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【日本史講師対象】武士史上初の太政大臣へ!~平清盛が目指したもの~

高校生

2021/12/17

トップは誰だ?武家の棟梁をめぐる壮絶な闘い

平安時代、都では貴族社会が花開いた華やかな社会が作り上げられていました。
しかし、平安時代も半ばにさしかかると、10世紀頃から、

・平将門の乱
・前九年の役
・後三年の役

などの戦乱が相次ぐようになります。

こうした武力によって物事を要求したり、解決しようとする勢力がにわかにでも現れてきたことに平安京の貴族は恐怖感を抱くようになりました。

武sh

朝廷に歯向かおうとする戦乱が起こる度に、貴族はそれを鎮圧できるような武士の力を借りていくようになります。

すると、どうなるか。

朝廷が独自ではできない仕事である武力征伐を担うことは、だんだん政界においても武士の存在感が増してくるということを意味します。

朝廷は貴族で構成されており、京の治安を守る検非違使のような存在はあっても、地方で力をつけてきた武士に対抗できるような独自の武力というのは持っていなかったからです。

そうなると、当然、朝廷は貴族社会の秩序を守ってくれる武士の存在を認めざるをえなくなりますよね。

 


ちなみに「武士」という用語について、言葉の定義は難しいのですが、ここでは

<定義>
①武装化し、土地を守るようになった地方の領主や有力農民
②朝廷の武官として、中央の貴族に武芸で仕えた豪族のこと

という2種類を軸に話を進めていきます。

 

 

 2大勢力

さて、こうした武士(定義②)の中でもメキメキと頭角を表したのが、平氏と源氏でした。

平氏:桓武天皇の子孫の一族
源氏:清和天皇の子孫の一族

両氏とも、圧倒的な武力が認められ、貴族を守る大きな役目を担い中央政界に進出していきました。

皆さん御存知の通り、武家の棟梁として大きな勢力を築き上げていく順番は平氏→源氏の順番なのですが、本稿では平氏が権力を握るまでの過程をピックアップします。

 

 

平氏躍進のきっかけ:平忠盛

平家は平清盛の時代に全盛期を迎えます。

有名な格言で「平家にあらずんば人にあらず」というのがありますよね。

後ほど詳述しますが、保元の乱や平治の乱に勝利をおさめることで、平清盛は「平家でなければ人ではない」
という格言を流布させるほどに、栄華を極めました。

 

さて、それでは平氏が躍進するきっかけとは何だったのか。

それを見ていくために、清盛の父忠盛の功績について確認しておきましょう。

 

平忠盛は、平家の棟梁(リーダー)として、瀬戸内海を含む西国の海を実質的に支配していました。

また、瀬戸内海にしばしば現れる、「海賊」を退治することで朝廷の圧倒的な信頼を手に入れます。

 

少し、ここで聞きなれない「海賊」という言葉が出てきたので確認をしておきましょう。

【海賊とは】
平安時代半ば以降、瀬戸内海において略奪を繰り返していた武装集団のこと。
国司が瀬戸内海を通って、徴収した税を運ぶところを狙って略奪行為をしていました。都に入ってくる税金を奪い取るため、朝廷にとっても大きな悩みの種の一つとなっていた武装集団です。

平忠盛はこの海賊退治のスペシャリストであったため、朝廷から信頼を勝ち取る事に成功したのです。

 

 

日宋貿易をはじめた

日宋貿易、という言葉を聞くと、

"平清盛が大輪田泊を修築して行ったもの”

そう思っている方も多いのではないでしょうか。

 

実は、これを始めていたのも父忠盛であったのです。

先ほど朝廷の信頼を勝ち取った、ということをお伝えしましたが、この時具体的に良好な関係を築いていたのは鳥羽上皇です。

鳥羽上皇は平忠盛の許可を得て、拠点であった瀬戸内海を中心に宋と貿易をしていきます。
貿易

この日宋貿易というのは、
①平氏が膨大な富を手にし、繁栄の一因となった
②宋銭が日本国内に流通し、経済活動に大きな影響を与えた

という2点で非常に重要な意義があるので、しっかり日宋貿易の始まりをおさえておくようにしましょう。

平清盛は、その後日宋貿易を拡大していきます。

しかし、その前に父忠盛が作ったレールがあったというわけです。

清盛はこうした父の背中を追いかけていましたが、1153年に父忠盛は没します。

 

 

保元の乱勃発

いよいよ、このあたりから平氏と源氏の次の時代のトップをかけた戦いが始まります。

平忠盛と密着状態にあった鳥羽上皇が没し(1156年)、権力をめぐる争いに武家の平氏と源氏も深く関わったからです。

最初の起こったのが1156年の保元の乱です。以下の図を御覧ください。

保元の乱
当時は天皇の父(上皇)が政治に大きな影響力を持つ院政が展開されていました。

鳥羽上皇が亡くなってから崇徳上皇か後白河天皇、どちらが後継者になるかを争ったということです。

この節の冒頭で、「平氏と源氏の次の時代のトップをかけた戦い」と表現しましたが、保元の乱においては、「平氏の中のトップ、源氏の中のトップをそれぞれ決めておく戦い」と定義したほうが良いかもしれません。

 

上記の図を見て頂いて分かる通り、2上皇の対立に同氏の中での対立が含まれているからです。

この戦いは最終的に後白河天皇側が勝利をおさめます。

清盛は後白河天皇の勝利に大きな貢献をし、上皇の側近である藤原通憲とも距離を近めていきます。

上皇、そして側近の貴族とも接近したことによって平清盛は権力をより拡大することに成功しました。

 

ちなみにこの保元の乱の意義としては、他にも
①院政が混乱し、天皇間の争いに武士が登場するようになったということ
②「武士の世」の入口となった事件と評価されていること(『愚管抄』による)

という2点があげられます。

 

 

平治の乱が起こる

さて1156年に起こった保元の乱において、武士の勝者としては平清盛と源義朝が残りました。

いよいよ、この2大武家勢力がトップを争う時がやってきます。

保元の乱において、藤原通憲と距離を縮めた平清盛。この2人の蜜月状態、そして武士であるはずの清盛が勢力を増していることに不満を増している人物がいました。

藤原信頼です。

源義朝と手を組み、平清盛追討ののろしをあげます。これが1159年から起こる平治の乱です。

こちらもまずは対立構図から御覧ください。

このように、藤原信頼と藤原通憲を筆頭としている平治の乱ですが、その構図の中身を見ると、

保元の乱で共に戦っていたはずの平清盛と源義朝が争っていることがお分かり頂けるのではないでしょうか。

 

藤原信頼は源義朝と手を組み、この他戦いに勝利を納めることで朝廷での権力を高めようとしていました。

戦いの先手を制し、天皇の御所を占領すると同時に、後白河上皇と二条天皇を拉致します。

 

しかし、平清盛はこの戦いにおいて武才を遺憾なく発揮し、源義朝との平治の乱に勝利を治めました。

このあとも、鎌倉幕府を開く源頼朝を筆頭とする源平合戦が繰り広げられます。

壇ノ浦の合戦に終わる源平合戦の第2幕はご存知源頼朝が勝利を治め、幕府を開くのですが、保元の乱、平治の乱における源平合戦を通して勝ち残ったのは平清盛でした。

これをきっかけに武士が政権を担っていく時代が始まります。

 

 

平治の乱に勝利をした平清盛

さて、古代末期での2大争乱に勝利を治めた平清盛は勢いそのままに平家の繁栄を築いていきます。

後白河法皇との結びつきを深くし、中央の政治においてもその発言力を高めます。

そして強い影響力は官職となっても現れました。

1167年にはついに太政大臣という位置にまでのぼりつめたのです。

太政大臣は律令制における最高位を意味します。

シルエット

つまり、中央政治の最高位置に武士の平清盛が就任したのです。もちろんこれは史上初の出来事でした。

貴族の、しかも一握りしかなれない位置に武士の平清盛が就任したことがいかに大きな出来事かがお分かり頂けると思います。

 

また、先述したとおり平清盛の父である忠盛の頃から摂津(現在の兵庫県)にある大輪田泊という港を利用して日宋貿易を盛んに行っています。

平治の乱に勝利を治め、権力を手にした清盛は貿易をますます推進し、平家は膨大な富を手に入れます。

そして、自らの娘平徳子を高倉天皇の后として天皇家と親戚関係になることも成功しました。

徳子が後の安徳天皇を出産し、外戚の位置も掴んだのです。

 

このように、富も権力も手に入れた平清盛を筆頭とする平家。

有名な「平家でないものは人にあらず」という言葉が出てくるほど繁栄を築き上げました。

 

まとめ

さて、ここまで保元の乱、平治の乱で権力を手にしていく平清盛の動きを追ってきました。

指導のポイントをまとめると、

テーマ:武家政権の先駆者!平清盛が目指したものとは?
◯武士の時代の機運高まる
(1)平安時代中期以降の武士の争い
(2)武士とはなにか
(3)武士が躍進した背景
◯平家進出のきっかけ
(1)平忠盛の海賊征伐
(2)日宋貿易とは
◯保元の乱勃発
(1)保元の乱が起こったきっかけ
(2)保元の乱は武家にとっての内部争い?
(3)保元の乱の意義
◯平治の乱
(1)平治の乱が起こったきっかけ
(2)平治の乱によって平清盛がてにしたもの
(3)その後の中央進出

という順番で説明すれば因果関係をわかりやすく説明できると思います。

繁栄を手にする平家ですが、そのあまりのやがてその権力の大きさと横暴さが相まって反感を持つ人達が増えていきました。

この点についてはまた別記事でご紹介したいと思います。

長くなりましたが本稿は以上です。

ここまでお読み下さりありがとうございました。

 

 

 

 

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