉強して、レールから外れず大学まで卒業して、仕事もサボらずキチンと取り組んでいたくらいなので、元々が「社会的な立場」を重んじるタイプだったのです。

そういう人間が不安定な非常勤講師と芽が出ない芸能活動の掛け持ちという形で30歳近くになっていった時の焦り・・・分かる人に分かって頂ければ幸いです。

 

塾・予備校講師になるまで

そんななか、29歳の時にとある高校に非常勤講師として入社しました。

そこで始めて、「非常勤講師をやりながら夜に塾講師などを掛け持ちで行って生計を立てている」生き方を知りました。もちろん、それまでの学校でも非常勤講師と塾講師を掛け持っている方はいたのですが、基本的に「専任教員や大学教授等になるための繋ぎ・生活費稼ぎ」という形ばかりでしたので、「ああ、こういう働き方で定年までの生活設計を行っている方もいるんだな」という事を始めて知ったということです。

当時ちょうど音楽活動も頭打ちを感じていた頃でしたので、その学校の入社2年目から、さっそく某大手塾の採用試験を受けました。

そして、その塾で「貴方は模擬授業も上手だし、教員としての経験年数もあるので、プロ講師として複数の校舎に出講して頂く形でご勤務頂ければと思います」と言われたことで、さらに「プロ講師」としての働き方を強く意識することになりました。

「高校の非常勤講師の収入だけだと生活が厳しいが、夜にこの塾のプロ講師も行って、そこの収入も合わせれば生活できる」「大変だけど、専任教員の仕事と比べれば、自分の好きな授業に特化できるし、色々な職場や教室に出講することで様々な場所に行けるし、楽しそうだな」と思い、その時漠然と自分の働き方の土台が見えた気がしました。

同時に「プロ講師」という職業を意識し、30代になったという節目の意味も込めて、音楽活動を引退し、「プロ講師」として生きることを決意しました。

そこからはとにかく授業準備・勉強と授業経験の日々です。

大手塾のプロ講師から、知人の紹介で「早稲田予備校」の採用試験を受験→合格し、塾より予備校講師の方がプロ講師としての醍醐味を強く実感できると思い、そこからは予備校講師としていくつかの会社でお仕事をし、細かな失敗やミスも行いながら叩き上げで授業力を鍛えて行きました。

そして、33歳の時にダメ元で受けてみた河合塾の採用試験になぜか一発で合格したことから、「年齢も年齢だし、もうこの道でやれるところまでやっていこう!少子化や予備校業界の衰退で苦しい道になるが、子供が居る限り、将来を見据えて上を目指す人達がいる限り、この仕事はなくならないはずだから、要するに研鑽を重ねて業界の上位に居続ければ良いだけの話だ!頑張ろう!」と、完全に決意を固めました。

この時、私を長い間苦しめていた社会的立場へのコンプレックスがようやく解消できた気がしました。

「一生誇りを持ってこの仕事をやっていくことができる」という思いを、始めて持つことができたのです。

胸のつかえが、取れた気がしました。

そこからは、とにかく授業と予習と勉強と、それだけに留まらず色々なお仕事を引き受け、おかげで参考書も出せましたし、この塾講師ステーションのお仕事も頂くことができました。

粘り強く努力することと、果敢に新しい環境に飛び込むことは、やはり大事なんだなと思った次第です。


終わりに~一生受験生~

以上で私の国語講師に至るまでの半生の話は終了です。拙い文章をお読みくださいまして、ありがとございます。

「なぜ、年をとっても堕落せず、努力を続けられるのか」を考えた時、もちろんその人の性格もあるでしょうけど、毎年受験生の必死で努力する姿を見ることができるというのも大きいと思うのです。

もちろん受験生も必死で勉強するのは大学に合格するまでで、そこから堕落する人も残念ながらいるかもしれません。大人になったら「勉強しないと希望の進路に進めないぞ!」と説教してくれる人もいなくなるからです。まあ人によるとしか言えませんがね。

でも、だからこそ、毎年「この一年は全力で頑張ろう」と努力する受験生を見続けられるこの仕事は、私に「年齢を言い訳にせず努力し続けよう」という決意を与えてくれます。

プロ講師は、そういう意味で「一生受験生」です。

学科だけでなく、時代に合わせた指導法など、様々なことを勉強し続けます。でも、それを楽しいと思える人にとっては、天職でしょう。

学歴も決して高くなく、地頭も良くない私が、この年まで塾・予備校業界で生き延びて居られているのは、まさにこの考え方にあると、自分では思っております。

偉そうに自分語りをして申し訳ありませんでした。でも、私の思いが、プロ講師・プロ講師志望者の方に一人でも届けば幸いです。

ではまたどこかでお会いしましょう!

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中林 智人

記事執筆者:中林 智人

高校教師から塾講師・予備校講師に転身し、現在は河合塾・早稲田予備校にて国語を担当しつつ、都内の高校で非常勤講師としても活躍。講師業だけでなく執筆なども行う。「納得できる知識・論理的読解技術」「制限時間内に問題を解き偏差値を上げる戦略」「楽しく国語を勉強できる面白ネタ」をモットーに日々生徒に向き合っている。

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