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【世界史講師必見!】共和政ローマから帝政ローマへの転換

高校生

2021/12/17

全て学習すると膨大な範囲になる高校世界史ですが、非常に重要な学習範囲であるローマ時代について今回は分かりやすく解説します。

取り上げる範囲は共和政時代のローマです。

ローマ時代をきちんと理解できると、その後の中世の時代も分かりやすくなりますので、今回の内容を理解し生徒さんに時代のつながりを教えてあげてください。

共和政時代から帝政時代への出来事まとめ

まず年表形式で共和政時代から帝政時代開始までどんな出来事があったか確認してみましょう。

<第1段階>
B.C.509 エトルリア人の王の支配から独立する
B.C.494 護民官設置
B.C.450頃 十二表法の制定(パトリキによる法の独占を打破)
B.C.367 リキニウス・セクスティウス法
(コンスルの1名は平民から選ばれることが決定。公有地占有を制限)
B.C.287 ホルテンシウス法
(平民会の決議が元老院の承認なしに国法となる)
<第2段階>
B.C.272 ローマが+イタリア半島を統一
B.C.264~146 ポエニ戦争(最終的にカルタゴを滅亡させる)
B.C.133~122 グラックス兄弟の改革
<第3段階>
B.C.107~101 マリウスによる軍制改革
B.C.91~88 同盟市戦争
B.C.73~71 スパルタクスの反乱
B.C.60~53 第1回三頭政治
B.C.43~36 第2回三頭政治

それでは上で分けた3段階をそれぞれ解説していきます。

 

 第1段階 -共和政ローマの成熟-

身分を表す用語を最初にまとめてみます。

執政官(コンスル)→王に代わって任期1年で選出される。2名存在。
独裁官(ディクタトル)→非常時に任期6ヶ月で任命され全権をゆだねられる
貴族(パトリキ)
元老院→300名の貴族から構成される。政権経験者から選出される。
平民(プレブス)→中小農民を主とする。重装歩兵として軍事力の中心。政治的権利を要求する。

上の見出しで「共和政ローマの成熟」と書きましたが、この場合の「成熟」とは「平民と貴族の政治的平等が達成されること」です。B.C.287年のホルテンシウス法で達成されます。しかし、重要なのは執政官を経験したような平民は結局貴族と共に新たな支配層(ノビレス)を形成したために実際は貴族支配は変わらなった点です。この点で完全な直接民主制を達成したアテネなどのギリシャとは差があります。(ギリシャの直接民主制についてはこちら→古代ギリシャ政治 -本当に重要なポイントはどこなのか?-

 第2段階 -戦争による領土拡大とローマの変化-

B.C.272年のイタリア半島統一やその後のカルタゴとのポエニ戦争を通じて領土を拡大します。これによってローマに発生した変化は次の2点です。

ラティフンディウム(奴隷制大農場経営)の広がり
無産市民の登場

1つめのラティフンディウムの広がりから説明します。対外戦争を通じて領土が広がった結果"属州"と呼ばれるイタリア以外の領土が産まれました。そこに赴任する総督、騎士身分などの徴税請負人が戦争によって得た奴隷を利用して商品作物(オリーブ・ぶどうなど)を生産させる農場経営が広がったのです。

そして2つめの無産市民の登場です。これはギリシャの場合に似ています。度重なる対外戦争によって農地が荒廃した結果、無産市民が発生しローマへ流入したのです。これが次の内乱の一世紀につながります。なぜなら、こうした無産市民が有力者の手によって私兵化(傭兵化)されて権力闘争になっていくからです。その流れに反抗したのがグラックス兄弟の改革だったわけですが、結局兄弟とも死に追いやられ挫折してしまいます。

 第3段階 -内乱の1世紀と三頭政治-

上述の無産市民が、マリウスの軍制改革によって職業軍人とされます。以後、有力者が互いに私兵を編成し政権闘争を開始します。無産市民からの支持を受けるためにも「パンと見世物」は重要な意味を持ちました。この時期はローマ市民権を求めた同盟市戦争や奴隷によるスパルタクスの反乱などと相次いだだめに混乱が続いた時代となっています。

こうした中、元老院による政治が機能していないことに注目して独裁を目指したのがカエサルです。ポンペイウス・クラッススと手を組み三頭政治を実現しました。なぜ独裁を目指したのに三頭政治にしたのでしょうか?それはローマの独裁制に対する嫌悪が強かったからです。そこで巧妙に合議体で決めているかの様相をとったのです。結局暗殺されてしまいますが...

その後はオクタウィアヌスがプトレマイオス朝のクレオパトラと同盟したアントニウスをアクティウムの海戦で破ったことで、単独の支配者となりました。これで共和政は終了し帝政の時代に入ります。ちなみにプトレマイオス朝はアレクサンドロスの帝国の一部でしたね。アレクサンドロス帝国の復習にはこちら→後世への架け橋!?ヘレニズム文化を理解しよう!

いかがでしたか?今回共和政ローマから帝政ローマへの転換をまとめて紹介しました。あまり細かい箇所には拘泥せず、大きな流れさえ理解していただければ大丈夫です!

 

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