【哲学もどきの指導法②】「教える」ってそもそもどういうこと?
※※注意※※
「【哲学もどき①】教えるって何?」をお読みになられたことを前提に話を進めますので、そちらもご覧ください。
抽象論ではない、具体的な「教える」
前回は「教える」ということについてお話をしました。
教えるとは、相手の既存の知識を用いて、それについて説明することです。
そこで私は最後に2つの洞察を導きました。
- 新しい知識を理解するまでのステップを体系化する
- 生徒がステップの中で、どこまでのことを理解しているのかを把握する
これら2つが「教える」ために必要なステップであると、前回結論づけました。
例えば関係代名詞・加法定理を教えるためには、まずそれを理解するためにはどのような知識が必要かを把握しなければなりません。関係代名詞は、その構造を理解するためには文型の知識がやはり必要となります。加法定理はそもそもサイン・コサインや、単位円を理解していなければ意味がありません。
まずはその知識を得るために、どのような知識が必要かを自分の中で体系化する必要があるのです。
教えるものを体系化したら、今度は生徒がどういったことを知っていて、どういったことを知らないのかをこちらが把握しなければなりません。
文型の話はちゃんとわかっているのか?単位円を書くことができるのか?その知識確認は必要です。
参考書で新しい単元の最初の方に、前回の単元を復習する欄がありますが、これはそういった意図で作られたのだと思います。
今回の記事ではこの2ステップをどのように行っていけばよいのかについて解説していきます。
ステップを実践してみる
はい、もう一回復習しましょう。
「教える」とは、相手の既存の知識を用いてそのことについて説明すること、でした。それでは2ステップを踏みながら、具体的にどのような授業を展開するのかを紹介してみます。
先生「cos75°。これはいくつかな?」
生徒「先生、75°なんて習ってません。cos30°とかしか知りませんよ。」
先生「とりあえず頑張れ」
生徒「え〜・・・せめてヒントくださいよ」
先生「さっき習ったことを覚えてる?」
生徒「加法定理ってやつですか?」
先生「そうそうそれそれ。じゃあその公式を一つ書き出してみて」
生徒「(加法定理を書き出す)」
先生「これがヒント」
生徒「(´゚д゚`#)」
先生「そんな顔しないでよ。じゃあ君はどんな角度だったらcosとかがわかる?」
生徒「30°,45°、60°、90°だったらいけますね」
先生「OK、じゃあ君は加法定理を知っている。cos30°とcos45°も求めることができる。加法定理の式をよく見てて」
生徒「あ!75°は30°と45°に分解できる!」
私がついこの前行った授業の例ですが、この背後ではきちんと2つのステップが潜んでいます。
簡単にこの授業の特徴を申し上げますと、
- 相手の理解度を測るための、質問
これが圧倒的に多いということでしょう。基本的に私は答えを伝えることはしません。
「さっきは何を習った?」「どんな角度だったら出せる?」といった、既存の知識を想起させるような質問を繰り出します。
こうしたヒントを出すだけで、生徒はcos75°という数字を導くことができるようになるのです(つまり、答えまでの誘導ができます)。
なぜか?
生徒はすでに「加法定理は、2つの角度の和の正弦・余弦を求めるもの」というのは知っています。
となると、75°にそれを適用しようと考えだすと、75という数字を分解しなきゃいけないかな、という予想を立てるわけです。
ではどういう数字に分解すればいいのか?
もう一つのヒントである「どんな角度だったら正弦・余弦を求めることができるか」がヒントになります。
生徒の脳内ではおそらくどんな数字で分解しようかと仮定と検証を繰り返しているのですが、第一の仮定として、「30と45に分けるとうまくいきそうだ」というのが直感として生まれるのです。なぜなら、その生徒が求めることができるのは、30度、45度、60度、90度といったものだから。
すると、cos75=cos(30+45)°と考えればよい、とわかるわけです。
私は授業の中で行っていることは、
- 既存の知識を想起(使うツールを指定)させて、
- それらを組み合わせるように、生徒に暗に示唆すること
この2点なのです。これを行おうとすると、必然と質問が多い授業になるんですね。
ではこのような授業の特徴が、「教える」ための必要な2ステップにどう関係してくるのでしょうか?
実はこの質問中心の授業は、生徒に理解まで誘導できるだけが利点ではありません。この教え方の重点はむしろ、
- 生徒に欠けている知識が何かがすぐにわかる
- 生徒が達成感を得られる
この2つがより重要な利点としてあげられます。特に1つ目は大切です。
もし私が「余弦を求めることができる角度は?」と質問したときに、
「60度」
としか答えられなかったら、私はこの問題を解説することができません。
この場合、生徒はcos45°やcos30°を求めることができないとして判断し、加法定理よりも、まずは代表的な余弦を求めることができるようにしなければならない、とわかります。
既存の知識を想起させるような授業なのですから、生徒が解答できないとなると、そこは生徒が知らない知識です。
前の分野に戻り、復習する必要があります。また、思い出させる作業のみを手伝っているので、考える作業は生徒がやります。
もし質問をしないで「これはこうだよね?」といって授業を進めるとどうなるでしょうか。
生徒はおそらく「あぁそうなのか」となんとなく頷いてしまいます。
するとどんどん授業が進んでいきます。
文型ができていないのに、関係代名詞・関係副詞の単元がどんどん進み、後ろの授業がまったく理解できない状態になってしまいます。
単位円が書けないのに、加法定理・和積の公式を教えられても理解できるはずがありません。
単元は、基礎的な知識を土台に新しいことが学べるように組まれています。
ですから基礎的なところが欠けていないかどうかという、質問を通じたチェックは必要です。
【補足】質問を多用する授業は、「この問題は○○を使うんだよ」という答えは伝えているようなものです。ですから成績上位者の授業にはあまり向きません。というのも、その問題においてどのツールを使えばいいのかを判断する訓練は成績上位者の成績をさらにあげるためには必要なものだからです。これについては心理学もどきを用いたほうが良さそうです。
次に授業例の特徴の2つ目。
- 先生の脳内では、問題を解くための知識が体系化されている
先ほど授業の一例を紹介したわけですが、実はそこには多大な事前準備が必要となってきます。
何かの問題を教えるために、既存の知識を想起させるのが、あの例です。しかし先生自身がその問題はどのような知識を前提としているのかを把握していなければ、教えることができません。
例えば次の問題はどうでしょうか。
以下を並び替え英文を作りなさい。
are / know / interested / me / if / the club / joining / in / you / let
これはある英文の並び替え問題なのですが、これはどういった知識を持っている必要があるでしょうか。
だいたい次の通りだと思います。
ifの仮定法現在 /be interested in という熟語 / let me knowという決まり文句 /
先生自身が、この3つについて理解していない限り、生徒にこの問題を教えることはできません。
仮定法現在ってそもそも何?
be interested in の後ろに続く品詞は?
let me knowはなぜ「知らせて」という意味になる?
こうしたことが説明できるでしょうか。
教える立場にあれば、その問題がどういった要素で構成されているのかを事前に考える必要があります。
そして授業のときにはこの地図を頼りに、生徒が解けなかったときには何がわからないのかを把握することができるのです。もし地図がなければ、生徒が何を理解しているのかの確認さえもできません。
けれど大丈夫。慣れてきますと事前準備をしなくとも、その場ですぐにどういった知識が必要なのかがわかります。基本的に自分が問題を解くことができるのであれば、その解くプロセスの中でどういった知識を用いているのかを意識することで見えてくるのです。
一度問題を問いてみてください。
あなたの脳内ではどうやってこの問題を解いていますか?
それを言葉に起こせばいいだけです。
まとめ
事前準備として問題を分析し、必要となるであろう知識を洗い出す。
そしてそれを使って質問を繰り出す。
既存の知識を想起させるような。
それらを統合させるような。
これは授業以外にも、質問対応にも使えることです。
授業のときは、「自分で問題が解けた」という達成感。
質問のときは「なんでこんな簡単な問題が解けなかったんだ」という悔しさ。
そういった感情を生徒に生み出してくれます。
質問の嵐は、
「教える」ためにも、
情報収集のためにも、
やる気のためにも必要なことです。
そして質問の嵐のためには準備が必要です。
私はこのやり方で3年間やり通してきました。
一番成果を出せたからです。
この記事が皆さんの塾講師ライフに少しでも貢献できれば、それ以上に嬉しいことはありません。
指導法についてはこれで以上ですが、次回は「教育者」のあり方について考察してみます。
どのようなマインドで生徒と向きあえばいいのかを執筆しますので、そちらもよろしくお願いします。