論説文とは論理的な文章
論説文とは、すごくざっくり言ってしまいますと、論理的に何か物事を説明している文章です。大学の入試問題、高校の入試問題は新書や学術書から文章を引用してきますので、当然のことながらなかなかの論理を秘めています。論説文は国語という科目の中に位置づけられてはいますが、実はその科目におさまらないような要素を獲得しない限り、論説文の得点を得ることができません。
すなわち“論理”です。
論理とは固有言語に囚われない、世界共通の言語と言われていますが、私たちは日本語を学ぶのではなく、この論理を読み解かなければならないのです。
論理とは?
では論理とは何でしょうか?社会に出ると「論理的に話せ」とか「論理的な文章を書け」と口うるさく論理性を追求されるわけですが、そもそも論理がわからないと話になりません。
しかし学問と日常での論理の定義は違いますし、学問の中でもどの学問から論理を捉えるのかによってまた定義が違います。
そこで暫定的にですが、論理を次のように定義してみたいと思います。
「論理とは、主張と根拠が適切な形で結び付けられた、説得力の持つ構造を指す」
国語の話をするわけですから、やっぱり文章の話でないといけないと思い、そして「主張と根拠」ってよく聞くなと思ったので上のような定義にしてみました。
完璧な定義ではないにせよ、どのような人からも一定の同意は得られると思います。ではこれをスタート地点として、論理について考察していきましょう。
主張と根拠
「筆者の主張を読み取れ」と、先生によく言われたことがあります。けれどそんなの無理でした。私がそのようなことをよく言われた高校生の頃は、“主張”とは何なのかを教わったことがなかったからです。
慶應義塾大学出版会が出した『大学で学ぶ議論の技法』、によると、主張とは根拠によって結論づけられる文を指すらしいです。どういうことか?例えば以下の文章を読んでみてくだい。
①死刑制度はあまりにも残酷である。人の命を他者によって奪うことが許されるような制度は、非人道的と言える。死刑が廃止されるべきである。
文は3つあるわけですが、どれが主張だかわかりますか?
最後の文が主張にあたります。では次見てみましょう。
②死刑制度は犯罪抑止に有用である。人は死を最も恐れるので、死刑制度があることは人に罪を犯すことを躊躇させる。死刑は廃止されるべきである。
あれ?と思った方。その通り、この文章は何かがおかしいのです。もしかしたら①の文章で主張を見つけるとき「〜べき」というところに注目してそこを主張をと思った方がいらっしゃるかもしれません。しかしそれと同じ方法で②を見てみると、どうもそれが主張と言えなくなります。
実は②の中で、主張と言えるのは1つ目の文、「死刑制度は犯罪抑止に有用である」の部分になるのです。主張の部分は確かに「〜べき」とか「私は〜思う」とか、そういった表現が多用されるのは事実なのですが、だからといってそれが書いてあるからといってそれが主張になるわけではありません。
だって②で違和感を覚えませんでしたか?
読者の皆さんは2つ目の文を読んだあたりから、主張を推測したはずです。「次には死刑存続を主張するんだろうな」と。しかしそれとはまったく逆の内容が来てしまった。だから違和感があるのです。
このあたりの違和感から、
主張とは、根拠から導ける内容のことを指す
と言えるのではないでしょうか。言い換えれば、根拠を持たない主張は存在しないのです。一般的には「主張を見つけろ」と言われるわけですが、この理屈に従えば、主張を見つけるために根拠を読み取る必要があるというわけです。
文章の大半はある事柄を主張するために、根拠をたくさん並べているようなものです。となれば、今目の前にある文章から、「結局何を支持するのか」「結局何を言いたいのか(so what)」を意識しながら読み進めればよいということになります。
主張を見つける前に根拠を読むこと。目の前にある文章を根拠だと思って読んでおくことで、主張の文に差し掛かったときに「あ、これは主張だ」と気づきます。
文章のピラミッド構造
わかりやすい文章とはどのようなものでしょうか。もちろん主張と根拠がセットになっていることは前提なのですが、今度はマクロ的な視点から、”説得力のある構造”について考えていきたいと思います。
普通の文章は、1つの根拠→主張の構造で終わることがありません。何かの事実がある主張を支持し、その主張がまたより上位の主張の根拠になるわけです。
いわゆるピラミッド構造。
主張Aに対して3つのA’があり、さらにそれぞれのA’にA’’という根拠が付け加えられている。一番下には9、その上に3,最上位には1の主張があるわけです。
もちろんすべての文章がこのようになっているとは言いませんし、どちらかというとピラミッドというより蟻の行列のような、主張と根拠を一列に連鎖した構造が多いです。
筆者の主張というのは、基本的に最上位に位置付けられる主張のことです。つまり、他の文章がその主張の根拠となりえて、そしてその主張が根拠になりえない状態です。
マクロ視点で見ても、実際の文章はわかりやすいと言われているピラミッド型ではなく、連鎖型です。となると、マクロ視点をあまり気にすることなく、最初から、順序だてて理解すればよいということになります。
すると重要なのは、マクロというより最初にお話ししたミクロということになります。重要なのは、文章全体をどう読み解くかではありません。最もミクロな根拠→主張の集合を読み取れるかが重要です。
では、それはどういうことか。もっと考えてみましょう。
区切りと再構成
ある4行ぐらいの文章があったとして、その中にある主張を見つけることができるかどうかが、文章を読み取ることの前提となります。例えば以下の文を読んでみてください。
死刑は残酷→死刑は廃止すべき
いきなり話が飛んでいます。最初は死刑の性質を「残酷」として位置づけていて語っていたものが、急に私たちの進むべき方針の話「廃止すべき」という話に移りました。根拠と主張の関係を読み取るためには、こうした文と文の間にあるギャップ(というか、ジャンプ感)を感じる必要が出てきます。
「あれ?今まで○○の話だったのが、急にちょっと違う次元・方向性の話が出てきたぞ」
こう感じたとき、それはおそらく主張に位置付けられます。逆に今まで読んでいたものが根拠です。
ここまでをまとめてみましょう。
主張を探すためには、その根拠が何を支持するのかを考えること
主張を探すためには、根拠と主張にある、話の内容のギャップに敏感になること
以上2つになります。前者はまだしも、後者は少しむずかしいところです。しかし練習すれば大丈夫です。今まである事件の詳細を語っていたのに、いきなり「人間は〜」となると、それは主張になりえると考えていいのです。主張や根拠を見つける前に、まずは話の区切り・ギャップを感じること。そこから始めましょう。
それに慣れてきたら、どちらの内容が、より高い次元の話かを見極めることです。(これも論理学では深く考察されてはいますが、それについては今度語るとしましょう)
そして文章にある区切られた意味の集合を、自分の頭の中で整理するのです。するときれいな要約が、できあがってきます。
最後は少し抽象的になりましたが、けれどこれは国語の指導の限界です。とにかく練習して感覚を身につけるしかありません。論理学が学問として成立している所以でもあるのですから。
区切りと再構成。
この2つで文章は読み解けます。少なくとも、段落ごとの要約には強くなります。文章を読み解くにはあともう少しの技術が必要。それはすでに紹介しピラミッド構造を、深く理解することです。
これについてはまた次回、
現代文を”論理”として捉える【マクロ編】
で解説していきたいと思います。
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