日本に伝わってきた仏教
拙稿「世界三大宗教の教え方③仏教」(URL:http://www.juku.st/info/entry/772)にでは、
根本教典がないという仏教の定義の難しさ、仏教の開祖である釈迦は仏教をどのように考えていたのか。
生い立ちも含めて紹介してきました。
大学入試のセンター試験問題では、仏教の六道や輪廻転生といった事柄の他には、実際に日本での
仏教はどのような展開をしてきたのか?という部分がよく出題されます。
本稿では、上述した入試で特に問われる鎌倉時代までの仏教の展開を紹介したいと思います。
筆者は日本史の授業も担当しているのですが、文化史を教えていてもこの日本の仏教を特に苦手としている
生徒の割合が高い事をよく痛感します。
同じ仏教でも、宗派がいくつもあって、それぞれに微妙な違いもあれば大きな違いもある。
これらの知識を1つ1つ正確に覚えていないと全体像が把握することが出来ないのです。ただでさえ
日本史や倫理以外にも多くのことを学んでいる高校生にとって苦手意識を持つのはある意味自然な事かも
しれませんね。
しかし、覚える量は変わらないのですが、それらを体系的かつ相互を関連づけて内容を深く理解すれば、
選択問題などで迷うこともなくなりますし、何より論理を武器に覚える事ができるのです。
では具体的な内容を紹介していきたいと思います。
仏教の伝来
まずは、仏教が日本にいつ伝わってきたのか?その歴史の入り口から確認しましょう。
<仏教公伝>
公伝というのは、正式に伝わるという意味なのですが、実は2つの説がありました。
・538年説『上宮聖徳法王帝説』『元興寺縁起』が根拠
・552年説『日本書紀』が根拠
というものです。長い間論争があったのですが、現在では、百済の聖明王が欽明天皇に仏像と経典を献上した年の538年説が採用されています。
<仏教私伝>
上記の仏教公伝に対し朝鮮半島からの渡来人が公伝より前の522年に
日本に持ち込んでいたことが、院政期の歴史書『扶桑略記』からわかっています。
まず、仏教の伝来において、日本ではどの時期に伝来したのかという点を確認してほしいのは、
仏教の創始者である釈迦が紀元前5世紀に創始した仏教がどのくらいの時代を経て
日本に到達したのかということを生徒に時代感覚として持ってもらいたいからです。
例えば、日本では6世紀に初めて伝わった仏教でも、仏教そのものが釈迦に創始されてからはこの時点ですでに約900~1000年経過しています。
前記事(前掲「世界3大宗教の教え方③仏教」)でも書いたように、仏教というのは
考え方の幅広さにとても寛容な宗教です。
つまり、これだけのタイムラグがあり、そしてインドからの直輸入ではなく、シルクロードを通過して中国、朝鮮などを経て日本に到達しているということをふまえると、この時点ですでに大分原型とは違うものが入ってきているのだなというのが考えられるわけです。
これから説明する奈良時代の仏教もまさにその典型です。
あくまで一例ですが、実はその後の時代も
日本の仏教は、常にその時代の社会的背景の影響を受けてその歴史を歩んできました。
各時代の仏教を理解するにはこのように日本史と連携をとった指導をするようにしましょう。
奈良時代の仏教:国家仏教
倫理においてまず理解しておきたいのは、奈良時代における仏教です。
まず、奈良時代における仏教の1つ目のキーワードは「鎮護国家思想」ですね。
この時代は、聖武天皇の治世でした。聖武天皇は疫病の流行、そして740年の藤原広嗣の乱
など、社会不安の増大をひしひしと感じていました。
こうした背景から、最終的に「仏教の力で国を守ろう」という考えにたどり着きます。
具体的な政策としては
・741年 国分寺建立の詔:全国に国分寺・国分尼寺造立を作らせる
・743年 大仏造立の詔:東大寺に盧舎那仏建立
などがその最たるものです。
さて、「仏教の伝来」の部分で日本仏教は釈迦の考えた仏教、つまり原型とは違うという話の伏線を張りました。
講師の方向けの記事なのでこの部分について少し解説を加えたいと思います。
「鎮護国家思想」というのは、今述べたように仏教の力で国政を安定させようとしたものです。
しかし、ここで釈迦の時代の仏教を思い返していただきたく思います。
繰り返しになりますが、よければ拙稿「世界三大宗教の教え方③仏教」(URL:http://www.juku.st/info/entry/772)をご参照ください。
釈迦の考えた仏教とは、つまるところ「自分が仏になるための道」です。
そのために、出家して修行をして「無常」という「悟り」を得なければならない。
これが、起源だったわけです。
では奈良時代の仏教はどうでしょうか?今説明してきたように、仏教の目的が「国政を安定させること」
になっています。この目的に起源の部分は見受けられないですよね。
このように、仏教の起源との比較をして相対化することで、日本式仏教の展開を垣間見ることが出来るのです。
話を戻します。
天皇がこのような考えを政策にしていることからもわかるように、奈良時代というのは国家仏教です。
”僧綱”という役所が寺や僧侶を統括していました。
奈良時代のお坊さんというのは国の管理する職業、今で言う公務員だったのですね。
奈良時代活発な活動をしていたのは南都六宗と言われる以下の6つです。
①法相宗
②律宗
③三論宗
④成実宗
⑤倶舎宗
⑥華厳宗
これらの宗派は、のちの時代の仏教各派のように「信仰」を異にする宗派ではありません。
これら6つは「仏教教学」つまり、それぞれの立場から仏教そのものを勉強する、言わば「研究する」立場
です。なので、これらの違いそのものを指導する必要はありませんが、最低限
・南都六宗がこれらの6宗であること
・国家政治に口をはさむという弊害があった(玄昉や道鏡が代表例)
という2点は指導するようにしましょう。
平安時代:2人の僧侶が残したもの
さて、次は平安時代の仏教に視点を移してみましょう。
まずは794年、時の桓武天皇は平安京に都を移します。
奈良時代の平城京を捨てたのは、南都六宗等の仏教の影響力を排除するためでした。
平城京には寺院がたくさんあったため、どうしても平城京では影響を防ぐことが出来なかったのです。
そして、奈良時代とは違う新しい仏教を作るため、後の真言宗の開祖である空海と天台宗の開祖である
最澄を遣唐使として派遣しています。2人についてここから紹介します。
<最澄>
最澄が唐で学んできたものは「顕教」と呼ばれるものでした。
釈迦は「四門出遊」というエピソードのからもわかるように、現世に絶望して仏教を創始しました。
その教えとは人間が苦しむのは迷い(煩悩)である、その迷い(煩悩)をしっかり見据え、受け止めれば迷いはなくなる、というものでした。
行うのは難しいが、真理そのものの教えは顕かになっている。というのが「顕教」の立場です。
後に天台宗も最澄が弟子を空海のもとに送り込んで、帰ってきてそれを共有するというように
密教化していきます。
空海の真言宗を「東密」と呼ぶのに対し、こちらは「台密」と呼ばれています。
<空海>
空海は唐の青竜寺というお寺で2年間修行をし、帰国します。
空海がマスターしてきたものは「密教」ですね。
「密教」は「顕教」にたいしてもっと秘密の部分があるのではないか?というのがその立場です。
大日如来という一種の絶対神のような性格を備えた如来を本尊としています。
皆さん一度はお寺を訪れたことがあると思うのですが、
「~如来」というのはなんと数の多いことかと思ったことはないでしょうか?
筆者も正直そういう経験をもっています。
当時の空海も同じような感想を持ったのでしょうか。
仏においても、如来においてもトップを作ろうと考案されたのが「大日如来」です。
仏教では、人間界だけでなく、畜生道、天上界、餓鬼道などいろいろな世界があると考えます。
それぞれすべての世界に如来が降り、人間界ではそれが釈迦となって現れたというのが釈迦と仏との関係でした。しかし、密教では釈迦というのは仮の姿に過ぎず、その根源は大日如来なのだと考えます。
ここが、密教の特徴的な部分といえるでしょう。
まとめ
ここまで、仏教伝来から平安時代までの仏教の展開を確認してきましたが、いかがだったでしょうか?
各時代、各宗派によってそれぞれの考え方が違い、非常に興味深いと同時に奥行きの深さも感じられたのではないでしょうか。
最後に教える際のポイントを2点まとめたいと思います。
・仏教の時代的背景とともに考える
→奈良時代の例でいうと国家仏教としての役割を担ったなど、社会的背景との連関があります。
これらを個々別々に理解するのではなく双方の視点を持つことで生徒はより深い知識を獲得できます。
・仏教の起源との距離を考える
→釈迦の創始した仏教がどのように紆余曲折を経て日本式の仏教になったのか。
その距離を測ることでその仏教の位置づけが明確になります。
以上です。ここまで長文ご精読ありがとうございました!