要約とは説明されているものである
要約とはかなり難しいものです。よく国語ができるためには要約ができるようにしようと言われますが、そもそもその要約が正解しているのかどうかがわからない。もちろん国語ができる人に見てもらうのが一番なのですが、残念ながら塾講師であっても文章を要約できる人はほとんどいません。
そこで今回の記事では、要約が正解しているのかどうかを検証する方法を提示したいと思います。
質問自体は単純です。
生徒に、時には自分にこう問いかけてください。
「君の要約はその文章によって説明されているかい?」
問題は、この『説明されている』とは一体どういうことかです。これを定義するのがすごく難しいのですが、まずは実際にこの問いを検証した上で、『説明されている』について解説していきたいと思います。
実際に、やってみた
モノの有用性は、その利用価値を構成する(1)。でもこの有用性というのは、別になにやら勝手に湧いて出るものじゃない(2)。それはその財の物理的な性質によって条件付けられていて、そういう条件と切り離しては存在し得ないものだ(3)。だから利用価値とか、役に立つモノとかいうのは、鉄とか小麦とかダイヤモンドとかいう商品の物理的実体そのものだ(4)。商品が持つこの性質は、その役にたつ性質を利用するのに必要な労働の量とは関係がない(5)。利用価値を検討するときには、われわれは必ず絶対量を検討しているものと想定する(6)。 『資本論』ー2003 山形浩生 プロジェクト杉田玄白正式参加作品
いくつかそれっぽい要約を作ってみましょう。
利用価値は商品の物理的実体そのものだ
おそらく小学生のころに「『〜だ』で終わる文は筆者の主張になりやすい」といった説明を信じている生徒であれば、このような答えになるでしょう。検証してみます。
1文目は「モノの有用性が利用価値を決める」とありますが、主語が有用性ですが要約にその話が含まれていないので、この要約がこの文によって説明されているとは言えません。2文目は「有用性は勝手に湧いてこない」と有用性の話をしていますので、1文目と同じように説明されていません。3文目は「有用性は物理的性質と結びつく」とあるので、説明されていません。
ここまで見ると、1〜3文目で有用性について語られているので、それについて言及する必要があるように思えます。
4文目はそのままなのでOK。5文目は「利用価値は労働と関係がない」とあり、一応利用価値の話があるのでOK。6文目は「利用価値を検討する時は物理的実体を踏まえなさい」とあり、一応利用価値の話があるのでOK。
利用価値は物理的実体で決定されるべきである
4文目がその理由としてつながり、5文目はこれの言い換えと捉え、6文目はそのままと思えば確かにつながっていると言えます。しかし1〜3文目の有用性の話題にまったく触れていないので、不適切です。
有用性と物理的性質は裏表であり、それによって利用価値が決定される
1文目はOK。2文目は有用性と物理的性質を結びつけることで話題としては含んでいるといえる(有用性は勝手に湧いてこない→じゃあ何なの?→物理的性質と裏表、といった論理があるため)。3文目は要約の前半で包括している。4文目は要約の根拠であるから問題なし。5文目は6文目とほぼ同義であり、それは要約の後半とも同義である。
よって、正解。
なぜこの問いが成り立つのか
簡単に言ってしまうと、このプロセスは要約の逆をやらせているだけなのです。
それを明確にしたのが、下の画像です。
この画像は論理的な文章の論理階層を表しています。
論理的な文章であれば、まず筆者の念頭に主張したいものがあり、そしてそれについての根拠があって、それをわかりやすくするための説明がたくさんあります。そして実際に文章としてアウトプットされるのは基本的に説明ばかりで(中学生の作文のように、「主張は○○で、理由は○○と○○だ」といって始める文章はありません)、主張や理由は説明の中で示唆しているものが大半なのです。
要約のプロセスは、文章部分から読み取り作業を行い、理由Aと理由Bをみつけ、そして主張を見つけるといった、下から上へのプロセスを踏んでいるのです。要約とは、「文章を端的にまとめたもの」であるのですから、下から上へと進み、上の階層2つ文を要約としてアウトプットするのが望ましいとされます。
しかしそれが正解なのかどうかの確認は、同じように下から上へと確認するだけだとどうしても確信が持てないのです。
そこで、一旦筆者の気持ちになり、「主張は○○で、根拠が○○だとしたら、これらの説明にきちんとつながるか...」と、上から下へのプロセスを、つまり文章を執筆するプロセスを踏むのです。要約がうまくいっていなければ、上から下へ進もうとするとどこかで違和感を覚えるはずです。
その典型例が「この文いらなくないか?」と思ってしまうこと。文章にいらない文はないはずなので、そのように思ったら、その要約にはなにかが欠けているということになります。
とはいえ、作者も完璧に論理的な人とは限らないので、文章の1割ぐらいが関係なさそうなものだとしても、それは目を瞑ってもよいでしょう。
「説明されている」の基準について
「なぜなら」や「例えば」でつながる
文章が要約の説明になっているかどうかの基準は、接続詞を用いればわかります。まず要約を複数に分解し、それらの説明に対して「例えば」または「なぜなら」の接続詞を用いることができるのかどうかを「つながっている」の基準にすることが可能です。というのも「例えば」はその要約を具体化する作業であり、「なぜなら」はその要約の根拠を示すものです。これらの接続詞は、先の論理階層の画像で言えば、上から下へと下るためのきっかけになる接続詞なので、大変重宝できます。
文中の単語を主語としている
あるいは、要約の中にある単語を主語として、その述語が文章中にあるのかの確認ですね。主語とは「説明されるもの」であり、述語とは「説明するもの」です。要約の中に主語となりうる単語を含み、それに対する述語が文中にあるのであれば、要約成功といえます。先の例では「利用価値は商品の物理的実体そのものだ」を要約した場合に、1〜3文目には「有用性」を主語とした文がたくさんあるが、要約の中に「有用性」という単語が含まれていないので、不適切になるのです。
要約の一部と同義
要約から一部分を切り離して、それが1文とほとんど同義だったりします。それは確実に要約成功と言えるでしょう。
実際に、使ってみた
実際に使ってみましょう。例えば「有用性と物理的性質は裏表であり、それによって利用価値が決定される」の要約を検証すると、
1文目:"なぜなら"でつながるor有用性を主語としている
2文目:有用性を主語としている
3文目:「有用性と物理的性質は裏表」に対して”なぜなら”でつながるあるいは同義or有用性を主語としている
4文目:「物理的性質によって利用価値が決定される」と同義
5文目:「物理的性質によって利用価値が決定される」の裏返しであり、同義
6文目:「物理的性質によって利用価値が決定される」と同義
全ての文においてきちんと被説明と説明の関係が成立するので、問題ないということになります。
今回の文章では「例えば」でつながることはありませんでしたが、通常の現代文であれば例示がけっこう多いので、そのときに有用になります。1つの段落の中に例示の文が3つあったりするので、そういうときに使ってみてください。
他にも「つまり」だとか「しかし」といった接続詞はありますが、要約の後ろに「つまり」がくっついてしまうと、要約が別の言葉にもっと抽象的に言い換えることができるということなので、その要約が不適切ということなります。「しかし」も同様で、「しかし」でつながってしまえば、その要約は重要でないことを意味してしまいます。
※「AつまりB」とは、Aを抽象的にまとめるとBになるという意味なので、Aに要約部分が入るとすると、その要約をもっと端的にまとめることが可能になるということです。
※「AしかしB」は、AよりBの方が重要視されるので、そうなると要約が重要でないということになってしまいます。
作文的に考える
要約が文章によって説明されているのかの基準は作文の技法を用いることもできます。
皆さんは作文を書くとき、次のように習いませんでしたか?
「まずは主張を最初に書こう。そして理由だとか具体例を続けて書けば良い」
例えば文章のある段落を要約したとします。すると当然その要約は、ほかの文章のまとめになっているはずです(なっていなかったら要約ではありません)。裏返せば、それはその段落の主張なのですから、その段落の一番最初において違和感がないはずなのです。
例えば先の例文を用いれば、
有用性と物理的性質は裏表であり、それによって利用価値が決定されるのだ。モノの有用性は、その利用価値を構成する(1)。でもこの有用性というのは、別になにやら勝手に湧いて出るものじゃない(2)。それはその財の物理的な性質によって条件付けられていて、そういう条件と切り離しては存在し得ないものだ(3)。だから利用価値とか、役に立つモノとかいうのは、鉄とか小麦とかダイヤモンドとかいう商品の物理的実体そのものだ(4)。商品が持つこの性質は、その役にたつ性質を利用するのに必要な労働の量とは関係がない(5)。利用価値を検討するときには、われわれは必ず絶対量を検討しているものと想定する(6)。
となります。違和感がまったくありません。逆に他の要約、「利用価値は物理的実体で決定される」を入れてしまうと、最初の3文ぐらいがなんか浮いている感じがするのです。それは当然で、最初の3文は有用性の話をしているのに、有用性について要約が触れていないのですから。
文章をいきなり要約しない
この方法の注意点があります。文章全体の要約には、この技法が通用しません。
というのも要約が50文字に対して文章は数千文字。この文字量の差において、要約と文章がつながっているのかどうかという違和感を覚えるには、かなりの論理的センスが必要となります。例えば数千文字の文章の最初に50文字の要約を置いたところで、文章と要約の間がつながっているのかどうかはすごくわかりにくいです。
この壁を超えるために必要なことは、文章をまずは段落ごとに分解し、段落を要約すること。そしてその要約と、文章全体の要約がつながっているのかを確認すること。こうすれば、文字量の差を解消することができます。
まとめ
結局のところ、魔法の問いも「説明されている」の定義が曖昧なために少し難しくなりました。けれどもそれも、接続詞や主語と述語を用いればある程度は解消されます。
最初はこの問いの真意を理解するのは難しいかもしれませんが、10回ぐらい段落の要約をやっていくと、なんとなくわかってきます。
要約ができるようになると授業の幅が広がります。現代文でも使えますし、英語の長文でも使えますし、あるいは社会や理科での説明でも使えるようになりますので、是非使ってみてください。
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