泰平の世
前稿「【日本史講師対象】江戸時代をいかに教えるか①~江戸幕府のはじまり~」では、
- 江戸時代のはじまり
- 関ヶ原の戦い
- 将軍職の世襲
- 徳川家からの視点
についてご紹介しました。
本稿では、最大の敵対(となり得た)豊臣家を滅ぼした大坂の陣後、
約260年に及ぶ泰平の世の中を江戸幕府はいかに作り上げたか
大名統制を視点として、生徒がしっかり理解できる指導法をご紹介します。
コンテンツ
1.大阪の陣の終結
2.一国一城令
3.平和な時代への歩み~武家諸法度を視点として~
4.江戸時代における武士
1.大坂の陣の終結
まずはもう一度、江戸時代初期に起こった大坂の陣から話を始めます。
1614年の大坂冬の陣、そして1615年の大坂夏の陣。
2度にわたる戦いによって徳川家康は豊臣家を滅ぼすことに成功しました。
徳川幕府にとって、この豊臣家との戦いの勝利は、一大名を滅ぼす以上に大きな意味を持ちました。
その歴史的意義について考えてみましょう。
この戦果で、徳川家が手に入れた最大のメリットとは、徳川幕府に対抗し得る勢力を無くせたということです。
徳川幕府がこのまま支配力を強めていくのか。
はたまた豊臣家が勢力を挽回するのか。
大阪の陣はそれをはっきりさせるものでした。
この決着がついた後、幕末の動乱までの260年間、国内で際立って大きな争いがない期間を迎えます。
こうした泰平の世を作ったことから、
大坂の陣は応仁の乱(1467年)から続いていた戦国時代に終止符を打った戦いと評価されます。
<ここがポイント>
大坂の陣によって豊臣家を滅ぼし、徳川幕府は対抗勢力を消滅させた
2.一国一城令
大阪の陣直後、大名統制の先駆けとして挙げられるのが「一国一城令」です。
簡単にいえばこれは大名の居城を1つに絞る命令です。
関が原の戦い以降諸大名が城郭を新築する、いわば「建築ブーム」が続いていることに、
徳川家康は不満をもっていました。
家康は諸大名が立派な城を増築して、強大な経済・軍事力を持つことを恐れていたのです。
城というのは戦時の倉庫、防御、司令部など、軍事的役割を果たすからです。
そこで諸国の大名の経済・軍事力を制限するために、居城以外の城郭の破却を命じました。
ここで、ポイントになるのは全国ではなく、西国の城を対象として発令したことです。。
それはなぜか。
江戸から遠い西国には、外様大名を多く配備していたからです。
遠くにいるとはいえ、もともと味方ではなかった大名たちが、軍事施設を多く持っているのは、
やはり為政者にとっては気が休まらないものでした。
※外様大名・・・関が原の戦い(1600年)以降、徳川氏に従った大名。
しかし、これには別の見方もされています。
それは大名以外の家臣、家来などに城郭を与えないことで、大名が城を独占できる。
つまり、「トップに立つ大名のみしか所有することができないもの」という格をしっかりつけ、
家臣に対する大名の権限を強化したとも評価できるのです。
<ここがポイント>
「一国一城令」は、大名の軍事力抑制に加え、支配地域での大名の権限を強化した
3.平和な時代への歩み~武家諸法度を視点として~
さて、最大の対抗勢力であった(なり得た)豊臣家の滅亡させた後、
徳川幕府が次に取り組まなければならないこととは何でしょうか。
(生徒に問いかけてみても良いかもしれません。)
幕府は支配の安定期を獲得できたら、それを維持するようにしていかなければなりませんよね。
平和を維持するために、幕府は、(力をつけたら)大きな脅威になる大名に法度を出して規制をかけます。
徳川家康が南禅寺の僧金地院崇伝に起草させ、
徳川秀忠の名で発した武家諸法度(大名統制の基本的統制策)元和令を確認してみましょう。
一、①文武弓馬の道、専ら相嗜むこと
一、②諸国の居城、修補をなすと雖、必ず言上すべし。況んや新儀の構営堅く 停止せしむる事。
一、隣国の於て新儀を企て徒党を結ぶ者之ば、早速に言上致すべき事。
一、③私に婚姻を締ぶべからざる事。
引用元:『徳川禁令考』
と記されています。
武家諸法度の解説ポイントは以下の3つです。
<ここがポイント>
①文武弓馬の道
武士にとって嗜んでおくべき教養のことを指しています。
この後文治政治への転換との比較が入試のポイントとしてよく問われます。
②新規築城の禁止
これは前述した「一国一城令」をより徹底させたものです。
新たにお城を作らせないことの徹底に加え、修理をする際にも必ず届け出るように定めました。
「修理」という名の増築を防ぐためです。
③大名同士の結婚について
領国以外の大名と結婚する際には、必ず幕府の許可を必要としました。
これも、血縁関係の結びつきが強くなることで大名間の連帯力が増し、幕府の脅威になることを予防するためです。
4.江戸時代における武士
武士の仕事≠兵力の提供?
江戸時代の身分制度は、よく知られているように士農工商です。
このうち、農工商は人口の90%を占めており、武士はわずかに7%程度でした。
本稿では割愛しますが、身分をはっきり分けることが出来たのには、
豊臣秀吉による兵農分離の功績が背景にありました。
兵農分離によって、言わば、より、その職業の純粋性を高めた武士ですが、近年江戸時代の武士へのイメージは変わりつつあります。
鎌倉時代から室町、戦国時代までの武士像を思い出してみてください。
武士という概念は長きにわたる歴史学の論争の火種であり、かつ定義が非常に難しいので、本稿ではその点は触れません。
しかし、おおもとの定義としては、
平安末期の源平争乱~戦国時代まで、戦時の際のための兵力であり、そのために存在していた身分であった
ということは言えるでしょう。
江戸時代も武士はこうした流れの一部を引き継ぎ、苗字帯刀や切捨御免などの特権が与えられています。
戦国時代まで、武士は、戦乱の世の中で刀を振り回しているイメージが強いと思うのですが、
この武士像は江戸時代に大きく転換されたと言われています。
具体的にどういうことか。
江戸幕府はその緻密な支配機構の要職に大名を任命していました。
そうした支配機構、たとえば、
地方の役所である代官所などには、帳簿や文書の記録に励んでいる武士の仕事ぶりが絵巻物によって数多く残されていますし、
仕事内容の一部として規定されていました。
つまり、武士はそれまでのように戦時の兵力としての役割よりも、
行政を担う官僚としての役割を担う側面が強くなりました。
<ここがポイント>
武士は行政を担う官僚としての役割を持つようになった
武士を取り巻く環境の変化
江戸時代の武士は、中世までのように土地を所有していません。
前述したように、都市生活者となって地方の役所で行政の一端を担っていました。
役所での仕事を担うようになると、それまでの武芸を専門としていた仕事から、公務のための文書を扱う官僚のような仕事に変わっていきます。
家格による制限は一応設定されていましたが、
実際の役人の選任のプロセスを見る限り、家格よりも仕事の専門的な知識、能力が重視されていました。
例えば、採用にあたっては読み、書き、そろばんの力を試す試験が実施された事が史料に残されています。
家柄よりも職務に必要な基礎知識があるか否かを重視した採用システムだったということが分かりますね。
部分的ではありますが、仕事の上での実績に応じた昇進制度も整えられていました。
中世までの幕府に比べて、近世の行政はより細かく分業化されています。
こうした事を可能にしたのは、もちろん、きちんとその指揮命令系統が行き渡っていたということ、
そして、江戸時代にはすでにこうした命令や行政報告をするための文書管理が行われていた。
≒識字率の高さに見られる江戸の教育力が備わっていたという要因があったのです。
これは
- 4代将軍家綱の治世における「文治政治」への転換
- 幕末のなぜ日本は近代に至る過程で植民地支配されなかったのか
という事とも深くつながってきます。
また、武士の役割変化の理由については、武士を取り巻く背景の変化があげられます。
いざという時のための軍事力としての役割が減る
→大名を機動するような大規模な反乱がない時代になっていた。
という点を授業で是非おさえておいてください。
なぜこれをここでご紹介したかというと、江戸時代におけるこうした武士の性格が、
幕末から明治にかけての士族階級の廃止に深く結びついてくるからです。
この点については、またシリーズで詳しくご紹介しますので、頭の片隅に入れておいてください。
また、この後、3代将軍徳川家光が発令することになる武家諸法度「寛永」令では、
大名たちの領国内で反乱が起こった場合には幕府の命が無ければ、それをおさえつける武力を使用してはならない事が規定されます。
いざという時の武力でさえ発動を制限する。
こうした思い切った武家諸法度を発令することが出来たのにも、
本稿で述べてきたようにそれを発動する必要性のない平和な時代を迎えていた、
という背景があったからでした。
<ここがポイント>
江戸時代は、武士が戦乱を担う役割がなくなるほど、泰平の世になっていた
まとめ
本稿では、大名統制を視点として江戸幕府がいかに泰平の世を作り上げようとしていたかについてご紹介してきました。
最後に指導のポイントをまとめると、
テーマ:平和な世の中へ!大名が守る武家諸法度
○大坂の陣終結
(1)大坂の陣勝利の意義
(2)次に徳川幕府がしなければならないこと
(3)一国一城令
○平和な時代へ
(1)武家諸法度・元和令
(2)それぞれの内容にこめられた想い
○江戸時代における武士
(1)武士のイメージ
(2)江戸時代の武士の仕事とは!?
という順番で説明すれば、大名統制のあり方がしっかり因果関係とともにわかると思います。
本稿は以上です。
次稿は本稿で言及できなかった朝廷との関係、幕藩体制についてお伝えします。
ここまで長文ご精読ありがとうございました!
<参考文献>
・『徳川幕府のしくみがわかる本』 (別冊歴史読本(96号)、新人物往来社、2002年)
・福田千鶴『江戸時代の武家社会ー公儀・鷹場・史料論』(校倉書房、2005年)
・谷口眞子『近世社会と法規範 : 名誉・身分・実力行使』(吉川弘文館、2005年)
・大石学『江戸の教育力:近代日本の知的基盤』(東京学芸大学出版会、2007年)