倫理を学ぶ意義
倫理という科目は実にマイナーで、積極的に学ばれる科目ではありません。出題するところはセンター試験と一部の私立だけですし、比重もそんなに高くない。正直な話、倫理の単語集を見て、その字面をなんとなく覚えるだけでセンターの得点は80点を超えたりすることもあります。
そんな倫理ではありますが、塾講師という立場にたてば、倫理を教えなければならない場面があります。それは、生徒が倫理を教えて欲しいと言ってきたとき、あるいは倫理に関する質問をしたときです。
しかし、倫理を学ぶ意義は、入試に合格するためだけではありません。倫理に登場してくる哲学者や思想家は、思考のベースを提供してくれる偉人たちであり、その考えを理解するだけで数学や国語に応用できることも少なくはないのです。
何より、日常生活を豊かにしてくれます。今、あなたの目の前にあるパソコンあるいは携帯電話が今後社会にどんな影響をもたらすのか、それを考えさせるものでもあるのです。
倫理(あるいは哲学)を知ってほしいという思いでこの記事を書きました。この記事は、倫理によく登場してくる偉人たちを取り上げ、彼らがどのような思想を持っていたのかをより深く理解するために書かれています。
・アウグスティヌスが考えたこと【倫理の偉人たち】 http://www.juku.st/info/entry/1146
・トマス・アクィナスが考えたこと【倫理の偉人たち】http://www.juku.st/info/entry/1152
など、【倫理の偉人たち】シリーズをお読みいただけると、本記事「ルネサンスの人々が考えたこと」への理解が深まると思います!
ルネサンスって何だろう?
今回のテーマは、ルネサンスです。
ルネサンスと聞くとなんだか華やかなイメージが浮かびます。きれいな街並みが整い、家の中にはきれいな絵画が飾ってある。少し離れた大聖堂には、美しい美術品がたくさん並べられていて、まさに”文化”といえるような世界です。
そのイメージはあながち間違ってはいません。ルネサンスの時代にはたくさんの芸術家が活躍していましたから。しかし、ルネサンスの特徴とはそれだけにとどまらず、彼らが考えていたことにも大きな特徴がありました。
ルネサンスとは、ラテン語で「再生」という意味です。そして目的語は、ギリシャ・ローマの文化と言われています。中世、つまり13世紀あたりまでの文化は、まさにキリスト教の文化と言えます。教会に飾ってある美術品も、お金持ちの家に飾ってある絵画、そして建造部にも全てキリスト教の要素が入っていました。
これらは、ロマネスク様式・ゴシック様式と呼ばれるものです。
【ロマネスク様式】
もともとはローマ式という意味です。10世紀末〜12世紀の間に流行した様式で、現実から離れた抽象的・幻想的なものを描くことを好んでいます。 こちらは比較的キリスト教感が出ています。
【ゴシック様式】
12世紀後半〜15世紀に流行した様式です。ロマネスク様式はけっこう”光”のイメージが強いのですが、こちらは”闇”のイメージです。ゴシック建築などを見るとわかるのですが、とても暗い印象を受けます。
しかし、ルネサンス時期になるとこれらの様式も崩れ初め、また別の要素が入ってきました。それは、人文主義と呼ばれるものです。なぜこの時期にキリスト教的要素が抜けたのかというと、理由は2つあります。
1つ目は、お金持ちが増えたということです。もともと芸術とはお金がかかかるもので、以前は教会が支援することが大半でした。教会がスポンサーでしたから、彼らの意向を汲み取っった芸術を作成しなければならず、必然とキリスト教的要素が含まれるのです。しかし、メディチ家に代表されるように、お金持ち商人がイタリアに増えてくると、教会の代わりに彼らが援助してくれるようになったのです。すると当時の芸術家たちは、キリスト教から離れるようになり、「昔の芸術とか作ってみたいな」と思い、過去の芸術作品を真似るようになったのです。
2つ目は、建築や絵画とは離れて、文学の話になってくるのですが、当時の人々は古典を愛するようになりました。それは当時、共和国が乱立するようになり、政治家・官僚が増えてきたからです。彼らはいつも事務的な作業をしているわけではなく、たまには外に出て演説したりする必要があるわけです。そうなると、やはり古典が欲しくなるわけですね。カッコつけたいから。そうなると古典を読み返そうとなるわけです。
さて、中世とはキリスト教が思想を支配していた時代でありました。
しかしその力が衰えてしまい、人々は過去に遡り始めた。
では過去の思想とはなにか?
昔にはプラトン・アリストテレスがいましたし、ゼノンやエピクロスがいました。
そして彼らの考えていたことの中心には必ず、人間の理性があるわけです。
その思想が掘り返されてしまうと、ルネサンス期の人々もまた、人間を中心に考えるようになったわけですね。
これを人間中心主義、または人文主義と呼びます。
人文主義とは?
さて、過去の思想を掘り起こした人たちが多くなってきたわけですが、そもそも当時はどのような思想だったのでしょうか?
ルネサンスの時期に入るまでは中世と呼ばれる時代で、キリスト教が絶対という風潮でした。アウグスティヌスが教義を確立し、トマス・アクィナスによってそれが体系化され、ある意味完璧な論理がそこに育っているわけです。
その思想をよく見てみると、特にトマス・アクィナスに顕著なのですが、人間は原罪を背負っており、それから逃れるためには神の恩寵しかないと言っています。
端的に、「人間って無力だよ」と言っているのですね。なんだか元も子もないような印象を受けませんか?トマス・アクィナスは、さらに、神の恩寵を得るためには教会に通わないといけないよというのです。
しかし、時代は変わりました。十字軍を派遣したら負けてばかりですし、教会は税金を取り立てるようになって人民を苦しめる存在になっていますし、それって本当に正しい存在なのか?と疑問に思う人々が出てきます。
ギリシャ・ローマの文化を見つけると、あることに気づくのです。
なんと、昔の人々は神に頼ろうとしているわけではなく、自分の力を存分に発揮しようと頑張っているではないですか!
なんと壮大な絵画!
なんと麗しい文学!
人文主義とはつまり、「人間だって、頑張ればなんでもできるんだ!」という思想です。
そこには、天国に行けることができるかだとか、真理を見つけることができるかといった議論はまだないのですが、そもそも中世は「人間って無力」と信じられていた中で、それでも「こんなに美しいものを作れる力がある」と信じられるようになったというのは、大きな変化です。
そういえば、ルネサンスといえば、万能人という人がいましたね。レオナルド・ダ・ヴィンチだとかのことです。万能人というのは、人間としての力を発揮しているということです。ある意味、人間の力を最大限に発揮したがゆえに、神の対極に位置されたものといっていいでしょう。ルネサンスの人々は、そうした万能人を目指したのです。
人文主義という考え方は、中世の思想が崩れる兆候みたいなものでした。一応留意していただきたいのは、人文主義というのは別に神を否定しているのではないということです。あくまで「人間にもできることがある」「人間って素晴らしい」と言っているだけで、「神様はいらない」とは言っていません。
代表的な人文主義者
さて、人文主義が流行したわけですが、どのような思想が生まれたのでしょうか。代表的な人文主義者たちを紹介しましょう。
ピコ・デラ・ミランドラ
まずはピコ・デラ・ミランドラです。彼は『人間の尊厳について』という本を書きました。そこには人間の自由意志について語られているのですが、ある種の人間の希望について書いてあるのです。
「人間は原罪を背負っているけど、自由意志があるじゃないか!自由意志ゆえに悪をなしてしまうというならば、自由意志ゆえに善をなすことだってできる!」
アウグスティヌスの論理を逆手に取ったような論理です。人間には自由意志があるからこそ、目指すべきものがあるというのです。
エラスムス
エラスムスはピコ・デラ・ミランドラと似たような思想の持ち主で、ルターと自由意志についての論争をしました。エラスムスは自由意志を肯定し、ルターは『奴隷意志論』において、人間は原罪ゆえに救われることがないと主張しました。自由意志は意味がないということです。
トマス・モア
人間が築く理想社会を描いた『ユートピア』を書きました。こちらについては特に目立ったところはないのですが、現代の若い日本人にとってはかなり興味深いものでしょう。最近の日本のアニメだとか小説が、ユートピアやディストピアをテーマにしたものが流行しているためです。
ルネサンスの意義
実はルネサンスについては、これといった意義はありませんが、強いて言うなれば、キリスト教中心の思想を打破するきっかけを作ったということでしょうか。
そもそも人間は無力だと信じていたら自分で考えることはしなかったでしょう。けれども古典を発掘するに伴い、人間が自ら考えるようになり、この世の真理を探求しようとしたという点は、十分に評価できると思います。
実際、ルネサンスの以後、実験や観察が発展し、自然学の研究が進みました。またそれに伴い、いわゆる近代的思想の合理主義も発達するようになったのです。