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【日本史講師必読】生徒の苦手意識を払拭!近代日本史の指導法

高校生

2021/12/17

はじめに:理解できない日本近代史!?

教壇からみえたこと

日本史の授業を受け持っていると、ちょうど幕藩体制がほころび始めた頃から、何が何だかわからなくなってしまったという声をよく聞きます。確かに、大河ドラマのモチーフになるからか、薩長同盟という言葉は聞いたことがあって少しは説明できたとしても、自由民権運動というと徐々に難しい顔をして、そして大正デモクラシーあたりになると全く無表情になってしまう生徒たちを何度も見てきたことを覚えています。

150年前の日本、先人たちの歩み

思えばつい150年くらい前まで馬に乗って物騒な武器を腰から下げることが許されていたなんて、今日の日本の発展の様子を見ると笑い話になるかもしれません。150年という短い(!)時間の中でこれほどの変化を達成するための努力というのは、測り知れなかったでしょう。そんな偉人たちの努力の蓄積を学校の授業で、一方的な知識の教授と暗記を通じて、しかも短期間で効率的に理解しようとすると破綻することなんて、当然なことかもしれません。私も「イクヤマイマイ」と連呼しながら本当にどの内閣が何をやってなんで解散したのか、なんてことを頭に入れようとしていたことを覚えていますが、では彼らは何をしようとしていたのかなんてことを聞かれたら、答えに窮していました。

一問一答的暗記法の失敗 

帰納から演繹へ、発想の転換の必要性

ここまで学生たちが近代という時代に混乱するのは、暗記すべきことが多すぎるのも然ることながら、ほかにも原因があるように思えます。それは、その時々の人々にはそれぞれ描こうとしていた日本国家の設計図というものがあり、時代に応じて決して一つではなく何個も重層的に重なり合っていたという大前提を、きちんと理解できていないことが原因の一つとしてあげられるではないでしょうか。つまり、近代日本史の理解には必要不可欠な事象の背後の「思想」の交錯、すなわち「どんな日本国家を建設するのか」といった各時代の登場人物や勢力の「理想」「思想」のようなものを踏まえてから事象を理解するのでなく、一問一答的な暗記法を経てからこういった「理想」「思想」に到達しようとしていることが原因のように、私は経験から感じます。演繹的な理解が求められているにも関わらず、帰納的に理解しようとしているところに問題があるように思えます。

事例~藩閥・政党対立軸が動くまで~ 

試しに、立憲政友会(以下政友会)設立の話をしてみたいと思います。

政友会は1900年(明治33年)に設立された政党です。超然主義の破綻と政党政治の必要性を感じた伊藤が総裁となって、旧自由党系や伊藤系官僚を中心にして結成された政党だとおおよそ習うはずです。藩閥と政党という二つの対立軸に変化が現れたということの現れになると思います。

ある程度勉強が進んでいて政党や藩閥という言葉を理解する生徒であればこうした用語の解説で十分かもしれませんが、例えば「超然主義」という言葉の説明を教科書で調べると、

「・・・・・・政府や政党は議会の意思には左右されないとする超然主義の立場を表明し、政党への牽制をはかった」(日本史B(三省堂))という文脈で用いられています。きちんと超然主義の言葉の意味を覚えて理解していたとしても、なぜ超然主義が破綻した、そしてそれが必ずしも政党政治と結びつかなければならないのか、こういった点に関しては淡白にしか説明されていない。つまり事象と事象の関係性の理解のためには(例えば本例では)「政党政治とは何か」といったことについての一定の素養を要求しているのが実情です。

その上これはあくまで一例に過ぎず、こうしたものが重なりに重なって一つの分野を形成しているのが近代日本史のように思えます。このように、何年何月に誰が、何をやって、そしてそれがこうした結果に終わったということを、理解せず暗記しているだけだと、いかに全体像を理解するのが難しいかということがわかると思います。こうしたもののオンパレードであるからこそ、苦手意識を持つのは自然なことかもしれません。

 分断的な知識

多くの場合、日本史、世界史、政治経済、倫理といったものは分野別に分断的に教えられてしまいます。だからこそそれらの知識を統合して一つの体系を描き出すことは、すべてが新鮮な知識として教えられる高校生にとっては非常に難しいことだと思います。

先述した「どんな日本国家を建設するのか」という「思想」は、まさに多様な知識を統合し出来上がった体系そのものです。強い日本のためには国民の意見を引き出したい、ではそのためには議会を用意しようとして議会政治や政党が生まれるというのは先生としては当然のように理解できますが、政党によって有権者の意見を代表するという思想は倫理や政治経済で習うものでしょうし、そしてそうした思想はヨーロッパの長い議会政治ひいては王政の歴史の中で芽生えてきたものです。こうしたものを背景として理解していないと、突然「政党政治」や「政党」という言葉を当然のように使う概念や説明に出会っても理解できないことは想像できるかと思います。

参考書紹介 

しかしこうした体系だった歴史の理解というのは、市販の教科書だけでは非常に難しいと思います。先生としてもどうしても用語中心の解説に陥ることもあれば、中には受験では日本史を選択しなかったにも関わらず日本史を教えないといけない、という大変辛い思いをしている先生もいるかと思います。そのために自分が勉強すればいいことは当然のようにわかっているけれど、正直他のことも忙しくて、という気持ちも痛いほどわかります。なので本日は、こうした歴史に対しての統合的な視点を、平易な言葉で提示してくれる一冊の教科書を紹介させていただけたらと思います。

「日本政治史 ―外交と権力―」(北岡伸一 有斐閣)

この本はもともと放送大学の教科書用に執筆されたもので、開国から冷戦終結までの歴史が15の章に分かれて書かれている。そしてこの本の特質として挙げられるのは、「ほかにもさまざまな選択肢があったにも関わらず、なぜ日本はこの道を選んだ(選ばざるをえなかった)のか」ということを考えさせる内容になっている点だと思います。

先ほどとは別の例になってしまいますが、日本の帝国議会設立の箇所に少し触れたいと思います。明治政府は議会制度を導入するにあたり君主権の強かったプロイセンを参考にしたということは、日本史を少し勉強すれば習うことだと思います。しかしどうして日本は君主権を強くする必要があったのか。具体的には、どうして議会に強大な権力を与えなかったのかということについて考えるとなると、意外と答えるのは難しいかもしれません。そもそも議会と君主の関係とはなんだろう、議会ってどういった機能を持つのだろう、議会制度はどこでどうやって誕生し、どのような過程をたどって変化してきたのだろう、といった本質的な問について考えなくてはならないからです。そしてこの本は、こうした疑問について読者について考えさせるよう促してくれます。

おわりに 

「何を覚えさせるか」と「何を知りたいか」の違い

歴史の授業をしていると、どうしても「何を覚えさせるか」「何を覚えさせないか」という点を重視してしまいます。しかし、多くの学生はその判断軸の背後にある「なぜそれを覚える必要があるのか」ということを知りません。一問一答形式の勉強をして、点数を取っている生徒にこそそういった傾向が私の経験からしても見られました。

「なぜそれを覚える必要があるのか」というのは、事象の背後にある「思想」のようなものを理解して始めて見えるものだと考えています。例えば「強い国家のためには人民の意見を引き出したい」という「思想」と「国家を牽引し続けてきたのは幕府を倒した我々だ」という「思想」の、明治の一新以来の交錯の中で生まれたものとして「政友会成立」というものがあるのだと説明できれば、その重要性と意味を伝えることができるのではないでしょうか。

塾における歴史の授業で、生徒が先生に求めるのは教科書に載っていない難しい知識や豆知識も然ることながら、分断的な知識では見ることのできない大きな設計図、すなわち「思想」のようなものだと思います。もしそれを描き出して伝えることができれば、多くの生徒が近代日本史を勉強するときの、あの「なんか読んでもわからない」という感覚を払拭してあげることができるのではないでしょうか。

そして最後に、あたかも私が日本史を統合的に理解しているように受け取られるかもしれませんが、そのようなつもりは毛頭ありませんので、もし誤った理解や意見などありましたらご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。

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