敗戦後の日本
2015年。ついに今年で戦後70年を迎えます。
70年前の1945年8月15日、連合国からのポツダム宣言を受諾し、日本が無条件降伏をした事により
第二次世界大戦は終わりました。
今現在でも8月15日は「終戦記念日」とされていますが、まぎれもなくそれは「敗戦」でした。
戦時の政府の説明や教科書などでは「大東亜戦争」という呼称が使われていましたが、戦後アメリカによって
「太平洋戦争」と改称させられたこの戦争で日本軍の死者174万人、空襲によって亡くなった一般市民を
合計すると270万人という死者が出ました。
1941年の時点の人口から計算すると当時の人口の4%が犠牲になったことになります。
さらに問題はこれだけではありません。
空襲によって家を失った人は約900万人以上、その他にも食料不足による栄養失調や病気になった人がたくさんいました。
また、戦争物資のために、森林の木々も大量に伐採し、そのまま放置していたため森林に保水能力がなく、
強い雨が降れば大洪水となってしまいました。
問題は農業面にも起こります。戦時は農家の働き手も兵士として招集された関係で農地は労働力不足に陥っています。農地を耕すことが出来ず、農業も壊滅状態です。
終戦の年1945年は大凶作に見舞われます。さらに国内の自給力が底をついている状態の日本に
海外から約600万人の日本人が帰国します。(これを復員と言います。)
このように、当時使われていた言葉を借りると「国破れて山河荒れ果て」という状態の日本は、さらに
600万人もの復員を受け入れざるをえない状況に追い込まれます。
しかし、皆さん御存知の通りその約10年後から訪れる高度経済成長を迎えられるまでに日本は復興を推し進めます。本稿では、上記の事をふまえて講師の皆さんに
戦後日本がいかにして立ち上がっていったのか
を生徒に理解してもらうための指導法をご紹介します。
国内需要の増大
まずは、約600万人の復員が戦後直後の日本経済に与えた影響を考えてみましょう。
冒頭で述べたように、空襲による焼け野原、農業の壊滅的状態という状況の中で海外から大勢の日本人が
帰ってきました。
国内は戦争のダメージにより供給力がありません。その中で600万人分の需要が増加します。
供給がないのに需要はある状態です。さらに、敗戦後職を失った軍人やその関係者には退職金が
支払われます。
つまり、手元にお金があって、ものを買いたいけれども、買うものがありません。
こうなってしまうと需要と供給の関係で物価が著しく上昇します。
これが「物価が上がり続ける現象」の戦後インフレです。
インフレは物価が上がり続けるため、本来100円で買えるものが、200円出せないと買えなくなるというようにお金の価値も下がり続けます。
経済の混乱は社会の混乱につながります。つまり、政府はこうした状況への対策を練らねばなりません。
「新円」切替
インフレーションという状況に対して政府は1つの策を打ち出します。
それが「新円」切替と呼ばれる政策です。
インフレーションなど日本史の中で経済分野の説明をする際にいつも直面する壁なのですが、
こうした日本史の中の経済分野の内容を学習する際は、経済を勉強してきた生徒も頭がこんがらがって
しまう場合が多いのです。
一度しっかりなぜそうなるのか図を用いたりして説明するようにしましょう。
例えば、筆者はインフレーションという状態を以下のような図を用いて説明します。
インフレーションとは、つまるところ社会に必要以上にお金が出回っている状態です。
そのために需要と供給のバランスが崩れてしまい、物価が上がり続けてしまうのです。
では、政府としてはどのように対策をすればよいでしょうか?そこで次の図を用います。
政府としては、必要以上に出回っているお札を回収することができれば、このインフレの状態を
収束させる事ができるのです。
上の2つの図は、この他の場面でも大いに役立つので是非利用してみてください。
さて、どのようにしてお金を回収するのかという具体策を見てみましょう。
政府が用いた策は「新円」切替というものです。
1946年2月末までに旧紙幣を一度全て預金させます。これによってお金を一度回収します。
そしてその翌3月から世帯主は月3000円、家族は1000円だけ「新円」によって引き出せるようにします。
(※当時の勤労世帯平均月収は1724円でした)
こうする事によって、インフレを退治し、資金不足に困っていた銀行を救済し経済を安定させることが
狙いでした。
マッカーサーによる改革指令
戦後、日本は連合国によって間接統治をするということが決まります。
これを連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)と言うのですが、その総司令官がマッカーサーという人物です。
彼らの日本の占領の方針は、
徹底して、非軍事化・民主化をすることで、2度と戦争ができない・しない国への改造をすることです。
そのための具体的な指令が以下の5大改革指令というものです。
<5大改革指令>
①秘密警察の廃止
②労働組合の結成奨励
③婦人の解放
④教育の自由化
⑤経済の民主化
具体的な5つの指令を出す背景として、アメリカによる戦時日本の分析がありました。
その分析とは、戦前の日本は国内経済力が不足しており、内需が不足していた。
そのため、中国大陸やアジアに市場を求めて進出していたのではないか?
という内容です。
そこで、アメリカは「内需拡大」を打ち出します。
具体的に、日本国内で内需が生む→労働組合を結成し、労働条件を改善→国民の収入増加→消費の拡大
というように、国内での需要が高まればそれにともなって、供給のための仕事が生まれます。
その仕事についた労働者が安定して働けるよう、組合を結成してしっかりとした生産力を保てれば
国民の収入が増加し、それが消費意欲となって経済が発展する。
このように、戦時とは違う日本経済のあり方を指示したのです。
農地解放
これに関連して戦後の日本が復興するにあたってとても重要な出来事があります。
それが農地解放というものです。
戦前の日本は、多くの農地を大地主が所有し、農地を借りた小作人の生産物を吸い上げる、
という構造がありました。
そのため、わずかばかりの給料しかもらえない小作人は貧しく、その割合も多かったため内需拡大の妨げに
なっていました。
そこで、政府は農地解放によって大地主から土地を強制的に買い上げ、低い価格で小作人に
これを分配します。
小作人の視点でこれを考えてみましょう。
戦前まではどんなに頑張ってたくさんの農作物を生産したとしてもそれは地主に巻き上げられ、給
料はわずかしかもらえませんでした。
それが農地開放によって、低い価格で政府に土地を売ってもらい、自作農になります。
そうすると、頑張って生産した分だけ、利益があがり、自らの収入に直結させることができます。
この農地開放によって小作農から自分の土地を持つことになった自作農の生産意欲が上がります。
これは日本全体の生産性が向上につながり、慢性的食料不足から脱出に成功するのです。
まとめ
本稿では、「戦後日本がどのように立ち上がっていったのか」を生徒に理解してもらうための指導法を
ご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
これは近代以降ほぼ全てに関わってくることなのですが、日本史を教える講師は
経済分野の内容をいかにわかりやすく教えるかという事を常に意識しながら授業準備を取り組んでいくと
良いと思います。
教えた事がある方はご経験があると思うのですが、歴史の因果関係を理解することは出来ても、こと経済
の事になると頭がこんがらがってしまい、つまずく生徒は非常に多いのです。
そのために、インフレ・デフレといった専門用語の解説方法を本稿で示したような図を準備しておくと
とても効果的です。
本稿では農地改革までのお話しか出来ませんでしたが、次稿は財閥解体から傾斜生産方式などの指導法を
ご紹介したいと思います。以上です。ここまで長文ご精読ありがとうございました!