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【社会科講師必見】わかりやすい現代社会指導法~高度経済成長~

高校生

2021/12/17

高度経済成長期の日本

前記事「戦後日本と公害」では、高度経済成長による日本の発展という光の影となった「公害」の問題についていかに授業で取り扱うかを説明いたしました。
簡単におさらいをすると、「高度経済成長」による経済の発展が国を豊かにした反面、それを重要視しすぎ、
環境を軽視しすぎたために、自然界の汚染、そして人間にも病というダメージを与えたという内容でした。

注意

順番が逆転してしまいますが、本稿では、公害が発生する原因ともなった「高度経済成長」の指導法を
執筆していきます。
「高度経済成長」は今の我々から見てどう言い表すことが出来るのか、そしてどのような時代であるのか。
「現代社会」に生きる我々が考えなければならない問題を講師の方がより明確にできるようにするための指導法をご紹介したいと思います。
詳しくは記事の中で書いていきますが、日本の「歴史」を中心に探っていく中でそれと深く結びついてくる
「経済」の分野でもあることを予めお伝えしておきます。

生徒の持つ「高度経済成長」のイメージ

突然ですが、皆さんは「高度経済成長」という言葉を聞いて、どのようなイメージを持つでしょうか?
これは生徒に聞いてみても面白い発問です。
例えば、以下の様な答えが返ってくるでしょう。

<返答例>
・1960~70年ぐらいの日本の契機が良い時期
・戦後日本が経済成長を飛躍的に伸ばした時期
・様々な名前の「好景気」が起こったこと
・日本が先進国に入るにあたり、重要な時期であった

筆者が、実際に授業実践をした際には、生徒から上記のような返答がありました。
どれも遠からず近からずですが、「高度経済成長」の存在そのものは知っている生徒も多いようです。

その抽象的なイメージにいかに具体性を与えるか。
これが授業に対して講師が向き合わなければならない壁だといえるでしょう。
以下その具体的な順番に沿って説明いたします。

池田勇人内閣「所得倍増計画」

まずは、日本社会が戦後の「政治の季節」から「経済の季節」と呼ばれるようになった時代にまで時計の針
を戻すことから授業を始めます。

時は1960年、日本中を騒然とさせた「安保闘争」後に、池田勇人内閣が誕生します。
池田勇人首相は、経済政策の基本路線として「所得倍増計画」を軸にします。

倍増

有名な演説なので、1960年、衆議院選挙の際に彼(池田勇人)が実際に使った言葉をご紹介します。
「皆さんの所得を10年で二倍にします。私は嘘を申しません」

池田勇人の前内閣の岸信介首相の時に、起こった「安保闘争」の後、国民の人心の安定を目指し、
この計画を発表します。
さて、生徒にここで考えさせたいのは
何故池田勇人首相はここまで自身を持ってこの発言をしたのかということです。

この発問をしたとことで、この「所得倍増」計画を打ち出す前の日本の経済状況への説明に入ります。

1950年代の2つの好景気

日本の経済は、1955年から57年の2年にかけて好景気を迎えました。
これが「神武景気」と呼ばれるものです。
朝鮮戦争の復興資材や、世界的な好景気の波が良い意味で日本を襲い、「神武景気」と呼ばれる状態に
なりました。

鳥居

なぜ、この名前がついたかというと、「景気がこんなにも良いのは、神武天皇の時依頼ではないか」
というかなり大きな捉え方のネーミングになったのです。

その後、日本は好景気の反動で短期間の不景気を経験しますが、1959年から61年にかけて、再び好景気を
つかむことが出来ます。
この景気は「神武景気」をさらに上回る好景気であったことから、
神武天皇をさらにさかのぼった「天の岩戸」の伝説から名前を借りて、「岩戸景気」と呼びます。

池田勇人が「所得倍増計画」を打ち出したのには、1950年代のこうした2つの好景気を背景としていること
をまずは抑える必要があるのです。

そこで、より適切な経済策を執る事ができれば、日本の経済はより飛躍的に発展する。
こうした思いから、選挙の時にこの「所得倍増計画」を打ち出したということがわかれば生徒も
この背景を納得しやすいはずです。

結論から述べると、この「所得倍増計画」はその後、しっかり経済発展につながります。
この1955年からオイルショックが起こる1973年までの経済成長を「高度経済成長」と呼びます。
それでは次に、一体どのように所得を増やせるよう経済を発展させたのかという点について説明しましょう。ここから経済の中身に入っていきます。

所得の増やし方:社会資本の増大

 さて、もう一度池田勇人の「所得倍増計画」の演説をご参照ください。
所得を倍増にするまでのスパンは「10年」と定めていました。

収入

10年間でこの目標を達成するためには、年平均で7.2%の経済成長をする必要があります。
この数値の計算をご説明すると、膨大になってしまうので本稿では扱いませんが、経済の成長とは要するに、生産・消費活動が活発になり、それに伴う所得の増大や税収の増大による国全体の経済が潤う状態の事
を指しています。

池田勇人の計画では、最初の3年間で年率9%の成長を想定し、10年間トータルで平均伸び率を
7.8%にするよう設定しました。

それを実現するためにまずは社会資本の増大に着手します。
社会資本とは道路、港湾、下水などの公共施設のことを指しています。

物が売れるまでの仕組みを思い出していただくとわかると思うのですが、物を生産しても
それを消費者のもとまで届ける道路がなければビジネスは成り立ちません。
また、せっかく質の良い商品を生産しており、海外でも重要があるのなら、貿易をすることによって
さらに経営規模を拡大することが出来ます。

つまり、社会資本を増大するということは経済発展の基盤を整えることになるのです。

資金の調達

企業が経営に思い切って舵を切るためには社会資本の他にも必要な物があります。
それは、例えば生産力を増やすために工場を新たに設置する、人員を増やすなどどの場面でも共通して
必要になってくる「資金」です。

企業が経営規模を大きくするためには、銀行からお金を借りて資金を調達しなければなりません。
銀行の仕事は、つまるところ「金の貸し借り」です。
お金を企業に貸すためには預金者に預けてもらっているお金を借りて貸し出し、金利を付けて返済してもらう
ことでその利益を預金者と銀行で分ける形で運営をしていきます。

つまり、企業にお金を貸すためには、利用者からの預金が十分になければ対応できないのです。
そこで、政府は国民に貯蓄を呼びかけます

呼びかけ
国民が貯蓄をすることで、その資金で銀行は民間企業に貸し出すことが可能になりました。
政府がかなり積極的に経済成長に動いていたことで、民間企業も強気に経営拡大策を執ることが出来ました。
借りた資金によって、工場を新設し、生産を拡大することが出来るようになります。

こうして利益を上げることができれば、それは社員の給料としても還元されます。
そして給料が増えれば今度はそれを資金にして社員の次の消費活動へとつながり、生産がさらに増え、
お金が市場で活発に回るようになります。

まとめ~経済成長の結果~

国民の所得が増えるとどうなるか、これは生徒にも置き換えられる話かもしれません。
例えば、お年玉などで親戚などからたくさんお年玉をもらったとしましょう。
そうなると「前々から欲しかった〇〇をこの際だから買おう」
というように、消費者の消費意欲が高まります。

この高度経済成長によって、消費が爆発的に増加した様子を「消費革命」と呼びます。
その中でも
①白黒テレビ②洗濯機③冷蔵庫
の3つは大変なブームとなりました。これらの3つの生活必需品の宝は天皇家の宝となぞらえ、
「三種の神器」と呼ばれました。
やがて、さらに国民が豊かになると、「三種の神器」にかわり

①カー(乗用車)②クーラー③カラーテレビ

3つの英語のイニシャルをとって「3C」と呼ばれる生活物資が流行ります。

国の経済状態と国民の生活というのは深く結び付いていることが本稿の内容からお分かり頂けたと思います。
このように、戦後焼け野原であった状態から、日本は適切な経済対策と国民の努力によって大きな
経済発展を遂げました。

東日本大震災の復興を考える際にもこうした過去の躍進を参考にすることで、「現代社会」の私達が
今後どう選択していけばよいのか、考察することができるはずです。

授業では生徒たちが主権者となるまでのプロセスでこの授業はどう位置づけられるのか。
これを考えて授業を作っていくと生徒にとって印象に残る授業になると思います。

本稿は以上です。ここまで長文ご精読ありがとうございました!

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