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プラトンが考えたこと【倫理の偉人たち】

高校生

2021/12/17

倫理を学ぶ意義とは

倫理という科目は実にマイナーで、積極的に学ばれる科目ではありません。出題するところはセンター試験と一部の私立だけですし、比重もそんなに高くない。正直な話、倫理の単語集を見て、その字面をなんとなく覚えるだけでセンターの得点は80点を超えたりすることもあります。

そんな倫理ではありますが、塾講師という立場にたてば、倫理を教えなければならない場面があります。それは生徒が倫理を教えて欲しいと言ってきたとき、あるいは倫理に関する質問をしたときです。

しかし倫理を学ぶ意義は、入試に合格するためだけではありません。倫理に登場してくる哲学者や思想家は、思考のベースを提供してくれる偉人たちであり、その考えを理解するだけで数学や国語に応用できることも少なくはないのです。

何より、日常生活を豊かにしてくれます。今、あなたの目の前にあるパソコンあるいは携帯電話が今後社会にどんな影響をもたらすのか、それを考えさせるものでもあるのです。

この記事では、倫理によく登場してくる偉人たちを取り上げ、彼らがどのような思想を持っていたのかをより深く理解するために書かれます。 

今回はプラトンについて取り上げます。

 

・ソクラテスが考えたこと【倫理の偉人たち】http://www.juku.st/info/entry/1137

・アリストテレスが考えたこと【倫理の偉人たち】http://www.juku.st/info/entry/1145

も参考にしていただくと、理解が深まると思います!

プラトンという人

ギリシャの三大哲学者といえば、ソクラテス・プラトン・アリストテレスと言われているわけですが、プラトンはソクラテスの弟子にあたります。プラトンはソクラテスの一番弟子でありながらも、その生まれは由緒あるものです。

プラトンの偉業といえば、観念という言葉を創りだしたことでしょう。もともと自然哲学が流行していたギリシャですが、今ここにある現実のものだけを見ず、その原因を探るため、観念という別世界を作り上げたことは、のちのドイツ観念論に大きく影響しています。

しかし、プラトンの偉業は観念論を作り上げただけではありません。プラトンの大事な業績は、ソクラテスの考えをきちんと文字に起こし、後世に伝わるものにしてくれたことでしょう。実は、ソクラテスは、本を書かなかったがために、その思想が後世に直接伝わることがありませんでした。しかし、彼の弟子であるプラトンは、アカデメイアを創設する以前に、『パイドン』や『国家』といった本を書きました。そこには登場人物としてソクラテスがいます。ソクラテスが弟子たちからの質問に対して答えを出していくことを描いているので、ソクラテスが実際に何を考えていたのかというのが、間接的にわかるのです。


前提の確認

さて、簡単にプラトンが生きた時代を確認しましょう。といってもあまりソクラテスの時代と変わらないのですが(相対主義の流行・自然哲学の流行はまだ継続中)。

しかし、ソクラテスの時代と決定的に違うことは、ソクラテスが死刑に処せられたという事実があったことです。ソクラテスは道行く青年たちを捕まえては変な質問を投げかけているわけです。しかも、時にはその質問の相手が政治家だったり、高名な学者だったりするのです。そんな人達を捕まえて質問を浴びせ、そして相手に無知を知らしめるようなことをしているわけですから...当然、嫌われますよね。

結局、嫌われて、民主主義で死刑に処せられたという結末になりました。そしてプラトンは、ソクラテスが成し得なかったことを達成する必要が出てきたのです。プラトンが考えなければいけないことはいくつかあります。

本当に善というのが存在するのか?

善とはなにか?

ソクラテスはこの2つの問いを残しました。確かに相対主義と戦うために、ソクラテスは無知の知をかましたわけですが、それは結局水掛け論でした。本当に「絶対なる善」が存在するのかはわかりません。加えて、絶対なる善があったとして、それは一体何なのか。それについてプラトンは考える必要があったのです。

 

イデア論

まず、絶対なる善を存在することを説明するために、プラトンはイデア論を唱えました。イデア論とは、今私たちが生きている世界(現象界)にある事物を「○○だ」とわかるのは、どこか別の、観念の世界(イデア界)にある○○のイデアを想起しているからだ、という説明をあげます。

少し具体例を用いて説明しましょう。

イデア論の典型的な例とは、モノマネです。

「そんなの関係ねえ!」

「ワイルドだぜぇ~」

「いつやるの?今でしょ!」

といった流行語があるわけですが、笑いを取るときってこういった言葉を使ったりしませんか?そしてこういった動作を友人がしたとき、笑ってしまうのはそれを流行らせた元ネタがあるからです。

ついでにいうなれば、このイデア論的な考え方は和歌でいう本歌取りや現代的な洒落にもあります。

みんなが笑う・感心するのは、その人の動作自体が面白いからではなく、その人動作から背景にある元ネタを思い浮かべる(想起する)からでしょう。

プラトンは私たちが、「目の前にある存在が○○である」と認識できるのは、イデア界に元ネタがあるからだといいます。つまり、今、私たちの目の前にあるあらゆる存在はイデア界のモノマネであり、モノマネであるからこそ色んな形が見えてしまっているというのです。


イデア論が生まれた経緯

なぜイデア論なんてものを思いついたのでしょうか?

皆さんは「りんご」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?

赤くて、少し丸くて、ちょっと重い果実。

りんごという存在は小さいころから知っていたんだと思います。

しかし、なぜ皆さんは、りんごを目の前にして「これはりんご」と認識することができるのでしょうか。本当のりんごを知っているわけでもないし、りんごの定義を知っているわけでもないのに。

では、「愛」はどうでしょうか。皆さんが愛と聞いて頭にイメージするものって、実はけっこう皆さん似たりよったりなんじゃないでしょうか?母親が子供のために一生懸命になる姿、恋人のために自分の身を犠牲にする姿、それぞれありますが、「あぁ、そのイメージも愛だよね」とお互いに承認できるはずです。

皆さんはりんごの定義を知っているわけでもない、愛の定義を知っているわけでもない。

なのに言葉として当たり前に使っている。そしてお互い通じあっている。

このように、本当のそれを見たことがないのに、なぜかお互いのそれに対するイメージが共通しているんですね。ということは、人々はこの世界に生まれてくる以前に、そのイメージをどこかで身につけてきたはずだと、プラトンは考えたのです。


善のイデア

さて、イデア論の中で特に際立たせるのが善のイデアと呼ばれるものです。大半の説明では、「イデアの中に最高に位置づけられるイデア」となっております。私が受験生だったころは特にこれに疑問を挟まずそのまんま覚えたわけですが...

よく考えてみると「はぁ?」というような説明です。イデアの最高って何だ?イデアに序列があるのか?そもそも善とは何だ?とか、いろいろツッコミどころがあります。

さて、ここでプラトンはソクラテスの弟子だということを思い出してください。

ソクラテスは善について考察したわけです。そして善とは「あるべき姿」のことです。

さて、皆さんイデアってそもそもどういうものでしたか?

三角形という形、四角形という形、愛の形、様々ありますが、

それが理想とされているのはなぜか?という問いが立つわけです。

イデア界にはたくさんのイデア、つまりたくさんのあるべき姿があるわけですが、個々が一種の「あるべき姿」という性質を持っているわけで、そうなると「あるべき姿」とはなんぞやという問いが出てきます。そしてその問いが解決されなければ、イデアはイデアであれないのです。

そしてそれを解消するために生まれたのが「善のイデア」というもの。イデアたちに、「あるべき姿」という性質を付与し、イデアをイデアたらしめているのです。


プラトンの考える魂とは

 

プラトンは善について以上のように話を進めたわけですが、そこには善とはなにかという話はまだ出てきていません。というよりプラトンは、人間はどのように善を達成するのかということについて考察を深めました。

人間には魂(善くあろうとする主体)があります。

そしてその魂は3つに分割できるというのです。そしてそれらの3つは、持つべき性質、つまり徳があるというのです。

理性・・・知恵

意志・・・勇気

欲望・・・節制

理性の役割は、人間の善なるものに向かって走ろうとするものであり、意志の役割はそういった理性に活力を与えるもので、欲望とはそれを邪魔するものと考えておけばいいでしょう。だからこそ欲望は節制されなければならないし、意志は勇気を持たねばならないし、理性は何が善なのかを知るために知恵を持たなければならないのです。そして、この3つのバランスを取るための徳を、正義と呼びます。

この場合、理性が本当に重要な地位を占めることはお分かりでしょう。そもそも理性が「善」について知っていなければ、魂がどこに向かえばいいのかがわからなくなります。

プラトンはこの理論を国家にも応用するのです。国家の場合では、理性の地位に統治者階級が、意志の地位に防衛者階級が、欲望の地位に生産者階級が割り当てられます。そして魂のときと同様に、統治者階級が十分な知恵を持っていなければならないということになります。

そもそも国家のあるべき姿がわからないで、国家を統治することは難しいことです。

けれども、統治者階級が知恵を持ち、善とは何かがわかるということは、ある意味、統治者すなわち哲学者ということになります。プラトンはこの状態を理想とし、哲人政治と呼びました。


プラトンの何がすごいのか

イデアだとか魂を3つにわけるだとか、ソクラテス以上に難しいことを唱えていますよね。けれども実は、プラトンがいなかったら、私たちは観念について考えることができないのです。

昔から、愛だとか善だとか、そういった言葉は確かに存在しました。

しかし、それらは単に観念的なものであって、この世に実際に存在するものではないという見方は、プラトンが生み出したのです。ドイツ観念論だとか、あるいはその対極に位置づけられる唯物論だとか、そういったものは全てプラトンが「観念」という考え方を持ちだしたからなのです。


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