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【社会科講師必見】日本の仏教のわかりやすい教え方②

高校生

2021/12/17

中世における仏教

前記事「日本の仏教の教え方①」では、仏教伝来から、奈良時代、平安時代とどのような展開をしてきたのか
について述べてきました。

簡単におさらいをすると、奈良時代の仏教というのは国家権力の保護を受けた「国家仏教」であり、
平安時代は政治に口を出してくる南都六宗への対策をしました。
寺院がたくさんある平城京から平安京へ都を移し、その際には寺院は移転しなかったというのがまさにその
ことを示しています。
そして、奈良時代と違う新仏教を作るということで、空海・最澄による現在にもつながる2大仏教が誕生しています。

そこで、本記事では、次の時代の中世鎌倉期の仏教の変遷について説明していきたいと思います。

鎌倉大仏
南都六宗とは違い、信仰そのものが各宗派によって大なり小なり差があり、入試で問われやすい
厄介なテーマであると同時に非常に興味深い部分でもあります。
鎌倉時代の仏教は教科書などでも「平易な教えで民衆に一気に広まった」と書かれていますが、
授業ではこれはどういう教えだったのか?なぜ、民衆に受け入れられたのか?というのを説明しなければなりません。
本記事の説明をもとに、参考にしていただけたらと思います。

鎌倉時代の仏教-浄土宗系ー

 仏教には「大乗仏教」と「上座部(小乗)仏教」という2つの流派があります。
良ければその点について説明している拙稿「世界3大宗教の教え方③仏教」をご参照ください。
(URL:http://www.juku.st/info/entry/772)

日本は北伝系なので、大乗仏教の流派です。
大乗というのは仏教はみんなを救うものというのが、その根本にあるのですが、その典型的なものが、
浄土宗です。

鎌倉時代は実は2つの系統があります。それが「他力本願」を軸に持つ浄土宗系と「自力本願」を軸にする
禅宗系です。
本稿では主に浄土宗系について解説していきたいと思います。

浄土宗

まずは浄土宗の説明から入ります。浄土宗の開祖は法然という人物です。
法然はもともと天台宗、つまり比叡山延暦寺で修行をしていましたが、浄土宗の考え方を広めるべく、
浄土宗を創始します。

浄土宗の中心概念は、阿弥陀浄土、極楽浄土へ行くことです。
それも、自分の力ではなく仏の力によって救われる、「他力本願」がそのベースにあります。
阿弥陀如来への信仰をもってすれば救われる。また、そうすることによって阿弥陀様のいる極楽浄土
へ人間界の次(=死後)に行くことができる。
前掲「世界3大宗教の教え方③仏教」をご確認頂きたいのですが、生まれ変わる世界、つまり六道に
この極楽浄土という世界はありません。
つまり、この極楽浄土へ行くことをもって、六道輪廻を脱することができる。これが浄土宗の根本部分です。

しかし、極楽浄土へ行くためには何をすれば良いのか?
その答えがのっている浄土宗の経には「念仏」をするということが記載されています。
中国にも浄土教はあるのですが、中国の浄土教における「念仏」とは「観想念仏」といいます。
この「観想」というのはイメージ、つまり、常に頭のなかで極楽浄土にいることを思い浮かべましょう。
というものですね。
「観想念仏」という考え方は平安時代日本にも輸入されており、「極楽浄土」を地上で表現してみようという
試みで作られたのが、10円玉の裏にもなっている「平等院鳳凰堂」です。
ここで生徒に10円玉を確認してもらっても良いかもしれませんね。
平等院鳳凰堂

それに対し、日本の法然はお金があって文化的な活動が出来、余裕のある貴族にしか「観想」は出来ない、
と考えます。
本来皆を救ってくれる大乗の趣旨と違う。民衆にとってもできる「念仏」は何だろうか?
そこで考えたのが「唱名念仏」というものです。

仏の力を信じ、ただ「南無阿弥陀仏」と”名”を”唱”えれば良い。
信仰を示すため、出来る限り数多く唱名すればするほど良い、という考え方です。

浄土真宗

次に、浄土真宗に入りましょう。開祖は親鸞という人物で、法然の弟子です。
親鸞は師の考え方に修正を加えます。

阿弥陀如来に救ってもらうために、師である法然の浄土宗は何度も何度も「南無阿弥陀仏」と唱える
「回数」が重要だと考えている。
しかし、親鸞はこう考えます。阿弥陀如来が絶対的な力を持っていて、我々も信仰をしているのなら
わざわざ何度も何度も「唱名」しなくてもよいのではないか?
大切なのは「唱名」ではなく、阿弥陀如来に対する「信」である。

量ではなく、質をとったということですね。より「他力本願」の考え方を推し進めたとも言えますよね。
その極例として、親鸞はお坊さんでありながら結婚をしています
本来、仏教というのは「出家」つまり、家をでて修行をしなければならないとしているくらいですから、
結婚はしてはいけないとされていました。
現在でも、仏教国の多く、インド、ミャンマー、中国、韓国もそうです。
しかし、阿弥陀如来への絶対的な「信」があれば、出家していてもいなくても変わらないではないか。
まさに親鸞の「他力本願」が示された行動です。
浄土真宗の本山が西”本願”寺という名前になっているのもまさにこうしたことからなのです。
本願寺

時宗

次は時宗に入ります。時宗の開祖は一遍というお坊さんですね。
法然が大切だといったのは「唱名念仏」の回数、親鸞は回数ではなくて「信」としてきたのに対し、
時宗はもはやそれら2つさえいらないと考えます。

なぜかというと、仏教の力は絶対的なので、信仰するもしないも阿弥陀如来は救ってくれるのである。
仏は信仰している人としていない人を差別するようなことをしないのだということ、
そして信者は最低限それを知っていればよいのだと考えたからです。

さて、ここでまた本来の仏教との距離を生徒に考えさせてみましょう。
今一度釈迦の考える仏教を思い返していただきたいのですが、
仏教とはつまるところ「自分が仏になるための道」でした。そのために、「出家」をして
厳しい修行を得て「無常」を「悟る」。釈迦は考える仏教は「自力」によるところが全てだったとも言えるでしょう。
しかし、時宗まで来るといかがでしょうか?もう仏教が「他力」に置き換わっていますよね。
まさに「大乗仏教」をよく示しています。
根っこが同じでも枝の別れ方がこれほどにまで違うのというのが、仏教の興味深いところなのでは
ないでしょうか。

話を戻します。
時宗の特徴を最後に説明します。一遍は布教活動として諸国を遊行(渡り歩くこと)し、踊り念仏によってその考え方を広めることに力を注ぎました。
『一遍上人絵伝』はまさにそれをしめした絵巻として非常に有名です。
著作権の関係で写真は載せられないので、よければ東京歴史博物館のHPで閲覧できるので
興味のある方はこちらをご参照ください。

東京国立博物館HP URL:http://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2011/09/18/%E4%B8%80%E9%81%8D%E3%81%A8%E8%A1%8C%E3%81%8F%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%80%80%EF%BD%9E%E5%9B%BD%E5%AE%9D%E5%AE%A4%E3%80%80%E4%B8%80%E9%81%8D%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E7%B5%B5%E5%B7%BB%EF%BD%9E/ 
最終閲覧日:2014年11月19日

 

まとめ~浄土宗が流行した背景~

ここまで、浄土宗、浄土真宗、時宗について専門的な内容を解説してきました。
これら3つの宗の思想について述べてきたのですが、これら3つの宗派がなぜ流行したのか、
最後に社会的背景への解説を加えて本稿の結びとしたいと思います。

本記事では、鎌倉時代の仏教としてこれらを紹介してきましたが、実は浄土宗系の宗派が流行し始めたのは
平安時代末期のことでした。

平安時代は桓武天皇が平安京に都を移して以来、平和な時代が続いていましたが、
平安末期に入ってくると、
承平天慶の乱から始まって、最終的には源平の争乱に至る大規模な戦乱やなどで治安が悪化し、
社会不安が増大します。

こうした背景もあいまって、現世をあきらめ、来世で極楽浄土へいこうという「末法思想」が流行しました。
浄土宗系の諸派がこれだけ流行したのはこうした社会的背景があったからなのです。

宗教を考える際にはこうした背景を考えることで、その全体像が見えてくるので講師の方はここまで
予習をして授業ができると良いですね。以上です。
次回は鎌倉仏教禅宗系について記事をたてたいと思います。
ここまで長文ご精読ありがとうございました!

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