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クラスメイトの名前は割と簡単に覚えられる理論で歴史を楽しませる方法!

中学生

2021/12/17

歴史は暗記科目ではないと言われますが、それでも「いつ」「どこで」「誰が」「何を」

「どうした」という事を、時間軸の上で見てゆく事が求められます。歴史においては、

一部の自然災害を除き、ほぼ全ての事件は、1人から複数の「人」が起こしています。

推理ドラマでは必ず殺害動機が語られる様に、歴史の事件にもそこには何らかの動機が

眠っているのです。歴史を学ぶという事は、深くまで学べば人を学ぶ事に他なりません。

 

人が名前を覚えるプロセス 


「某有名キャラクターゲームでは、現在約650匹の
キャラクターが居る。それを好きな方は、こういったジョークが、とあるSNSでみられます。

その650匹の名前は当然の事、覚える技や種族値といったデータまで網羅している。しかし、

そんな者でも歴代総理大臣はおろか、徳川15代将軍の名前も覚えられない」

人間の記憶と言うものは単純なものではありません。30人のクラスメイトは半年もたたずに

覚えてしまえますが、同じ程の歴史人物を中々覚えられない生徒は確かに居ます。

これは、ある種では当然でしょう。クラスメイトの名前は毎日の点呼で聞くでしょうし、

教室で会えば挨拶だってします。

人の名前を覚える時とは、その相手が親しい、尊敬できる、あるいは日常的に会話、ある

いは話題に出る場合です。

 

プロセスを活用する 

さて、対して歴史の教科書に現れる偉大な人々に着目してください。尊敬する事さえあって

も、生徒全員がそれぞれを皆尊敬するわけではなく、偉人達も全員が全員尊敬に値するか

と言われると、肯定はしきれません。歴史人物に親しみを覚えるという人は居るでしょう。

だ、日常的に話すとなると流石に敷居が高すぎます。

つまり、上から考えるに、歴史の人物名を覚える手段は3つに絞られます。

 

 

1、日常的に名前を聞く事

 

2、その相手を尊敬する事

 

3、その相手に親しみを持つ事

 

ということになります。

その中でも今回話題に出したいのは3の方法です。この方法は、特に社会科に対して苦手意

識を持っている生徒に効果的です。それは、教える私達が、名前を知る程度に親しい相手と、

尊敬する相手のどちらの方が多いかを考えればわかるでしょう。

さて、方針はある程度わかっていただけたと思われます。これからは、具体的にどのような

手段で歴史人物達に親しみを考えていくかについて述べてゆきましょう。

 

 あだ名を活用する

思い出してください。まずひとつ。歴史を教えている時、歴史上の人物をどのように呼んでいるでしょう。少し

まず初めに話題にあげる時は、当然だがフルネームですが、そのままフルネームで呼び

続けるべきでしょうか。フルネームで呼び合う友人関係を見たことがあるかを考えていただ

きたい。親しければ、その人だけが持つその名前で呼ぶはずです。その過程で、呼びや

すいからと名字で呼ぶのは自然です。そこは、個人の感覚の問題ですが。

また、もしかしたら彼らに呼びやすいあだ名をつけるかもしれません。ちなみに例を出すな

らば、筆者は田沼意次をタヌキ、伊藤博文をハクブン、徳川家康をカンニング竹山(これは

わかりづらいでしょうか)と呼んでいます。このような時、人によって呼びやすいあだ名という

のもあるから、これは、指導者は例をあげるも、その呼び方を強制する形であってはいけません。

さて、あだ名をつける時、人はその名前だけを根拠にあだ名をつけるものではありません。

時にその人物の性質に着目する事もあります。筆者は中学生の頃、「オタク」だとか「オヤジ」

というあだ名をつけられ、不本意に感じて怒りを覚えたものですが、今回あだ名をつける相手は

偉大な男達です。快く許してもらえるでしょう。

 

1、メディアの利用

                                       

例えばひとつに、その偉人を扱ったドラマの俳優。家康を竹山、坂本竜馬を聖陽、源義経

をタッキーというように呼ぶのです。特にアイドルや大御所が役をやった場合は、人柄

や演技から人柄をイメージできる為、その人物の関わる事件へと理解を深めやすでしょう。

同じような手法として、漫画やアニメにおけるそれぞれのキャラクターについている相性

や特徴を持ちこむというのもまたひとつ。なお、これに関しては、映画化もされたかの有名

な古代ローマのテルマエ作りを舞台にした漫画を読んで、パンとサーカスや奴隷について、

また、自由民について等のイメージを作れ、何とか西洋古代史を克服したという経験のみが根拠

で、この部分については大分主観的な意見となっています。

                                                 

2、あくまで歴史の授業であることを生かす                 

 

もうひとつの手法として、史実を元にしたあだ名のつけ方があります

田沼意次の事をタヌキと呼ぶのも、タヌマからだけでなく、賄賂を正当化した彼の狸親父

のような性格を元としています(彼の悪人説については議論がなされたものだが、今回の

点はそこではないのでカット)

様々な方々に怒られそうですが、仏教の教えを簡易化し念仏を唱えるだけで良いとした法然

の事は、親しみを込めて阿法然(あほうねん)と呼ばせて頂いています。先ほどのドラマ

や漫画に当てはめる手法は、直接映像的にイメージできるのに対し、こちらは架空の、各人

の主観によって創造された親しみある愉快なおじさん達を形成する必要があります。しかし、

人で形成した分だけ、親しみと言う点では俳優や漫画の世界の人々に比べて強くなります。

                                                            


 

もし、社会科、主に歴史を苦手とする、あるいは嫌いである要因があるとするなら、それ

ひとつにイメージの欠如と考えられます。人はイメージの出来ない物事を考える事が出

来ません。神の認識1つでも、八百万神様の元に居る日本人には、イエスを唯一とするキ

リスト教は理解の難しい世界です。日本人が英語を中々理解できない背景には、英語の持

つ神の視点の欠如が関わっているという意見が言われているほど、認識は重要なのです。

生徒が社会科を苦手とするとき、そこには必ずイメージの欠如が見られるはずです。

府県を覚えられない児童生徒は、それら都道府県に対するイメージが形成できていない

事が多く、日本の地理は理解できても、世界地理になると途端に成績が落ちる生徒も居ます。

日本史ができて世界史ができない生徒を見た事は無いでしょうか。イメージと理解について

は、また別の機会で詳しく書く予定ですが、まずは何故、同じ程度勉強しても中々理解でき

ない生徒、理解できる生徒の差ができ、社会科に好き嫌いを持ってしまうのかはこのような

ものと納得してください。


具体の話ー理論の実践ー

さて最後に、この手法を使って実際に1人の偉人を見つめてみます。今回の対象となる偉人は、

学問の神様で有名な菅原道真です。彼を歴史の偉人から、愉快な友人へと変容させる過程をお見

せするので、そこから是非とも、筆者がこの記事にて言わんとしている事を完全に掴んでください。

 

菅原の家は、古くは土器をつくる家系で、長い伝統があった。時代が変わり、土器づくりの

需要が失われてくると、次第にその名前と地位を生かして学問の世界に転向。多くの教養人

を育てて行きます。

その中で生まれた道真は、エリート家系の中でも殊更歌の才能に恵まれていました。天性の感性

を学問に生かし、文章博士を経て順当に立場を上げるとついには右大臣まで上り詰めました。中

央集権への理想を掲げ精力的に動くけれど、それを良く思わない藤原氏一同に画策され、政戦

に負けて大宰府に流刑。その地でその無念を歌にのせて残し、そのままその地で亡くなってしまい

ました。

 

簡単に表すと、彼の生涯はこの様に表されます。ここから、彼の性格を割り出し、ひとつの

ストーリーを編み出す作業がはじまります。

道真はエリート家系に生まれた、しかもその中でも天才だったのです。

これはもうイケメンで決まり。こういうエリートの中のエリートはイケメンに決まっています。

目は小さめだが眉は濃く目力があるタイプのイケメン。髪の毛は短く整えられていそうです。

なお、このようなスキーマによる偏見は、笑いに繋がります。笑いが教育に与える影響について

は、最近の話題で、今秋の教育新聞の記事ですが、教育者による寄席というものの記事があった

のでそちらを参考に考えてください。なお、偏見と笑いについては芸人のバカリズム氏を参考

にするとよいでしょう。

 

文章博士は極めて簡単に言えば大学教授です。明確には違うかもしれませんが。父と祖父も文章

大臣を務めていたという事なので、道真は父の勤めている(厳密に言うと経営している、の方が

正しい気もする)大学から大学院のドクターコースに入り、博士を取得。才能に経歴を重ね、政

治家になる訳です。政治家になってからもその探究心の強さからストイックに努力し、ついに政

府のナンバー2まで上り詰めます。

イケメンで家系と言う後ろ盾もあり、才能に努力を重ね立場も得ました。ここまでなんでも得て

くると当然斜に構えた鼻につく性格になってしかるべきです。鼻で笑う癖があってもおかしくは

ありません。しかし、満足に教養を重ねた身です。常に正しく判断し、人を導いてくれるでしょ

う。しかし、正しい事がいつでも支持されるとは限りません。自身の立場が何よりも大事な、田

舎の良家のような考え方の藤原家が、彼の嫌な性格を利用して党内での立場を無くし、地方へと

左遷させました。天才にとっての初めての敗北でし。彼にはこの空しさ、悲しさ、そして憎しみ

をどうすればよいのかわかりませんでした。だからこそ、人目をはばからずに得意の詩歌にひた

すらそれらを乗せて世に残す他無かったのです。

 

ここまで砕けさせれば、最後の一手を打ちましょう。この彼を中学校くらいからの友人だと思い、

今の新しい友人に紹介するようなシチュエーションを想像してみてください。そうすると、大体

このようになります。

 

「菅公は、いいトコの坊ちゃんで、そりゃあ恐ろしい才能を持つ上に勉強が好きな奴で、院

で博士をとってそのまま政界入りしやがった

でも、鼻持ちならない奴だと思われていただろう。あいつはなんでも正しい事を言おうと

するから、苦労するぜ。と思っていたら案の定、せっかく官僚になったってのに藤原の奴ら

に楯突いて福岡に左遷になっちまった。肩書だけの窓際族で、仕事も無いからずっと歌を詠

んでやがる。友達が少ない奴だからな、恨みつらみが激しいのなんの。あの様子じゃいつか

政府のお偉いさん方に呪いでもかけそうな勢いだ」

 

どうでしょう。「この」菅原道真ならば、惰性で続いていた遣唐使をやめようと言うくらい、

平気でやりそうなものである上に、何故立場がありながら左遷されてしまったのかも納得

しないでしょうか。

 

ちなみにこの菅原道真は、筆者の妄想です。他の道真観があれば、それもひとつです。要は、

しくなる事。その人を知る事。「行動」ではなく、「人柄」で知る事。

今回の道真然り、人々は想像する事が大好きです。歴史も、想像がかきたてられるからこそ、

楽しいのです。



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