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あるミュージシャンの教え・2 ~言葉の教え方~

高校生

2021/12/17

再び、音楽と指導と

先日こちらの記事で紹介させていただきました音楽と指導の関係ですが、(参照:あるミュージシャンの教え・1 ~スランプからの脱出方法~)こうしたテーマからいろいろと考えてみた時、再び皆様の指導の力になれる視点があるのではないかと考えたところがあったため、再び音楽と指導という観点から記事を執筆させていただこうと思った次第です。

 Victor Wootenという天才の講演

今回取り上げたいミュージシャンは、ヴィクター・ウッテン(Victor Wooten,1964- )というベーシストです。アメリカの音楽一家の5人兄弟の末っ子として生まれた彼は、物心つく頃から音楽に触れて育ちます。そして早くから音楽の才能を現し、カーティス・メイフィールドやウォーといった著名なアーティストのライブの前座を務めるバンドに若いうちから所属していました。

彼のベースの演奏スタイルというのは、現在でも並ぶものがいないほどに高度な技術を駆使したものであり、それでいて音楽における重要な要素であるリズム感を確かに感じることのできる、ほかに類を見ないものです。そのため彼のこうした演奏スタイルを信奉する者も多く、憧れのベーシストとして彼の名前を挙げる人も多くいます。

そんな彼は、Gabriola Islandにて開かれたTEDx Talksにて、「音楽という言語」(Music as a Language)という題でプレゼンテーションを行いました。その内容というのが、非常に教育的で、塾講師としても参考になる点か非常に多いと考えたため紹介させていただきます。

(参考:https://www.youtube.com/watch?v=2zvjW9arAZ0)

 

音楽と言語

先に結論を示すと、彼が伝えたかったことは「音楽は言語と同じで、誰もが体得しているものだ」ということでした。

彼は自身が母国語である英語を喋るようになった時期と、音楽を演奏するようになった時期というのは、ほとんど一緒だったと述べています。気づけば言葉を話し、言葉の達人である大人たちと話す中で洗練されていったのと同様、気づけば音楽を体得していて、自分よりはるかに先を行くミュージシャンたちとの共演の中で洗練されていったそうです。

言葉がそのように体得されるものであることには疑いを持たない人々も、しかし音楽のこととなると全く違うということを、彼は主張していました。音楽をやりたいと思い音楽教室に通うと、まずレベルに応じてクラス分けされる。そしてある程度のレベルにならないと上のクラスに進めず、そしてどんどんと上達したとしても、さらに自分より上のレベルの人たちがいてその人たちと同等のレベルにならなければ相手にしてもらえない、そういった音楽の学び方が当然だという考え方が広まっていると彼は考えます。しかしそれはあくまで、楽器を習っているだけであって、音楽を体得しているのではない、というのが彼の主張でした。

音楽というのは、誰もが生まれつき体得しているものであって、そしてそれを表現することは誰でも当然にできることだと彼は考えます。気分が良くなれば鼻歌を歌い、風呂場で頭に浮かんだ適当なメロディを口ずさむ。リズムの利いた音楽があればノり、そして気の合う仲間同士であれば共に一つの歌を歌う。その際、誰もその音程が間違っている、リズムが狂っているだの、メロディにセンスがないだの、そうしたことを指摘する人などいない。このように誰もが生まれつき体得していて、それを発現させること自体が楽しいもの、それこそが音楽であると彼は述べます。

そして楽器というのはあくまで自身の音楽というものを表現する手段に過ぎず、楽器を学びさえすればこうした表現の喜びを手にすることができる、ということは断じてないということを彼は繰り返します。人生で初めてにギターを手にした少年が、どこを押さえればどの音が出るかわからないながらも、弦を柔らかい指でかき鳴らした際のあの感動と笑顔というものは、音楽教室では一番にダメだと言われるもので、楽器の練習に従事する限り、最初の感動と笑顔というものを取り戻すことに楽器人生を捧げてしまうように。

 

 現代文・小論文の教壇から感じた事

現代文や小論文の授業をしていて感じるのは、多くの生徒が正しい答えを問題文の中に探そうとしすぎているということでした。そして、正しい答えを見つけるための確固とした方式やテクニックのようなものが存在するとして信じて疑わず、それらを教えてもらうことこそが国語の成績を伸ばすことだ、と教壇から強く感じました。

確かにテクニックは重要です。私自身、現代文や小論文にはテクニックがあって、そうしたテクニックを使えればよいと思っていた時期がありました。

しかし、多くの生徒にとって、日本語とは母国語です。生徒のほとんどは家では家族と、学校で友人や生徒たちと会話をする際、日本語で会話します。そしてその日本語に、上手い下手など、本来的にはないはずです。そして自分の見聞きしたことを述べることや、相手から聞くことに本能的な面白さを誰もが感じるでしょう。

現代文の先生として教えるべきは、そうした本能的な面白さが文章読解を通じて得られるということです。そのための言葉を使った思考方法、自分の意見を言葉で表現し、交換する方法は、そうした面白さを前提にしてはじめて教えられるべきだと考えます。

 

テクスト講読の楽しみ

そこで重要なのは、こうした作法や楽しさというのは、先生と生徒が対等の関係で、真剣勝負の議論の中でこそ生まれるものだということです。

私の高校時代の現代文の先生が言っていたことで、今でも印象に残っている話があります。それは、「あるテクストを読んだ者同士であれば、そこに上下の別はなく対等に議論ができるところにこそテクスト講読の楽しみがある」という話でした。

そのテクストの研究の第一人者であろうが、読書感想文のためにいやいや読んだものであろうが、そのテクストについて自分の考えを述べ、そして意見を交換する権利というものに軽重はない、というのはまさにそのとおりだと思います。全くの門外漢が、専門家ではとても考えつかないような斬新な解釈をするという例はままある話ですし、こうした意見が出てくること自体が一つの楽しみだとも思いますし。塾の先生と生徒といえども、一つのテクストの前では対等な読者です。そのことを念頭においた上で生徒と対等な立場で議論をすれば、生徒に言葉を使った思考方法やコミュニケーションの楽しみが伝わるでしょう。

 

実践:質問を投げ、聞き役に徹する

そのために重要なのは、時間をとってでも生徒に必ず、自分がどのように考えたか、そしてなぜそのように考えたかということを発言させることだと、私の経験から考えます。

そして次に問題となるのは、いかにこれを実践するかという点になります。以下、現代文の文章読解問題を例として話を進めたいと思います。

授業をするにあたってまず有効なのは、まず「なにが疑問になっているのか」ということを言葉にさせることです。問題文に書かれていることをそのまま繰り返し読ませる、当然なことかもしれませんが、発言することすら厭い、障壁となっている生徒にとってはかなり有効な手段だと考えます。

そしてその次に、その問題文の意味を、説明させてください。難しい言葉であったり、指示語であったり、そういったものをすべて、生徒に説明させてください。部活で後輩に指導するときどのように説明するか、幼稚園生に絵本を読み聞かせるときどのような言葉を使うか、そのようなイメージを持ち出しつつ、とにかく自分の言葉で説明させるようにしてください。

この時点で、なにが答えに至るまでの障壁になっているのかということが多くの生徒の場合わかると思います。そしたら次に、ではそうした問題に対する答えがどこを参照すれば見えるか、ということを質問してください。そしてそこに書かれていることを、再び誰でもわかるような簡単な言葉で説明させてください。そうすると、おそらく問題は解けているはずです。

何より重要なのは、先生がとにかく聞き役に徹すること、ただ質問を投げつづける存在となることです。生徒が答えに詰まっているようであれば適宜助け、また回答したのであればどうしてこうした解答に至ったのか、説明させてください。その際、どうしてこのような答えにはならなかったのかと、誤った答えを先生の側で用意して、答えにならない理由を考えさせるのも一つの方法だと思います。なによりまず、「なぜ」を媒介として、会話のキャッチボールを続けるようにしてください。

 

おわりに

さて生徒と対等の立場に立って授業を進めなければならない、と私は言いましたが、それは決して生徒に対して不親切になることではなく、生徒の答えに対して鋭く質問を入れ、そしてその理由をとにかく問い続けることにあります。そうした真剣のやり取りの中でこそ、言葉を使った思考方法やコミュニケーションを習得することができ、その楽しみを見出すことができる。音楽の天才が如何にして音楽を体得し教えていったか、この方法は同じ言語の勉強である現代文においても、有効だと思い紹介させていただきました。

 

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