インドの歴史~インダス文明から13世紀まで~
今回は世界史の中でもインドの歴史をインダス文明期~13世紀までを紹介していきます。「インダス文明からマウリヤ朝」までと「マウリヤ朝から13世紀まで」の2つに分けました。この時期は特に理解が難しい点があるわけではないですが、インドに関する歴史は盲点になりがちなのできっちり復習しておきましょう。
- インダス文明からマウリヤ朝
- マウリヤ朝から13世紀まで
インダス文明期からマウリヤ朝期までのインド
大きな時代区分としては
インダス文明期→ヴェーダ時代→マウリヤ朝
という展開になります。
インダス文明・・・紀元前2300年頃~紀元前1800年頃(終了した原因は不明)
ヴェーダ時代・・・紀元前1500年頃~紀元前600年頃
マウリヤ朝・・・紀元前4世紀末~紀元前2世紀頃
以下でそれぞれ眺めていきましょう。
インダス文明(紀元前2300年頃~紀元前1800年頃)
インダス文明はその名の通りインダス川流域で始まった文明です。メソポタミア文明などと同様に川の流域で発達するという点は共通していますね。インダス川はインドの西側にある川です。(ガンジス川とインダス川を逆に覚えてしまう生徒も多いのできちんと強調しておきましょう。)
インダス文明の特徴を列挙しておくと
・綿密に設計された都市
・石製印章・青銅器・土器が出土
・度量衡の統一(二進法、十進法)
・インダス文字(解読はされていない)
・海上交易
海上交易という箇所は一応念頭に置いておきましょう。この時の海上貿易は先ほど少し触れたメソポタミア文明のシュメールとの海上貿易が行われていたと言われています。すでにこの時代から海上ネットワークが存在したことは注意しておきましょう。こうしたインダス文明も紀元前1800年ごろに衰退してしまいますが、原因には諸説あり未だ不明です。
ヴェーダ時代(紀元前1500年頃~紀元前600年頃)
ヴェーダ時代は、その前半期に中央アジアからアーリヤ人が進出してきました。彼らは様々な自然神の崇拝と祭式を用いて政治を行いました。そうした祭式を開催する司祭たち(バラモン)が重視されるようになってきました。これがまさにバラモン教の始まりです。このバラモン教においてなされた集団の区分がヴァルナと呼ばれるものです。(右図を参照)これに各種の職能集団や部族集団が取り込まれることによって「生まれ・職能」という意味であるジャーティが広まりました。そして現在でも続くカースト制度が出来上がるのです。ちなみにここで挙げたバラモン教ですが、聖典としては『リグ・ヴェーダ』を始めとする4つのヴェーダが用いられました。ヴェーダとは、神々を称える歌や儀式をまとめたものです。
マウリヤ朝(紀元前4世紀末~紀元前2世紀頃)
上で紹介したヴェーダ時代にはまだ各地に王国が分立していました。紀元前4世紀にガンジス川流域を支配していた王国としてコーサラ国とマガダ国が存在しました。しかし、アレクサンドロス大王が北西インドに侵入したのをきっかけとした混乱の中で(参照:後世への架け橋!?ヘレニズム文化を理解しよう!)チャンドラグプタによってマウリヤ朝が建国されました。そしてインダス川流域にまで支配を拡大し、第3代アショーカ王の時代には最盛期を迎えインド南端を除いた全インドを統一しました。(→紀元前3世紀のインド)
紀元前180年ごろに王朝が弱体化するにつれて、バクトリアなどギリシャ人の侵入が続きました。なぜこんな箇所にまでギリシャ人が進出しているかというと前述の通りアレクサンドロス大王の遠征でギリシャ人が移動し、ギリシャ文化も広まったのでしたね。きちんと他の地域との連関、横のつながりもイメージさせてあげましょう。
次にその後のインドの歴史を、主に王朝の変遷と文化面を分けて紹介していきます。王朝の変遷も重要ですが、どんな文化が発達したか?それは後世どのように拡散し影響を与えたか?という点に特に注目してください。
インド王朝の変遷と文化の発達
次にその後のインドの歴史を、主に王朝の変遷と文化面を分けて紹介していきます。王朝の変遷も重要ですが、どんな文化が発達したか?それは後世どのように拡散し影響を与えたか?という点に特に注目してください。まず簡単に王朝の変遷について紹介し、後半で重要な文化面について紹介していきます。
インド王朝の変遷(~13世紀)
インドは大きく北インドと南インドに分けて考えることができます。王朝の変遷はそれぞれ下のようになります。
北インド:マウリヤ朝→クシャーナ朝→グプタ朝→ヴァルダナ朝→小国分立→イスラム勢力(デリー=スルタン朝)
南インド:サータヴァーハナ朝→(東部)チョーラ朝・パーンディヤ朝 (西部)チェーラ朝
まず北インドから簡潔に説明します。
マウリヤ朝が崩壊した後、中央アジアからイラン系のクシャーナ朝が登場します。2世紀のカニシカ王の時代には西北インド一帯、中央アジアまで支配を広げました。
しかし、イランのササン朝の侵入を受けて滅びました。その後はチャンドラグプタ1世によってグプタ朝が建国され、3代目チャンドラグプタ2世の時代に最盛期を迎えました。しかしグプタ朝も中央アジアの遊牧民エフタルの侵入を受けて滅びると、7世紀初めにハルシャ=ヴァルダナによってヴァルダナ朝が建国されました。しかしこれもすぐ滅び、上で書いたように小国分立の状態が長い間続きました。再び歴史の主要舞台に上ってくるのはイスラム世界に組み込まれていく13世紀頃からです。
一方南インドはあまり書くことがありません(笑)上で書いたように紀元前1世紀頃~紀元後3世紀頃まではデカン高原にサータヴァーハナ朝が存在しました。それと同時期から東部沿岸にはチョーラ朝とパーンディヤ朝、西部沿岸にはチェーラ朝が存在しました。この時代の南アジアで押さえておきたいのは1世紀ごろのローマ時代の見聞録『エリュトゥラー海案内記』です。何が重要かと言えば、これら南アジアの王朝がローマとの交易を行っていたことが判明した点です。もちろんローマと交易をしていたほどなので、東南アジア諸国とも既に交易を行っていました。
以上が王朝の変遷の説明でした!
インド宗教文化の発展
この時代のインドではいくつか宗教が発達しています。何個かあって混乱しがちですので開始時期・創始者・発達した王朝名など以下に整理しました。
①ヒンドゥー教 バラモン教に土着信仰や習俗が吸収されできた 特定の創始者はいない 4~6世紀のグプタ朝で確立
②仏教 紀元前500年ごろ ガウタマ=シッダールタ(ブッダ) マウリヤ朝アショーカ王時代、ヴァルダナ朝時代
③ジャイナ教 紀元前500年ごろ ヴァルダマーナ 広くは広まらなかった
②のマウリヤ朝アショーカ王時代については少し説明を加えます。彼は教団の保護、仏塔建設、仏典結集(仏教経典の編集のこと)を通して仏教に力を入れます。その後紀元前1世紀になると仏教にも二つの宗派ができます。それが上座仏教と大乗仏教です。
・上座仏教→伝統的な仏教。厳しい戒律に従う出家僧侶のみが解脱できる。主にセイロン、東南アジアに広がる
・大乗仏教→新しい部派。全ての者がブッダと同じ悟りを得られる。主にネパール、チベット、東アジアに広がる
という上記のような差があります。
この大乗仏教がおこり始めたのと同時期、ガンダーラ美術も広がりました。(右の写真はガンダーラ美術の例。ギリシャ的な要素が入っています)重要なのはガンダーラ美術はバクトリアのヘレニズム文化やイランの文化と融合した仏教文化であるという点です。もう他の記事でも再三説明しているのでしつこいと思われる方もいるかもしれませんが、なぜこのエリアまでギリシャ文化が広がっているのかに関してはこちらの記事を参照してください。(→後世への架け橋!?ヘレニズム文化を理解しよう!)
その他の文化に関しては以下で列挙する形で紹介します。
- ・『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』というヒンドゥー教の神々についての二大叙事詩
- ・暦法、天文学・占星術、数学(ゼロの概念が有名)の発達
- →こちらに関してはイスラム世界を経由してヨーロッパにまで影響を与えることが重要!!
- ・グプタ時代にはインド的な要素が強いグプタ美術が生み出され、サンスクリット文学が繁栄
いかがでしたか?忘れがちなインドの歴史についてもこれでざっと概観ができたと思います。時代のつながり、他の地域とのつながりを生徒さんに意識させながら教えていきましょう!