1950年代半ば~1960年代後半にかけて、日本では
1945年9月2日。日本はミズーリ号上で降伏文書に調印し、アジア・太平洋戦争はついに終結しました。
戦争における多額な費用によって日本国内の経済は底をつき、
空襲の被害は「国破れて山河荒れ果て」と表現されるまでに壊滅的なダメージを受けていました。
”復興までに少なくとも50年はかかる”
それほどまでに、日本が復興する道のりは長く、険しいものと言われていました。
しかし、その後の国民の不断の努力と適切な経済対策によって、
1968年にはGNP世界第2位になるまでに経済復興を成し遂げます。
その大きな要因の1つとして、高度経済成長期がありました。
<参考>戦後の経済成長と公害をいかに分かりやすく、飽きさせずに生徒に教えるか?
しかし、経済の発展を追い求めた反動で、1960年代、日本は「公害」の問題に直面します。
上記の問題意識のもと、本稿では、
高度成長期の4大公害病をいかにわかりやすく教えるか
ということをお伝えします。
コンテンツ
1.環境への負荷を減らすことは難しい
2.実は法律を守っていた各企業
3.四日市ぜんそく
4.イタイイタイ病
1.環境への負荷を減らすことは難しい
豊かな日本を目指して目まぐるしい経済発展を遂げていたのが、高度経済成長期の特徴です。
これは現代にも通じることですが、モノを生産すると、必ずその製造過程で環境への負荷が起こります。
そもそも動力を動かすために電力を消費しますし、1つ1つの部品をつくる中で大量のゴミも生まれます。
工場の人にお話を伺ってみると、環境への意識が高い現在でも、環境への負担をなくすことは難しい取り組みであるそうです。
とはいえ、現在は排ガスであったり排水をきちんと浄化して放出する技術も上がっています。
なのでより環境を意識した生産を行っている企業が多いということを、付け加えておきます。
<ここがポイント>
モノを生産することと、環境の負担を減らすことを両立するのは大きな労力を伴う
2.実は法律を守っていた各企業
話を戻します。
高度経済成長期の日本は現在よりも環境への意識が低く、様々なところにその弊害が誕生していました。
私の祖母は、まさにこの時代の東京で生活していたのですが、1960年代の東京というのはオリンピックよりも新幹線の開通よりもとにかく「クサかった」という印象が強いそうです。
工場の排ガスがモクモクと立ち込めて視界は悪く、生活排水による鼻をつまむような臭いが街中を包んでいました。
しかし、驚くことに各企業、工場ともに(排ガス規制の)法律をしっかりと守って生産活動を行っていました。
ではいったいどうして「公害」といわれるようになるまで、これを防げなかったのか?
そんな問題意識を持ちながらここからお読みください。
<ここがポイント>
高度経済成長期、環境の問題に悩まされていたのは「公害」が起こった地域だけではない。
3.四日市ぜんそく
当時、「公害」の問題が最初に表面化したのが「四日市ぜんそく」です。
名前の通り、三重県四日市の四日市コンビナート付近の住民の多くが1959年頃からひどいぜんそくにかかりました。
毎日多くの患者がぜんそくという診断を受け、何かがおかしいと問題になったのです。
調査の結果、四日市コンビナートから出ていた工場排ガスが原因でした。
基準値を超えた排ガスを多く吸い込んだことが原因で、住民の呼吸器官に悪影響が出てしまいます。
しかし、先述したように四日市の各工場は法律で定められた基準を守って排ガスを放出していました。
では一体なぜこれだけの環境問題となってしまったのか。
実は、当時の法律には総量規制がされていませんでした。
1つ1つの企業に排ガスの基準値が設定されていても、そもそもその企業や工場の数が多ければ総量としてとてつもなく膨大な量の排ガスが蔓延してしまいますよね。
結果、トータルでかなりの排ガスが四日市に放出されてしまったわけです。
日本には以下の有名なことわざがあります。
「塵も積もれば山となる」
当時の法律はこのことわざを意識できていなかった規制であった、と評価されています。
<ここがポイント>
各企業は法律を守っていたが、全体の総量として基準を大きく超えていた
なぜ事態改善が遅くなったか
次に、「四日市ぜんそく」問題のおおまかな流れをご覧ください。
1959年頃~ 四日市コンビナート付近で多くの住民が健康被害
1967年 損害賠償請求
1972年 原告勝訴→総量規制を設ける
上の年表を見て何かお気づきになることはないでしょうか。
まず、多くの住民がぜんそく患者が増える1959年頃から、損害賠償の裁判がはじまるまでに約8年、
そしてさらに原告が勝訴するまでに4年かかっていますよね。
調査に多少の時間がかかるとはいえ、かなりの長い時間がかかっていることが読み取れると思います。
一体なぜ、原告が勝訴するまでにこれほど時間がかかってしまったのか。
結論から述べると、主たる要因の1つとして、
地元の四日市市や三重県が毅然とした態度を取れなかったという事実がありました。
四日市のコンビナートは三重県、そして四日市市の財政と深い結び付きがあったからです。
税金との関連でご説明します。
以下の税制度をご覧ください。
<法人と税金>
・法人税(法人の所得に課せられる税)→国
・法人事業税(法人税割+均等割)→都道府県
・法人住民税(所得から算出された法人税額に住民税率を乗じた税)→市町村
法人は、要するに企業の事です。
法人は売上の一部を税金として、上記のように各自治体に納めることになっています。
(1つ1つの法人税について別途詳しい説明が必要ですが、ここでは割愛します)
四日市コンビナートは自治体の財政と深い結び付きがあるだけでなく、
地域に住む人達の雇用も生み出していました。(こうした状況を「企業城下町」と呼びます。)
もし公害の取り締まりを厳しく追及して会社が潰れてしまったら・・・
その地域の経済パニックにもつながりかねません。それゆえ、厳しい追及をすることができませんでした。
公害が早期解決できなかったのは一体なぜなのか。
授業では、こうした問題意識も持ちながら生徒に伝えられるとよいですね。
<ここがポイント>
該当企業を厳しく追及できなかったのは、「企業城下町」という経済のつながりが背景にあった
4.イタイイタイ病
次に、「イタイイタイ病」の歴史を見てみましょう。
この病気は、患者の症状からついた名前です。1946年富山県神通川流域で明らかになりました。
もともと大正時代から、このあたりで鉱毒の影響が植物に出ており、何か排水と関連があるのではないか、
と睨んでいる研究者がいました。
戦後、富山市の病院の医師が、患者の様子からその独特の症状を発見しました。
その症状は、全身に激痛を感じ、ひどい時にはくしゃみや咳をしただけで骨折をしてしまいます。
病院でそんな患者を目の当たりにした医師が、「これはおかしい」と調査に動いたのです。
疫学的調査の結果、水との関連で病気が発症していることに気が付きます。
患者の住んでいる地域などから、神通川上流で金属鉱業を取り扱う会社の廃水に含まれるカドミウムが原因であるとわかります。
カドミウムは体内に入ると、カルシウムと置き換わって骨を蝕んでいきます。
この病気は特に妊娠した女性に患者が多かったのも特徴でした。
女性はお腹の中に胎児を授かると、胎児の成長に必要なカルシウムをへその緒を通して渡すからです。
渡したカルシウムの代わりにカドミウムが入ってくると、強度が足りなくなって、イタイイタイ病の症状が悪化してしまうのです。
<ここがポイント>
イタイイタイ病は、カドミウムが原因となって引き起こされた病気である
特に妊娠した女性に患者が多かった
対応が遅れた理由
イタイイタイ病は1946年に発覚していましたが、公害と認定されるのは1968年です。
イタイイタイ病がカドミウムによる「公害」と認められるまで、一体なぜ20年を超える月日がかかったのか。
調査を進めていく途中、ある企業は早い段階でカドミウムとの関連を疑われ、
「(その企業から出す)廃水に含まれているのではないか」と問われていました。
しかし、企業は「私たちに責任はありません。他に何らかの理由があるはずです」
と説明しました。結果、その他の理由を探す科学的検証を行うことになってしまいます。
そして、科学的検証は1つ1つを入念に調べるのに時間がかかるため、結果対策が遅れてしまいます。
すでにイタイイタイ病の患者やその遺族は責任を追求する裁判に立ち上がっていました。
しかし、調査結果をなかなか出せないゆえに、事態はなかなか進展しませんでした。
また、訴えた人たちは”金がほしいだけ”と悪口を言われた時期もあります。
患者であるだけで、「不可解な症状を持つ人」と陰口を言われ、
神通川流域に住んでいるただけで”何かおかしな病気が流行っている地域の人”という差別も受けました。
公害は病だけでなく、こうした何層にも重なる差別を生み出していたのです。
授業ではこうしたことも、生徒にしっかり認識させるようにしましょう。
<ここがポイント>
「私たちに責任はありません」という言葉にも大きな責任がある
患者やその親族は、病だけでなく差別にも苦しめられた
まとめ
本稿では、ここまで高度成長期のひずみとして生まれた環境問題、そして4大公害の「四日市ぜんそく」と「イタイイタイ病」の歴史をお伝えしました。
最後に指導のポイントをまとめると
テーマ:高度成長のひずみから生まれた公害とは何だったのか?
◯高度成長期の日本
(1)1960年代の日本とは?
(2)公害という概念が生まれた
(3)実は法律を守っていた?
◯四日市ぜんそく
(1)三重県四日市市で起こった健康被害
(2)なぜ呼吸器に問題が生じたか
(3)総量規制という概念
(4)なぜ対策は遅れたのか
◯イタイイタイ病
(1)水との関連
(2)なぜ女性に患者が多かったのか
(3)カドミウムが疑われたが・・・
(4)公害が生み出した差別
となります。
この公害を現代に生きる私達がなぜ考えられなければならないのか。
そして何を考えるべきなのか。そういったことも踏まえて本稿をお伝えしてきたつもりです。
次稿ではまとめも含めて、残り2つの公害問題をお伝えします。
本稿は以上です。ここまでお読み下さりありがとうございました。
○参考文献
・政野淳子『四大公害病』(中公新書)
・宮本憲『昭和の歴史10-経済大国-』(小学館)
【あわせて読みたい記事】
・【社会科講師対象】学習ノートをどうつけさせるか?そのメリットとデメリット!