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世界史の重要な転換点:アメリカ独立革命をわかりやすく解説!

高校生

2021/12/17

現在の世界におけるアメリカ合衆国の影響力の大きさは言うまでもありません。アメリカは誕生以後、世界史において常に存在感をもって大きな役割を果たしてきました。


今回は、アメリカが歴史上の表舞台に登場した経緯について簡潔にまとめました。


アメリカ独立革命はイギリスの名誉革命、フランス革命とあわせて環大西洋革命や三代市民革命と称される歴史上非常に意義深い出来事です。ぜひしっかり押さえてアメリカ史を得意になってもらいたいと思います。


アメリカの始まり:13植民地

イギリスは北アメリカの東海岸に13の植民地を有していました。

 

その植民地には信仰の自由を求めた人々や、経済的理由から年季奉公人(渡航費を前借りして一定期間の強制労働に従事した人々)になった人々など多くの人々がイギリス本国から移住しました。

 

厳しい自然環境や原住民(ネイティブ・アメリカン)との軋轢の中を必死に生き延びてきた人々は、自主独立の気風を強く持っていました。13州は社会構造や信仰の違いから一つにまとまることはありませんでしたが、この自主独立の気風は共通して強く抱いていたようです。

 

イギリス本国は最初13植民地に対して放任主義をとっていました(有益なる怠慢)。

しかし時は18世紀、絶対主義の下西欧各国が重商主義をとり強烈な覇権競争を繰り広げていた時代です。

とりわけイギリスとフランスの覇権を巡った争いは熾烈でした。

 

その影響は13植民地にも及びます。本国は様々な税法を成立させ、13植民地に税負担を強要してくるようになりました。

 

この流れは英仏間で行われた七年戦争を経て加速していきました。イギリス本国は七年戦争の莫大な戦費により財政難に陥ってしまいました。そこで13植民地からなんとか搾り取って賄おうと考えたわけです。

 

こうして砂糖法、印紙法など様々な税法が13植民地の意向は無視されて成立していきました。


13植民地の人々はこの流れを黙って受け入れたわけがなく、本国への不満は高まる一方です。そして印紙法が制定されると植民地の人々は「代表なくして課税なし」を合言葉に抵抗し、見事法律を撤回させることに成立しました。


しかし本国の政治方針は改まることはなく、1773年には茶法を定め、東インド会社に茶の独占販売権を与えました。これにより外国産の茶葉には関税がかけられて、結果的に植民地に流れてくる茶葉は高いものしかない、という状況になりました。


この茶法に対し人々の怒りは爆発し、ボストン港にやってきた東インド会社の船を襲撃するという武力行使に訴えます。これがボストン茶会事件です。このように、植民地と本国の軋轢が深まっていきました。

本国との衝突:アメリカ独立戦争の勃発と経緯

ボストン茶会事件を受けてイギリスがボストン港を閉鎖して制裁措置をとると、植民地側は一致団結して対抗し、1774年にフィラデルフィアで第1回大陸会議を開催しました。

 

これにより植民地の権利確認と本国への抗議として対英通商断交の宣言がなされました。もう武力衝突は秒読みという状態まで緊張状態が高まったのです。

 

そして翌1775年にはレキシントン-コンコードの戦いが発生し、ついに本国軍と植民地兵の間で武力衝突が起きました。これをきっかけに独立戦争が始まりました。

 

しかし、この段階になってもまだ植民地側は一枚岩になれていませんでした。本国からの独立を求める独立派と親英的な国王派、そして中立派とが混在していたためでした。植民地側では第2回大陸会議が行われ、1つにまとまるために総司令官が選出されました。その人物が、後にアメリカ合衆国初代大統領となるワシントンでした。

 

独立戦争は、始め独立側にとって不利な展開が続きました。しかしアメリカの駐仏大使であったフランクリンが資金援助を求めてヨーロッパを遊説したことや、フランス、スペイン、オランダが独立側に立って参戦したこと、ラ=ファイエットやサン=シモン(仏)、コシチューシコ(ポーランド)などが義勇軍として戦いに参加したこと、ロシアのエカチェリーナ2世提唱による武装中立同盟の結成など様々な要素が相まって、イギリスは国際的に孤立するようになりました。

 

このような状況の中で1781年にヨークタウンの戦いで独立軍の勝利が決定的となると、1783年にはパリ条約が結ばれ、ここにアメリカ合衆国の独立が果たされたのでした。

 

アメリカ合衆国の歴史のスタート:独立宣言(17767.4

独立戦争中に公布されたのが、歴史上たいへん有名かつ意義が大きい独立宣言です。

 

トマス=ジェファソンらが起草したもので、基本的人権(自由、平等)や社会契約説、ロックの思想の影響を受けた革命権などが盛り込まれたものでした。これは後のフランス革命の人権宣言と共に近代民主主義の基本原理を示すものでした。

 

こうして独立宣言が公布された1776年の74日、アメリカ合衆国の歴史が始まったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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