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【社会科講師必見】公害の問題を分かりやすく説明する方法②

高校生

2021/12/17

”公害”の歴史が私たちに問いかけていること

前記事「【社会科講師必見】公害の問題を分かりやすく説明する方法①」では、


・高度成長時代のひずみからいかにして公害が生まれたのか。
・四日市ぜんそくとイタイイタイ病から見える公害の問題とは何か

についてお伝えしてきました。

本稿では前稿で紹介しきれなかった、

「水俣病」「新潟水俣病」をいかにわかりやすく教えるか 

をお伝えしていきます!

コンテンツ

1.世界に知られた「水俣病」
2.なぜ、原因究明が遅れてしまったのか
3.新潟でも水俣病が生まれた
4.公害問題がその後に与えた影響

1.世界に知られた「水俣病」

4大公害の問題でも、とりわけ企業の責任やモラルの問題で世界的に知られることになったのが、

水俣病です。その特異さゆえに、海外にも広く知られることになりました。

(外国の研究機関でもこの水俣病を対象とした研究論文が多数執筆されています。)

そんな水俣病はいったいどのような原因で引き起こされたのか。ここから丁寧に確認していきます。

水俣病とは

「水俣病」は、熊本県水俣市の、ある病院での出来事がきっかけで明るみになりました。

水俣港

時は、1956年4月。地元に住む5歳の子が病院の診察にやってきます。

その子どもは神経が麻痺する症状が出ており、すぐに原因を突き止められない病気にかかっていました。

診察した医師もこれまで全く見たことのない症状でした。

後にわかることですが、水俣市にある企業(以下、「A社」とします)の排水※に含まれる有機水銀が原因でした。

<※用語の確認>
・廃水:使用後の汚れた水のこと
・排水:水を外に排出すること

A社の排水はそのまま水俣湾へと流れこみ、大量の有機水銀が海水に放出されてしまいました。

水俣湾に流れ込んだ有機水銀をまずはプランクトンが食し、そのプランクトンを魚が食し、その魚が家庭の食卓に並んでしまったのです。

有機水銀

上の絵のような食物連鎖で人体に有機水銀が入り込んでしまったのです。

メディアはこのニュースを”特ダネ”としてピックアップし、「水俣に奇病の子ども」と大々的に取り上げました。

同様の症状を訴える患者は日が経つごとに増え、水俣市にいる猫も同じ症状を発症していることが明らかになりました。

こうした状況を目のあたりにした水俣市は、「奇病対策委員会」を設置し、対策に乗り出します。

デマの情報が流れた

後ほど詳述しますが、この水俣病も原因が究明されるには長く時間がかかりました。

そうなると、原因が究明されるまでの間に様々な憶測が流れます。

その1つに、”水俣病(当時は”奇病”)は感染して他の人にうつってしまうのではないか?

という噂がありました。

水俣病を患う患者やその家族が買い物に行くと、「手うつりするから」とお金の支払いを箸で受け取る現象が起こってしまいます。

東日本大震災の時を思い出してみてください。

農作物や健康被害について、根拠のない風評被害が出ていましたよね。

「何か大変なことが起こっている。けれどその実態や原因は全く分からない」

こうした心理が生み出すデマ情報の拡散というのは、残念ながら今も昔もそれほど変わらないのかもしれません。

2.なぜ原因究明が遅れたか

いったいなぜ根拠のないデマ情報が流れてしまったか。

結論から述べると、原因をはっきりさせるのに時間がかかったからです

本節では、原因究明に時間がかかった理由を考察していきます。

実は、早い段階からこの水俣病はA社の排水と関係があるのではないか?と目をつけている研究者たちがいました。

研究

熊本県内の国立大学の研究チームです。

神経を害する患者が住んでいる地域や、その食べ物を調査していく中で、A社の排水に因果関係があると睨んでいたのです。

この研究者たちはこの因果関係を調べるため、A社の調査を依頼します。

排水に関係ある/ないどちらにしても、疑わしい部分を調査する必要があったからです。

しかし、A社はこの調査を認めませんでした。

実はこのA社には、工場の排水に含まれている有機水銀が原因かもしれないと、気が付いている社員がいました。

ですが、内部告発をして事実を追求することをせず、汚染の事実を隠す方に動いてしまいます。

もし事実が明るみになれば、企業のは社会的責任を追及されます。

それゆえに、労働者としては働き先を内部告発できなかったのでしょうか、それとも別の理由があったのか?

こればかりは今でもわかっていません。

いずれにせよ、この汚染隠しがなされたことによって、原因の究明は遅れてしまいました。

そしてこの時、A社の立場に寄り添って、以下のような見方を述べる学者が登場しました。

意見

「水俣湾の近くにある弾薬が関係している」と弾薬説を唱え、A社の潔白を訴えたのです。

この学者が所属する大学は、現在も日本トップクラスを走り続ける国立理系大学でした。

大学のネームブランドがあるゆえに、その学者が唱えた説も検証することになります。

「弾薬説」は事実無根でしたが、検証した分、原因究明により時間がかかってしまったのです。

3.新潟でも水俣病が生まれた

熊本での水俣病の原因がはっきりしない中、今度は新潟で同じ病気が発生してしまいました。

発覚したのは1965年、新潟県阿賀野川流域にあるアセトアルデヒドを製造する工場の排水に含まれていた水銀が原因でした。

このアセトアルデヒドを製造していた企業は、工場から出る「排水によるものではないか」という指摘を受けますが、前年の1964年に起こった新潟地震によって、農薬が川に流れ込んだことが原因だと反論します。

違う説が登場するとまた、その企業の説を擁護する団体や学者などが現れ、調査をする時間がかかってしまいます。

こうして、1967年に原告である被害患者がアセトアルデヒドを製造していた会社を訴え、裁判が始まりました。

この新潟水俣病のに関わる裁判は1995年に政治的解決を迎えるまで、3度にわたって大きな裁判が行われてきました。

原告側が勝利しましたが、遺族や被害者など今でもこの被害に苦しむ人がいることをしっかり授業でも伝えてあげるようにしましょう。

4大公害は日本のそれぞれ違う場所で、違う時期に起こっていますが、事態の展開としては似ている点もあるということがお分かり頂けたのではないでしょうか。

4.公害問題がその後に与えた影響

こうした問題を受けて、政府は1967年に公害対策基本法を制定し、自由な経済活動と環境とのバランスを改めて考える契機となりました。

さらに1971年には、環境庁ができました。(2001年に環境省となります)
こうした政府の動きの中で、環境のための具体的な取り組みを始めます。

それが1つの形となって現れたのが自動車でした。
車

日本の自動車産業は新しい規制の中でより良い車を作ろうと、燃費の良い製品を作ることに心血を注ぎます。

日本車の性能は改めて述べるまでもありませんが、この時も世界の中で群を抜いて燃費が良いエンジンを開発した会社がありました。

1973年から起こるオイルショックによって、こうした燃費の良い車への需要は高まりました。

このように、環境への取り組みは1つのビジネスとして現れることになったのです。

まとめ~公害から何を考えるべきか~

さて、ここまで高度経済成長のひずみから生まれた公害問題について取り上げてきました。

指導のポイントをまとめると、

テーマ:高度経済成長と公害②
◯世界的に知れ渡った水俣病
(1)何が原因であったか
(2)A社は何を作っていた会社?
(3)原因究明に向けての動き
○風評被害が流れるメカニズム
(1)風評被害
(2)異なる説も検証が必要
(3)現代との関連
○新潟水俣病
(1)新潟でも奇病が発生した
(2)工場排水が疑われたが
(3)公害問題の歴史から私たちが学べる事

となります。

皆さんはこの問題をどのように捉えたでしょうか?

歴史に「もし」はタブーなのですが、もし熊本で起こった水俣病を、該当企業が早い段階できちんと責任を認めていたら新潟での水俣病は起こっていたでしょうか。

また、公害問題の主体となった各企業の中には、工場の排水や排ガスが原因で健康被害を及ぼしていることに気がついている社員がいました。

しかし、企業という枠組みの中で内部告発をすることができないまま、時間ばかりが過ぎてしまいました。

中にはその企業で働いている社員で、子どもが患者となって治療費を捻出するために働き続けなければならないケースもありました。

もし高校生がいずれ社内の不正に気がついた時、自分はどのような行動ができるのか。

公害の問題は、その歴史を通してこんなことも考えさせてくれる題材なのです。

この問題は、単なる知識としてだけでなく、いずれ企業で働いて日本経済を背負う高校生にこそしっかり考えるべき問題であると思い、最後に紹介させていただきました。

本稿は以上です。ここまで長文ご精読ありがとうございました。

 

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