倫理を学ぶ意義とは
倫理という科目は実にマイナーで、積極的に学ばれる科目ではありません。
出題するところはセンター試験と一部の私立だけですし、比重もそんなに高くない。
正直な話、倫理の単語集を見て、その字面をなんとなく覚えるだけでセンターの得点は80点を超えたりすることもあります。
そんな倫理ではありますが、塾講師という立場にたてば、倫理を教えなければならない場面があります。
それは、生徒が倫理を教えて欲しいと言ってきたとき、あるいは倫理に関する質問をしたときです。
しかし、倫理を学ぶ意義は、入試に合格するためだけではありません。
倫理に登場してくる哲学者や思想家は、思考のベースを提供してくれる偉人たちであり、その考えを理解するだけで数学や国語に応用できることも少なくはないのです。
何より、日常生活を豊かにしてくれます。
今、あなたの目の前にあるパソコンあるいは携帯電話が今後社会にどんな影響をもたらすのか、それを考えさせるものでもあるのです。
倫理(あるいは哲学)を知ってほしいという思いでこの記事を書きました。この記事は、倫理によく登場してくる偉人たちを取り上げ、彼らがどのような思想を持っていたのかをより深く理解するために書かれています。
ついにきた、理性の時代
"enlighten"
「啓蒙する」という言葉を英語にすると、その意味を垣間見ることができます。
enとは「入る」という意味で、lightとは「光」という意味です。
つまり、啓蒙とは「光を当てる」という意味を持つということです。
では何に光を当てるのか。
それは、理性でした。
自然科学やデカルトの合理主義が発達したことは、確かに理性の発展に寄与したのですが、キリスト教で例えれば、それはキリストがキリスト教を始めたという段階に過ぎません。
まだ、世界は理性に支配されていませんでした。
本当に理性の時代が到来したといえるのは、啓蒙思想家たちが登場してからです。
中世はキリスト教こそが普遍性を持つ真理とされていました。
しかし18世紀ごろから、理性こそが普遍性を持つ真理とされたのです。
この考え方を、啓蒙思想と呼びます。
啓蒙思想家の起源
啓蒙思想家は理性に没頭すると言われていることから、啓蒙思想の起源はデカルトにあるといえるでしょう。
参照:「デカルトが考えたこと」
http://www.juku.st/info/entry/1204
しかし、啓蒙思想家とデカルトとの違いは、「理性は普遍的である」を強調しているのか否かです。
普遍的とは、真理であるということで、
地球のどこにいっても理性によって導かれたものは正しいとされるということです。
中世のときは、信仰が普遍的であるとされており、
他の国の人たちがキリスト教について知らないこと=真理を知らないこと
として、“教化すべき”と考えられていたのです。
啓蒙思想では、理性こそが真理となりましたので、世界に普及すべきものは理性とされました。
そして理性によって発達した世界は“文明”と呼ばれました。
この考えに基づけば、啓蒙思想はキリスト教と変わらなくなってしまいました。
理性に沿わない考え方は全て否定されるべきとなり、そのような世界を“野蛮”と表現し、その世界を“遅れている”と表現するようになったのです。
この考え方は20世紀後半にレヴィ=ストロースが登場するまで、ずっと続いていたのです。
啓蒙思想とフランス革命
フランス革命と啓蒙思想は切っても切れない関係にあります。
政治的にいえば、階級制度から共和制度に変わったと捉えることができますが、思想的には信仰中心から理性中心に移り変わった象徴ともいえるのです。
なぜそういうことが言えるのかについては、フランス革命の成果物を確認してみればわかります。
フランス革命の成果物といえば、フランス人権宣言であり、自由権です。そこにはこう書かれています。
人は、法律上(→権利において)、自由かつ平等に生まれている。 社会的差別は、公共の利益に基づくのでなければ、存在することはできない。 ーフランス人権宣言1条
何人も、法律によって、決められた場合に、及び定められた手続きに従わない限り、訴追、逮捕されず、拘禁されない。 ーフランス人権宣言7条
(参照URL:http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/Jfrdeclaration.html)
フランス人権宣言を眺めていると、「人は」とか、「何人も」とか、とにかく人間全般を主語としています。領主だとか商人だとか特定の階層を決めていないのです。
つまり、人について普遍的なことを、フランス人権宣言では語っているのです。
これに加えてフランス革命後に採用された政治体制はロックやルソーの思想に基づいたものです。
人権という考え方、民主制という考え方、これらは両方とも、自然状態という仮定から、理性によって導出された理想の政治体制なのでした。
フランス革命以前の政治体制とその根拠と比較すれば、その特徴がより明確になります。
フランス革命以前は絶対王政でした。
王様が頂点に君臨し、官僚と常備軍を持ってその権力を維持していました。
そしてその絶対王政の根拠とされていたのは、フィルマーが提唱した王権神授説というものです。
神が権力を王様に授けたのだから、民衆はそれに従うべきというのです。
そこにあるのは理性ではなく、神への信仰を根拠にしています。
一方で共和制は、ロックやルソーといった自然状態という仮定から演繹的に導かれた、理性的な政治体制なのでした。
フランス革命は政治的に重要な事件ですが、
思想的にも重要である、と頭のどこかに留めてくださると幸いです。
百科全書派 理性VS信仰
ところで、啓蒙思想家といえば、百科全書派を無視することはできません。
信仰から理性への移行とは、いきなりポンっと移行したわけではなく、啓蒙思想家たちが信仰からの圧力に抵抗してやっと生まれたものでした。
その抵抗者の代表例が、百科全書派なのです。
百科全書派と聞いて皆さんが最初にイメージするのは、「百科事典」でしょうが、そのイメージはおおまかに正解しています。
百科全書派とは、「百科全書」の編纂に関わった人たちを指します。
百科全書とはまさに百科事典のようなもので、この世にある、政治、哲学、芸術、数学、ありとあらゆる知識をまとめようとしたのでした。
それはまさに知の宝庫と言えるのもので、さらにいえば理性の成果物といえるものでした。
ゆえに、信仰を重視する宗教界からは忌み嫌われ、さらにそこから恩恵を受けている特別階級からも嫌われるということになってしまったのです。
百科全書派の代表格であるディドロは弾圧を受けましたが、なんとか百科全書を完成させたのです。
啓蒙思想は理性を重視する人たちですが、それは逆に言えば、当時中心的であった信仰に歯向かうという危険な行為でもあったのです。
啓蒙思想の意義
理性的に考えること。
それが当たり前になったきっかけが啓蒙思想なのです。
絶対王政を崩すきっかけにもなりましたが、一方で近代国家を生み出すきっかけにもなっています。
啓蒙専制君主と呼ばれる人たちが誕生したのです。
これは世界史の話になるのですが、プロイセンのフリードリヒ2世やオーストリアのヨーゼフ2世はその代表格です。
すごく短絡的なイメージになるのですが、
絶対王政の王様は「俺様が全て正しい」と考えていたり、「○○家に従う」といった、物語に出てきそうな王様なのです。
一方で、啓蒙専制君主は「人民が幸せになるためには、○○と○○が必要だ。だからこの改革を行って...」と、理屈であれやこれやと国家の運営を考えるイメージです。
今となっては、後者がいい王様だってきっとみんな思いますよね?
それにきっと、理屈で国家運営を考えることは当たり前だと思うことだと思います。
けれどもその「当たり前」というのは、啓蒙思想がなければありえなかったのです。
そう考えると、啓蒙思想ってすごいと思いませんか?