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自衛隊を考える②~自衛隊ってそもそも何?軍隊ではないの?

高校生

2021/12/17

自衛隊を考える

前記事「自衛隊を考える①」(URL:http://www.juku.st/info/entry/957)では、現在盛んに議論されている
集団的自衛権に関して、歴史的背景を踏まえて意見を持つようになるためにどう指導すればよいか。
ということに関して説明させていただきました。

簡単におさらいをします。
1950年隣国で朝鮮戦争が勃発します。
これに伴い、韓国軍を支援するために日本国内に駐屯していたアメリカ軍は朝鮮半島へほぼ全て
出兵していきます。
1945年日本敗戦後、GHQは日本の旧軍隊を徹底的に解体していました。
この軍事的な空白を狙って、ソ連が日本を侵攻し、共産主義陣営を広げられてしまうかもしれないという恐れがアメリカにありました。
共産主義
そこで、GHQ総司令官マッカーサーは吉田首相に「警察予備隊」を設立し、海上保安庁職員を増員する「許可」という名の「命令」を出します。
これが、自衛隊の前身となる「警察予備隊」誕生までのあらすじでした。

本稿では、引き続き、「警察予備隊」が「自衛隊」へとなっていく過程を追っていくなかで

「自衛隊」が生まれた背景と現代の我々が考えなければならないこと

について考えるための指導法をご紹介していきたいと思います。

「警察予備隊」発足後の日本社会

さて、再び1950年代の日本社会までさかのぼってみましょう。
1950年代はその真ん中に位置する1955年に、長く続く日本の政治形態となった「五五年体制」に代表される
保守・革新が激しくせめぎあっていた年代とされています。
警察予備隊のあり方を巡る議論の背景にはこのような時代があったことをまずは生徒に掴ませましょう。

敗戦後、日本を統治していたアメリカをはじめとする連合国は、日本が20万人の警察力を持つことを
認めていました。
それまで12万5000人の警察官がすでに誕生していたので、最高司令官のマッカーサーは残りの7万5000人
の警察を増員することを「許可」しました。

警察

ここでも、カッコ付けにしたのですが、これも実質的には「許可」という名の「命令」でした。
ここで、朝鮮戦争時の米軍の事を思い出していただきたいのですが、7万5000人
というのはまさに朝鮮半島に出兵したアメリカ兵の数でした。

本稿は自衛隊を考えるための指導法の記事なので、詳述は避けますが、もともと戦後日本の「軍隊」を
解体してきた張本人であったマッカーサーが、今度は日本の「軍隊」の基礎になる組織づくりを命じます。

まさしく方針転換ですね。よってこの再軍備への道を「逆コース」と表現したりもするのです。
しかし、話を進めていく中で「警察予備隊」という名前に違和感を感じてくる生徒もこのあたりから
出てきます。とても良い感覚です。

実質的には「軍隊」としての基礎の部分であるにもかかわらず、「警察予備隊」という名称が付いている。
これは前稿でも述べた通り、憲法9条が深く関わっています。
さすがに、統治していたとは言え、アメリカの作成した憲法をアメリカで否定するわけにもいかないという面
と、日本に対して戦前のような「軍隊」ではない、という理由もあり名称にも気をつかっていたのだそうです。

当時アメリカ軍参謀フランク・コワルスキーはその様子を以下のように表現しました。
授業でも良ければぜひ使ってみてください。

「日本国憲法は、いかなる種類の軍隊も保持することを禁じている。日本は戦争及び戦力を永久に放棄した。したがってわれわれは、最初のうちは日本の幹部たちに、予備隊が将来日本の陸軍になるものであることを言ってはならなかった。」(フランク・コワルスキー 勝山金次郎訳『日本再軍備』より引用)

いかがでしょうか。ここに「警察予備隊」をどのように位置づけようとしているかがはっきり読み取れる
貴重な資料なのでここでご紹介させていただきました。

当時の目線

「警察予備隊」は当時どのように受け止められていたのでしょうか?
警察予備隊が発足したころはまだ戦後10年に満たない時期でした。

最初のうちは旧軍人が入隊することは禁じていましたが、次第にそれも解除され、中堅幹部を占めるように
なります。
戦前の軍隊の匂いが少しずつ出てきているのを民衆も嗅ぎとっていました。
各名称への胡散臭さも感じていたといいます。

上述したように、憲法9条への配慮がまず第一にあったこと、そして戦争を連想させる言葉への一種の
タブーのようなものがあり、
・☓「兵隊」→◯「警査」
・☓「士官」→◯「警察士」
・☓「戦車」→◯「特車」
・☓「(朝鮮)戦時需要景気→◯「特(別)需(要)景気」

というように、徹底的に名称にこだわっていました。
しかし、その内実が実際には「軍隊」というものに近いことを理解した国民は、戦争での苦労の経験が
多いだけに警察予備隊に入った隊員には冷ややかな視線を浴びせました。
警察予備隊が制服の姿で街を出歩くと「税金泥棒」と罵られてしまうこともあったそうです。

罵る
それゆえ、予備隊員は街に出るときには必ず私服に着替えて行くしかありませんでした。
世間から良い目では見られないけど、いざというときには身を投じて治安を守る。
このように「警察予備隊」は「日陰の存在」となりました。

自衛隊の誕生

軍隊なのか警察なのか、白黒つかない状態の「警察予備隊」というグレーゾーンがいよいよ
次の段階へと入ります。
時系列と共に追っていきましょう。
1952年警察予備隊の人員数が7万5000人から11万人へ増員されます。
ここで名称を「保安隊」と改めます。
具体的には陸上の警察予備隊、そして海上警備隊が合体しました。保安隊の上部組織として「保安庁」も
発足します。

さらに2年後の1954年、「航空自衛隊」を新設します。陸上部隊、海上部隊をそれぞれ
「陸上自衛隊」「海上自衛隊」
と改称します。そして上部組織の保安庁も防衛庁へ変わります。

これをもって、現代につながる「自衛隊」が誕生するまでの流れを確認することが出来ました。

自衛隊をめぐる論争

さて、この自衛隊は前身の「警察予備隊」や「保安隊」よりもさらに大きな組織になります。
定員数も合わせて25万人に増やされています。

ここまで来ると、さすがにこの「自衛隊」の位置づけに疑問符を投げかけてくる人が現れます。
「警察予備隊」の時点ですでにかなりの力を持っており、「保安隊」「自衛隊」と改称される中で、
日本の「自衛力」をめぐり、大きな論争が起こります。

「警察予備隊」は建前としては「予備の部隊」であり、警察の一部とされていましたが、
特車という名の戦車や大砲を装備するようになると、さすがに警察の一部とは言えなくなってきたからです。

こうした議論が出てくる中で政府が行う説明は前稿でも述べたとおり、

「憲法第9条は、戦力を持つことを禁じているが、自衛権があることを否定していない。」

という説明を一貫して続けてきました。
ちなみに、当時の首相吉田茂は「戦力」とは戦争遂行に役立つ「ジェット戦闘機」などを指すが、
日本にはそういったものは無いから「戦力」は持っていないと説明しています。

戦闘機

しかし、先述したように自衛隊が誕生し、装備がより充実するようになるとジェット戦闘機も所有するようになります。この頃から政府は説明を以下のように変えます。

「憲法第9条は自衛権行使のための必要最小限の実力を保持することまでは禁じていない」

つまり、「自衛隊」は戦力ではなくて、実力であるとしています。
「自衛隊を考える①」の冒頭でも述べたとおり、この実力はその時々の世界情勢によって左右されることになっています。
世界情勢の解釈次第で実力を拡大もできるし、縮小も出来る、ということになっていたのです。

まとめ

さて、ここまで2記事に渡り自衛隊が生まれるまでの社会的背景、そしてその過程の中で行われてきた
議論の指導法をご紹介してきました。

皆さんだったら、本テーマの授業を通して、何を伝えたいと考えるでしょうか?
最後にこの部分について述べて本稿を締めくくりたいと思います。

本授業の入り口は「集団的自衛権」でしたね。
結論から述べると、筆者は現在最も大きな話題を集めている「集団的自衛権」というのは
とても大きなチャンスだと考えています。

集団的自衛権に関しての詳しい説明は、【社会科講師必見】集団的自衛権とは何か?シリーズで詳しく述べております。あわせてご参照ください。

【社会科講師必見】集団的自衛権とは何か

・①~歴史的背景~

http://www.juku.st/info/entry/1264 

・②~日本国内での議論~

http://www.juku.st/info/entry/1271 


ニュース
もちろん、チャンスというのは「集団的自衛権」を行使するという意味ではなく、
これまでの日本の「自衛隊」はどう歩んできたのか、そしてこれからどう向き合っていけばよいのか
という点について、国民がしっかり考えなければならない事態に直面しているという意味です。

高校生は卒業して2年経てば有権者としての選挙権を持つようになります。
その際に、これまでの背景をふまえて問題をしっかり理解し、自分の意見をもつということ
講師は授業だけでなく生徒のその後を見越して、目標を設定し、達成できる授業を作れるようにしてほしい。
こうした思いから本稿を執筆させていただきました。
以上です。ここまで長文ご精読ありがとうございました!

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