戦争を考える
1945年8月15日。日本がポツダム宣言を受諾し、「終戦」を迎えてから70年が過ぎました。
昨今、その戦後日本の再出発の軸となった「日本国憲法」の解釈をめぐる議論が連日議論を呼んでいます。
自衛隊や日米同盟による安全保障のあり方や、経済協定、領土問題、基地問題などなど。
日本の戦後体制のあり方をめぐる議論は今なお続いていると言えるでしょう。
おそらく本記事を読んでいる皆さんは、戦後世代(第2次世界大戦後生まれた世代)の方が大半だと思います。
直接戦争を経験していない私たちが、
今考えなければならないこと、そして下の世代に伝えなければならないことは何でしょうか。
簡単な問いではありませんが、皆さんが今後考えていくための材料にできるよう、本シリーズでは
第2次世界大戦の開戦から終戦までの歴史
をわかりやすく解説します。
目次
1.なぜ、今「第2次世界大戦」を振り返るのか
2.大戦の引き金となった世界恐慌
3.満州事変が起こった
4.第2次世界大戦、開戦
1.なぜ、今「第2次世界大戦」を振り返るのか
中身に入る前に
Q.なぜ、今「第2次世界大戦」を振り返るのか
を一度考えてみましょう。
戦後70年を過ぎ、戦後世代が大半になった今も、先の大戦の歴史を学ぶ重要性は全く変わりません。
むしろ今、重要性はさらに増していると言えるでしょう。では一体、この重要性はどこから来るのか。
結論から述べると、戦争経験世代がどんどん減ってきているからだと考えます。
戦争を実際に体験し、その現実を語れる世代が高齢化により、年々減り続けています。
もちろん、戦争を体験している方も当時のことについて満遍なく語れるわけではありません。
戦地に赴き、激戦地で奇跡的に生き延びることができた方もいれば、
アメリカ軍の標的にされなかった島で、平和な毎日を過ごした兵隊の方もいるからです。
しかし、映像や史料だけでは伝わらない、実体験の伝え手がいなくなるのは
- 何故戦争は起こすべきものではないのか
- 何故平和が大切なのか
ということへの意識が薄まるのではないか?と懸念されています。
実際、私たちは当時の戦争を体感することはできません。
ですが、残された資料、証言、記録から同じ歴史を学ぶことはできます。
歴史に限らないかもしれませんが、なぜそれを学ぶことが大切なのか
ということまで考えると、インプットへのモチベーションも変わってきます。
このことをお伝えしたく、シリーズのオリエンテーションとして紹介しました。
<ここがポイント>
なぜ、「戦争」を考えることが大切なのか、自分なりの考えを持ちましょう!
2.大戦の引き金となった世界恐慌
それでは中身に入っていきましょう。
第1次世界大戦
第2次世界大戦を考えるには、まず第1次世界大戦とのつながりを見ることが必要になります。
第2次世界大戦は、第1次世界大戦後の世界体制のブレが遠因となっているからです。
第1次世界大戦の詳述は割愛しますが、簡単ご紹介します。
第1次世界大戦:1914年~1918年にかけて続いた人類初の世界大戦。ドイツ・オーストリアなど4カ国の
同盟国と英米仏露など27カ国の連合国との戦いであり、連合国が勝利。
第1次世界大戦後、アメリカのウィルソン大統領の提唱で、国際連盟が発足します。
史上初の国際平和機構が誕生しました。
第1次世界大戦の反省から、平和に向けた取り組みを行うことが目的です。
軍備縮小の取り決めなどに成功し、国際協調の時代がしばらくの間続きました。
世界恐慌が起こった
しかし、1929年に世界恐慌が起こります。結論から言うとこの恐慌は第2次世界大戦の引き金となりました。
簡単に説明すると、世界恐慌はニューヨークの株式市場が暴落したことによる経済パニックです。
アメリカ・ニューヨークは、当時から世界の経済の重要な位置を占めており、
その影響は瞬く間に世界各国に広がりました。
この世界恐慌への対応で、各国は以下の様な対策を練ります。
<世界恐慌への各国の対策>
・アメリカ:「ニューディール」政策により経済・労働の堕落を防止を試みる。
・イギリス:植民地や協調関係にある国との経済連携を強める「ブロック経済」の実施
・ドイツ:第1次世界大戦の多額の賠償金に加え、世界恐慌により国内が更に混乱を増す
→ヒトラー率いるナチスが暴力的主張、民族差別を掲げ台頭
・フランス:関係国との経済連携を強める
・イタリア:ムッソリーニのファシスト党が対外侵略の政策を強化する
・日本:1927年の昭和恐慌に世界恐慌が追い打ちをかけ、経済・社会が大混乱に陥る。
解決策として中国への支配権を拡大する方向へ。
第2次世界大戦の当事国の対策を載せました。
この政策を見るだけでも、大きい戦争が起こる雰囲気を醸し出していますよね。
世界を取り巻く経済状態が悪化すると、こうした緊張関係が生まれるのです。
<ここがポイント>
世界恐慌によって、国際的な緊張関係が高まった
3.満州事変が起こった
こうした国際情勢の中、1931年に柳条湖事件が起こります。
柳条湖事件:満州に進出していた日本軍が南満州鉄道を爆破し、それを中国軍によるしわざであると主張
する、自作自演の行動
この事件への報復(という名の足がかり)として、日本軍は中国東北部へ軍事侵略を進めました。
局地的ではありますが、この時点から中国との戦争が始まります。
局地的:規模が小さいこと。この場合、日本軍と中国軍による軍と軍の戦い(国VS国ではない)
柳条湖事件の6年後1937年7月7日に、今度は盧溝橋事件がきっかけとなり、
日中戦争は国を挙げての全面的な対決になります。実はこの時、中国も内部で分裂をしていました。
その分裂とは、
- 中国共産党:毛沢東が率いる
- 中国国民党:蒋介石が率いる
2つの政党による争いです。(「国共内戦」と言います。)
つまり、当時中国には外にも内にも敵がいる状態でした。
内部でも争っていたため、中国全体で日本に抗戦することができなかったのです。
こうした背景から、「国民党と共産党で手を組んで戦おう」と合意に至りました。
これを国共合作といいます。
ちなみに、1932年に関東軍が「満州国」という形だけの国家を作りました。
「国家」という形にすることで、”侵略ではない”という既成事実を作ろうとしましたが、
傀儡国家であることは明らかで、国連には承認されませんでした。
<ここがポイント>
日本への統一抵抗戦線を作るために、国民党と共産党が手を組んだ
4.第2次世界大戦勃発
第2次世界大戦、勃発
日本が中国との戦いをしている最中の1939年、世界も動きます。
同年9月にドイツがポーランドへ突如侵攻しました。
これに対して、連合国のイギリス、フランスはドイツに宣戦布告し、ついに第2次世界大戦が開戦します。
翌1940年にはイタリアがドイツの味方として参戦し、規模が拡大します。
翌年1941年には日本もアメリカ、イギリスに宣戦布告をしました。
結果、第2次世界大戦の戦火はアジア・太平洋にまで広がりました。
日米開戦を決めた真珠湾攻撃
ちなみに日米開戦において、私たちが絶対に知らないといけないことがあります。
それが1941年12月8日の真珠湾攻撃です。
日付まで正確に知っておきましょう。
何故これが重要なのか。それは国際法との関係があるからです。
少し時代をさかのぼります。
1907年のハーグ条約で、戦争を始めるには「宣戦布告」つまり事前通知をすることがルール化されました。
にも関わらず、日本は宣戦布告をする前にハワイ真珠湾を攻撃してしまったのです。
この攻撃は国際法を破った「奇襲攻撃」として国際的な非難を受けることになります。
この真珠湾攻撃をターニングポイントとして太平洋戦争が開戦します。
最終的には、日本、ドイツ、イタリアの枢軸国VSアメリカ、イギリス、フランスなどの連合国
という構図が出来上がりました。
<ここがポイント>
日本は、第2次世界大戦に途中から参戦していた
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」によって、アメリカとの戦争が開幕した。
まとめ
本稿では、第2次世界大戦の開戦までのプロセスをご紹介しました。
ポイントとしては、
- 第1次世界大戦の戦後秩序からの揺り戻しの中で起きたことであること
- 世界恐慌という経済パニックの中で大戦の動きが生まれたこと
の2点です。次稿は第2次世界大戦開戦後の動きを解説します。
本稿は以上です。ここまで長文お読みくださりありがとうございました!